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西山復古篇 (No. 2645_ 俊鳳妙瑞記 ) in Vol. 00

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  No.2645
西山復古篇
  天明四年二月望日俊鳳瑞記之
  西山流義學文事
先哲云ク。西山流義學文セント思ハン人ハ。
山師ノ眞撰ノ抄物ニ依ルヘシ。眞撰ノ抄
物トハ御疏ノ自筆抄・他筆抄・定散料簡義・
五段抄・女院御書并二大師ノ御傳ニ出タル
白木念佛ノ御法語等也。自筆抄ト云ハ觀門
義抄ノコト也。觀門義抄ノ外ニ自筆抄アリ
ト云ハ誤也。觀門義抄ハ行門・觀門・弘願門
ノ名目ニテ。大師ヨリ傳授シ給ヘル聞書
也。他筆抄トハ顯行・示觀・正因・正行ノ名目
ニテ。自筆抄ノ上ヲ切磋琢磨シテ解釋シ
給ヘル也。其事圓慈和尚ノ希問抄ニモ見
ヘタリ。此抄ハ光明峯寺道家公ノ請ニ應
シテ是ヲ撰述シ給ヒテ。觀鏡房ニ命シテ
コレヲ脱槁セシメ給フカ故ニ。門人コレ
ヲ他筆ノ御抄ト唱シケルト也。此等ノ抄
物ハ山師ノ眞抄アリト雖。久ク歳霜ヲ經
テ寫誤脱文少カラス。其義分明ナラサル
所アリ。然ニ疇昔善ク此等ノ抄物ヲ熟覽
シテ。能ク會得シタル人ハ揩定記主・道教
顯意上人也。是故ニ西山義ノ學文ハ先ハ
揩定記等ニ依リ。鵜木抄康永抄ヲ對照シテ
其正義ヲ思擇スヘシ。所謂正義トハ光明
吉水ノ本意ニ相應スルヲ云也。若光明吉
水ノ本意ニ違ハハ。タトヒ山師ノ義也ト
雖トモ是ニ依用シ難シ。何況ヤ中古ノ人師
ニ於ヲヤ。道教上人ノ撰述唯揩定記ノミ
ニ非ス。又一乘海義・難易二道血脈圖・四品
知識義・三重六義・淨土疑端・拙疑巧答硏覈
抄・仙洞三心問答・賢問愚答抄・四十八問答・
五方便門註等アリ。學者須ク知ヘシ
  西山流義安心事
西山流義ノ安心起行トテ別ノ子細アルヘ
カラス。山師ノ白木念佛御法語ニ示シ給
ヘルカ如ク。中ニ二心ヲソヘス。唯申セ
ハ生ルルト信シテホレホレト南無阿彌陀
佛ト申ハカリ也。本願念佛ハ都テ自力ノ
執情ヲ捨テ。定散ノ彩色ヲ著サレハ。コ
レヲ白木ニ譬ヘ給ヘリ。其趣全ク大師ノ
御遺誓ニ同シ。山師ハ多念ノ行者ニテ。日
課ノ念佛六萬遍ナリ。其事ハ吉水ノ勅修
傳ニモ。山師ノ別傳ニモ出テ明ナルコト
ナリ。然ルニ同門ノ中ニ。山師ノ安心ヲ
一念義ノ樣ニ云ナス人アリ。誠ニ是ハ往
生極樂ノ怨敵也ト謂ツヘシ。山師ノ鎭勸
用心ニ睡テ一夜ヲ明スモ。報佛酬因ノ床
ニ明スト云ヒ。又懈リ倦モ快シ。正因圓
滿ノ故ニトノ給ヒシヲ。一念義ノ安心ノ
ヤウニ意得ルハ大ナル僻カコト也。マツ
鎭勸用心ハ蓮華壽院ノ不斷念佛ノ結衆ノ
爲ニ示シ給ヘル御法語ナレハ。勇猛ニ念
佛スル人ニ就テ安心ヲ示シ給ヘルコトヲ
知ヘシ。南山ノ行事鈔ニ依ルニ。一夜ヲ
分別スルニ五時アリ。謂ク戌ヨリ寅ニ至
ル是也。此五時ヲ分テ三分トシ。初分後
分ニハ念誦思惟シ。中ノ一時ニ即睡ルト
云ヘリ。サレハ念佛行者ノ平生ノ行儀モ
是修行スヘキコトナレトモ。不斷念佛
ノ結衆ナレハ。勇猛ナル時ハ勤テ一夜ヲ
明スコトモアリ。又疲勞スル時ハ睡テ一
夜ヲ明スコトモアルヘシ。於是他力ノ安
心ニ疎キ人ハ。勇猛ナルニ就テハ決定往
生ノ思ヒヲナシ。懈怠ナルニ就テハ往生
不定ノ思ヒヲナスヘシ。此局情テ遣ンカ
爲ニ如是示シ給ヘル也。他力ノ安心ト云
ハ。十方衆生善惡ノ凡夫。上根ハ上根ナカ
ラ。下根ハ下根ナカラ。極樂ニ往生セント
願ヒテ。多クモ小クモ念佛スル者ハ。阿彌
陀佛ノ若不生者不取正覺ノ因願ニ酬ヒタ
ル。攝取不捨ノ光明ノ裡ニ納メ給ヒテ。決
定シテ往生ヲ得セシメ給フ也。サレハ勇
猛ト懈怠トニ目ヲカケス。唯口ニ南無阿
彌陀佛ト唱ヘテ。其聲ニツキテ決定往生
ノ思ヒヲナスヘシ。是故ニ善導ノ御釋ニ
ハ。人人有分不可疑トノ給ヘリ。然ニ懈怠
ナルニ就テ。是デハ往生モ如何アラント
訝ルハ。是自力根性ノ迷ヒニテ。用心ノ好
キヤウナル安心未決定ノ人也。山師此自
力根性ヲ遣ンカ爲ニ睡テ一夜ヲ明スモ。
報佛酬因ノ床ニ明スト示シ給ヘル也。全
ク放逸懈怠ヲ許シ給フニハアラス。又懈
リ倦ムモ快シト云ハ。是モ又放逸懈怠ヲ
許シ給ニハアラス。マツ懈倦ト云ハ三萬
六萬モ勤修スル人ノ上ニテコソ云コトナ
レ。一念義ノ樣ニ日課ノ念佛モ申サヌ人ノ
上ニハ。懈リ倦ムト云コトハ有ヘカラス。
隨分ニ念佛ヲ策勵スル人ノ上ニモ。或ハ
病縁ニヨリ。或ハ障縁有テ。念佛モ勤メ難
ク。懈怠ニナルコトモアルヘシ。サレト
モ此度ノ往生ヲイカカト思フヘカラス。
唯口ニ南無阿彌陀佛ト唱ヘテ。往生ノ正
因ハ聲聲ニ圓滿スルソト決定往生ノ思ヒ
ヲナセハ。快ク嬉シク思フヘキコト也。山
師此他力ノ安心ヲ顯サンカ爲ニ懈リ倦ム
モ快シトノ給ヘル也。山師ノ家風ハ都テ
自力根性ヲ捨テ他力ノ安心ヲ會得シ。白
木ノ念佛ニ歸シ。一切ノ之乎者也ヲ放下
シテ。一向ニ念佛スルニ在ノミ。努努一
念義安心ニ混同スヘカラス
  西山兩脈相承事
兩脈相承トハ淨土宗ノ法脈ヲ宗脈ト云
ヒ。圓頓戒ノ法脈ヲ戒脈ト云。此宗戒兩
脈ヲ傳受シテ自行化他スヘキ也。先ツ山
師ノ宗脈ヲ傳ヘ玉フコトヲ明サハ。山師
十有四歳ニシテ大師ノ許ニ於テ稺髮出家
シ。二十三年日夜ニ隨事シ。其間ニ淨土
ノ教義指授ヲ蒙ラスト云コトナシ。況ヤ
復タ建久九年ノ春。大師選擇編集ノ際タ
山師ニ命シテ勘文ノ役ヲ勉シム。山師即
チ其命ヲ承テ。大師ト倶ニ又義ヲ考定シ
給ヘリ。書成テ大師山師ヲシテコレヲ月
輪ノ禪閤ニ呈進セシムルニ。禪閤大師ニ
問テ云ク。上人滅後若於此書未審
誰人ト。大師答テ云。如我所存悉付
善惠。宜善惠。聊無愚意矣ト。此事選
釋傳ニモ見ヱタリ。是ニ由テ翌年ノ春禪
閤山師ヲ請シテ選釋集ヲ講セシム。又禪
閤書状ヲ以テ當時ノ安心ノ邪義ヲ擧テ。
大師ノ決擇ヲ求メ給フトキ。因ニ大師ニ啓
シテ山師ニ謁センコトヲ請シ給フコトア
リ。大師返狀ニ逐一ニコレヲ答ヘ給ヒテ。
且ツ弟子善惠ヲシテ今明ノ間タ閣下ニ拜
侍セシムヘシトノ給ヘリ。此事漢語燈ニ
モ見ヘタリ。然ニ有人西山義ニハ選釋ノ
相傳ナシト云ハ。卒爾ノ甚タシキ也。大
師已ニ山師ニ勘文ノ役ヲ命シ。其文義ヲ
考定セシメ給ヘリ。如何ソコト更ニコレ
ヲ付屬スルコトヲ用ヒ給ハンヤ。聖光隆
寛ノ如キハ其選述ノ室ニ在ラザレハ。他
日來至ノ時コト更ニコレヲ付屬シ給フ
也。又室中ノ宗脈相承ヲ明サハ。大師曾
テ夢定ノ中ニ於テ。善導大師ニ相見シ給
ヒテ。淨土三部經及ヒ御疏等ノ口訣ヲ面
授相承シ給ヘリ。建久九年正月上旬。此夢
定相傳ノ口訣ヲ以テ山師ニ面授シ給ヘリ。
承久元年三月上旬。山師又此ノ口訣ヲ以
テ西谷ノ淨音ニ面授シ給ヘリ。淨音上人
法孫ノ爲ニコレヲ筆記シテ十通トス。淨
土眞宗口傳ト號ス。山師宗脈ノ相承是ノ
如シ。次ニ戒脈ヲ傳ヘ給フコトヲ明セバ。
建久九年三月。大師ニ隨ヒテ圓頓菩薩大
戒ヲ受テ比丘トナリ給ヒタルニ。大師山
師ノ爲ニ三遍迄菩薩戒疏ヲ講シテ。相傳
ノ奧義ヲ口授シ給ヘリ。山師既ニ圓戒ノ
正統ヲ得給ヒケレハ。後嵯峨帝勅シテ山師
ヲ請シテ圓頓戒ヲ受給ヒ。又月月ニ重受
シ給ヘリ。コノコト山師ノ別傳等ニ分明
也。又嘉禎元年五月二十七日。光明峯寺殿
下道家公山師ヲ屈請シテ圓頓戒ヲ受給ヘ
リ。此事定家卿ノ明月記ニ見ヘタリ。山
師戒脈相承ノ事是ノ如シ。然ルニ有人ノ
西山ノ受戒ハ天台宗ノ戒脈ニシテ。吉水
大師ノ正統ニアラスト云ハ。實ニ鹵莽ノ
甚キナリ
  西山流義祕抄事
洛西林寺空覺和尚ノ上足惠行和尚曾テ余
ニ語テ云ク。我門ニ三十八卷ノ祕抄アリ。
コレヲ山師己證ノ法門ト名ク。謂ク祕決
集二十卷・密要決五卷・曼陀羅註記十卷・四
十八願要釋抄二卷・修業要訣一卷是也。此
ノ三十八卷ノ祕抄ハ上州吾妻善導寺開基
道覺淨辨上人ノ時ヨリ始テ傳授セラレシ
コト。傳法兩部ノ卷ニモ見エタリ。サレ
トモ其實ハ山師眞撰ノ抄物ニハ非ス。其
濫觴ヲ尋ルニ。相州鎌倉ノ名越ト云處ニ。
寛法ト云生賢コキ好事ノ僧アリ。善導ノ
御疏選擇及ヒ曼陀羅等ニ事相ノ釋ヲ作
リ。自己ノ製作トイヘハ。他人コレヲ用
ヒサレハ。西山上人ノ撰述ト號シテ祕藏
シタル僞書也。若シ人アリテ其傳來ヲ尋
ヌレハ。西山上人ノ御一代ノ間ハコレハ
祕藏シテ流布シ給ハス。御臨終ノ時西谷
ノ淨音上人ニコレヲ附屬シ給ヘリ。淨音
上人モ又コレヲ祕藏シテ流布シ給ハス。
宇治ノ寶藏ニ奉納シ給ヒケルニ。淨音上
人ノ弟子律音房ト云僧ヒソカニコレヲ盜
ミ取テ。當地ヘ持參シテ。我ニ傳授セリ
ト申シケルト也。然ルニ善導寺道覺淨辨
上人相州鎌倉ノ鶴岡ノ八幡宮ヘ參詣アリ
シ時。名越ノ寛法ト云僧。山師眞撰ノ曼
陀羅ノ註記等ニ傳授セル由ヲ聞テ。若干
ノ淨財ヲ贈施シテ。元弘二年ノ春ヨリ三
箇年ノ間ニ。彼三十八卷ノ祕抄ヲ傳受シ
書寫セラレ畢ヌ。爾ヨリ以來。究竟・明觀・
名融・融舜・宏善ト相承シ來テ。西谷派ノ人
バカリ師資相承スルコトニナリヌ。是故
ニ深草派ニハ三十八卷ノ祕抄ノ沙汰ハナ
カリケルニ。西谷派ノ僧三別法藏寺ニ住
持セラレシヨリ。深草派ニモ曼陀羅ノ註
記ハカリハ傳受相承シ侍リヌ。今其僞書
タル所以ヲ論セハ。先ツ三十八卷ノ祕抄
ハ山師御在世ノ間ハコレヲ流布シ給ハ
ス。御臨終ノ時西谷ノ淨音上人一人ニ附
屬シ給フト云ハ。是第一ノ妄談ナルヘシ。
其所以ハ。山師既ニ面授附法ノ弟子アリ。
觀鏡・道觀・淨音・立信等是也。然ニ餘人ニハ
コレヲ傳受シ給ハス。唯淨音上人ノミニ
御臨終ノ時コレヲ附屬シ給フコトハ有
ヘカラサル事也。若又山師己證ノ大事ナ
レハトテ。其法器ヲ撰ヒテ唯淨音上人ノ
ミニ之ヲ附屬シ給フト云ハハ。淨音上人
モ又其法器ヲ撰ミテコレヲ附屬シ給フヘ
キコト也。然ルニ觀智ニモ了音ニモコレ
ヲ傳ヘス。其外ノ弟子ニモコレヲ傳ヘス。
誰人ノ披見センコトモ憚ラス。宇治ノ寶
藏ニ奉納シ給フコトハアルヘカラサルコ
ト也。又律音密ニコレヲ盜ミ取テ。鎌倉
ノ名越ニ至テコレヲ寛法ニ傳受スト云ハ
ハ。即チ知ヌ。山師ノ的的相承ノ傳受口
決トハ云ヘカラス。又曼陀羅ノ的的相承
ノ口決ト云テ。白色八體金色十體ノ大事。
如觀掌中ノ大事ナント云テ。數多ノ切紙
ニ寶治二年霜月二十五日證空在判ト書タ
ルハ。愈以烏論ナル切紙也。山師ノ御遷
化ハ寶治元年ナレハ寶治二年ノ相傳ハア
ルヘカラス。如之祕決集等ヲ見ルニ。其
文章ト云ヒ。釋義ト云ヒ。全ク山師ノ眞
撰ノ書ニ違ヘリ。タタ山師ノ本傳ニ載セ
サルノミニ非ス。西谷ノ愚要抄・了音ノ六
角抄・行觀ノ鵜木抄・立信ノ深草抄・道教ノ
揩定記等ニモ都テ事相ノ釋義アルコトナ
シ。決シテ知ヌ。此祕抄ハコレ寛法カ僞造
ニシテ。西山眞撰ノ書ニ非ス。是故ニ南楚
積峯純固貞準等ノ諸大徳モコレニ依用セ
ラルルコトナシ。然レトモ傳法兩部ノ卷
ニハ。古來ノママニ三十八卷ノ祕抄ヲ傳
授スル趣ヲ書載セラレタルハ。實是ヤム
コトヲ得サレハ也。然ニ曼陀羅ノ註記ハ
カリハ。是山師ノ眞撰ノ註記ニ本ツキテ
書タルモノナレハ。必スシモコレヲ僞書
ト定ムヘカラス。繪相ノ註ハ大方ハ眞撰
ノ註記ニ同ク。其釋義モ處處眞撰ノ註記
ニ同スル所アリ。寫誤少カラス。脱文甚
多ク。菽麥相交リ。玉石辨ジカタシ。故ヲ
以テ古來ノ講者或ハ一字二字ヲ削リ。或
ハ一行二行ヲ刪リ。甚クハ一紙二紙ヲ除
ケリ。所謂ル山師眞撰ノ註記トハ。是世
流布ノ本ニアラス。是空上人ノ祕藏スル
所也。元和ノ初公方ヨリ賜フ所ノ御條目
ニ載タル曼陀羅註記ト云ハ。此本ノ事也
ト申傳ヘ待ル。余若カリシ時親クコレヲ
見ルニ。曼陀羅ノ中央ヲ法事讃ノ供養三
尊會・百寶池渠會・寶樓宮殿會・寶樹寶林會・
虚空莊嚴會・大衆無生法食會ニ合シテ。或
ハ三經并ニ御疏ニ依リ。或ハ密教及餘經
ニ依リ。甚深ノ奧義ヲ釋出シ給ヘリ。然
ルニ序分ノ中ノ鼎ノ中ノ蓮花ヲ三莖ト註
シ。散善義ノ下品中生ノ女人ヲ妻妾ト註
シ。中央ノ本尊ニ肉髮ヲ缺ト云説ナシ。其
釋義ノ趣大方ハ深草抄ニ同シ。是ニ知ヌ。
道意上人此眞撰ノ註記ニ依テ。曼陀羅ノ
講談セラレシヲ。堯惠上人コレヲ聞書シ。
後人コレヲ深草抄ト名ツケタルナルヘ
シ。然ニ深草流ノ僧徒堯惠上人ノ聞書ヲ
知リナカラ。流布ノ註記ニ尊重セラルル
コトハ未タ其意ヲ得ス。上來ノ傳説ハ世
間ニ憚リアルコトアレハ。容易ニコレヲ
披露スヘカラス。汝チ當ニ憶持シテ。正
見ノ人ノ爲ニコレヲ傳説スヘシト云云
今年古稀ニ遇テ。命旦暮ニ逼レリ。因テ
是ヲ筆記シテ以テ後昆ニ貽スノミ。願ハ
可畏ノ君子正見ノ覺者應ニ是非ヲ決釋ス
ヘシ
  西山流義十通事
西山流義室中ニ所傳ノ十通ノ口傳ハ。源
ト吉水大師ヨリ出タリ。承安五年三月五
日。吉水大師夢定ノ中ニ於テ乎。金色ノ
善導大師ヲ拜瞻シ給ヒテ。淨土三部經及
ヒ御疏等ノ口訣總相別相ノ十念ノ口訣ヲ
面授相承シ給ヒテ。建久九年ノ正月上旬。
此夢定相傳ノ口訣ヲ以テ。山師ニ面授シ
給ヘリ。承久三年三月上旬。山師又此口訣
ヲ以テ。西谷淨音上人ニ面授シ給ヘリ。淨
音上人六十八歳ノ時。法孫ノ爲ニトテコ
レヲ筆記シテ十通トシ。淨土眞宗口傳ト名
ク。所謂ル十通トハ。一ニ安心決定ノ口傳。
二ニ起行正助口傳。三ニ作業行用口傳。四
ニ三種行義口傳。五ニ弘願十念口傳。六要
門十念口傳。七ニ願行具足口傳。八ニ四十
八字口傳。九論註十念口傳。十ニ疑心往
生口傳也。亨徳三年六月。洛常樂寺開
山顯海相嚴上人男山八幡宮ニ於テ。淨音
上人自筆ノ御本ヲ感得シテ。コレヲ書寫
シテ法孫ニ貽シ給ヘリ。熟コレヲ拜見ス
ルニ。實是往生極樂ノ目足也。然ニ其十
通ノ義趣ハ常ノ所談ニ異ナラス。唯心起
行ノ要義ヲ述タル物ナレハ。慶長元和ノ
比ニヤ。好事ノ學者此十通ヲ淺略ノ事ニ
思ヒナシテ。コレヲ尊重セス。其口傳ハ
十通ニ足サレトモ。十通ノ名目ヲ改メス。
弘願教ノ十念・要門教ノ十念等ニ甚深ノ口
傳ヲ設テ。コレヲ傳受シ侍ル。然ルニ此
ノ口傳ノ趣能化ノ人サヘ領解シ難キコト
ナレハ。所化ノ者ハ猶更領解スルコト能
ハサレトモ。既ニ師資相承ノ口傳トナリ
テ。正見ナル能化達モ。コレヲ改易スル
ニ由ナシ。如何トモシ難キコトニナリヌ。
若シ淨音上人ノ記スル所ノ根本ノ十通ノ
口傳。及ヒ相嚴上人ノ雜要ノ十通等ノ口
傳ヲ見給ハハ。從來ノ疑惑ヲ除キテ。眞
正ノ口傳ヲ知リ。歡喜踊躍シテコレヲ珍
敬シ給ハン事必セリ。庶幾クハ我法孫ノ
人。此眞正ノ口傳ヲ尊重シテ。安心僻越
スルコトナリ。念佛愈勇猛ニシテ。順次
ニ極樂往生ノ素懷ヲ遂ラレヨカシ。
  西山四宗兼學事
或人問テ云ク。西山上人ハ恐ハ是雜修雜
行人也。專修正行ノ念佛ノ行者ニハ非ス。
其故ハ願蓮上人ニ隨テ天台ノ止觀ヲ學
シ。政春阿闍梨ニ從テ兩流ノ眞言ヲ學
シ。又慈鎭和尚ノ中陰ノ佛事ニ。毎日ノ
法華ノ講釋七七ノ諸尊ノ讃歎ヲ勤メ。又
往生院ニ於テ供養ヲ定メテ。佛眼釋迦彌
陀ノ長日ノ供養法ヲ修セシメ。又毎月十
日都會ノ檀場ヲ立テ。祕密ノ行法ヲ修シ。
又廣ク梵刹ヲ營ミ。大ニ塔婆ヲ建テ。又
五部ノ大乘經・天台三部・淨名流涅槃疏・菩薩
戒義記・顯戒論・顯揚大義論等ヲ印板シ。
又法華三昧ヲ修セラレシコト。別傳并ニ年
譜等ニ出タリ。サレハ西山上人ハ實ニ是
雜修雜行ノ人ニシテ。專修正行ノ人ニ非
ス。如何ソ吉水大師瀉瓶ノ弟子ト名ケン
ヤ。答テ云ク。山師自行化他ノ是非ヲ沙
汰セント思ハハ。先ツ須ク山師ノ自行ノ
嚴密ナルコトヲ知ヘシ。而シテ後ニ學解
門ト學行門トノ差別ヲ知テ。次ニ菩薩ノ
化益ニ。時ト方便トヲ觀スル事ヲ知ヘシ。
先ツ其自行ノ嚴密ナルコトヲ明サハ。山
師曾テ西山ノ往生院ニ於テ淨土宗ヲ啓建
シ給フニ。三箇ノ行事ヲ立給ヘリ。一ニ
ハ不斷念佛。二ニハ六時禮讃。三ニハ問
答論議也。日課ノ淨業ハ毎日淨土ノ三部
經・六萬遍ノ念佛也。又阿彌陀經十萬卷ノ
讀誦ノ願ヲ立テテ。十萬九千七百餘卷ヲ
讀誦シ。又佛門ノ通軌ナレハトテ。梵網經
ヲモ讀誦シ給ヘリ。如是既ニ往生ノ正因
ヲ專修正行ニ決定シ給ヘル上ニハ。縁ニ
隨テ暫ク餘善ヲ修シ給フトモ。雜修雜行
ノ人トハ云ベカラズ。然ルニ雜ヲ捨テ正
ニ歸セヨト勸ムルコトハ。唯往生ノ記行
門ニ約シテ其安心ヲ論スルノミ。若念佛
ノ一行往生ノ因トスルニ足ラズト謂テ。
コト更ニ餘行ヲ加フル者ハ。復念佛スト
雖トモ雜行ノ人ト名ク。若安心ヲ佛願ニ決
シテ去行ヲ持名ニ定ムル人ハ。縱ヒ縁ニ
隨テ暫ク雜善ヲ修ストモ。隨テ修スレト
モ。隨テ回シ。生因ノ本期タタ念佛ニ在
テ。雜善ニアラス。故ニ名テ雜行ノ人ト
爲ルコトヲ得ス。應ニ知ヘシ。能修ノ人
ヲシテ正雜ノ名ヲ被ラシムルコトハ。モ
ト安心ノ因等起ニ分レテ。而モ刹那ノ行
法ニ于ルニ非ス。所謂ル但除其病不除其
法ナル者也。次ニ學解門ト學行門トノ差
別ヲ明サハ。善導大師ノ云ク。若
則從凡至聖乃至佛果一切無礙皆得
也。若欲行者必籍有縁之法。少用
多得益也。是ニ知ヌ。學解門ノ日ハ廣
ク諸宗ヲ學スルコトヲ詳シ。學行門ノ日
ハ必ス有縁ノ法ニ籍ベキ也。山師ノ願蓮
上人ニ從テ天台止觀ヲ學シ。政春闍梨ニ
隨テ兩流ノ眞言ヲ學シ給フガ如キハ。皆
是學解門ノ事也。又法華三昧ヲ修シ給フ
ト云ハ。山師學解ノ爲ニ法華披覽ノ時。夢
中ニ普賢ノ摩頂ヲ蒙リ給ヒシヲ。年譜ニ
法華三昧ヲ修シ給フト書タル也。例セハ
大師ノ華嚴披讀ノ時。龍神ノ守護セシカ
如シ。又山師ノ日課ノ淨業ニ毎日淨土ノ
三部經ヲ讀誦シ。六萬遍ノ念佛ヲ修行シ。
十萬九千七百餘卷ノ阿彌陀經ヲ讀誦シ給
フ如キハ。即是學行門ノ邊也。サレハ天
台眞言ヲ學シ給ヘハトテ。雜修雜行ノ人
トハ云ヘカラス。次ニ菩薩ノ化益ニ時ト
方便トヲ觀スルコトヲ明サハ。其事原ト
座禪三昧經ニ出タリ。按スルニ吉水大師
御在世ノ時ヨリ御滅後ニ至マテ。念佛ノ
弘通ニ數數他宗ノ障難アルコトハ。偏ニ
專修ノ人ノ邪見ヲ起スニ由テ也。所謂ル
專修ノ人ノ邪見トハ。或ハ念佛門ニ於テ
戒行アルコトナシト謂テ。偶持戒ノ人ヲ
見テハ雜行ノ人ト名ケ。或ハ眞言止觀ヲ
破斥シ。或ハ餘佛菩薩ヲ誹謗スルガ如キ
是也。他宗ノ人ノ障難トハ。大師ノ御在
世ヨリ滅後ノ安貞年中ニ至マテ。南都北
嶺ノ僧徒。數數念佛ノ興行ヲ障礙セラレ
シカ如キ是也。山師此時ニ當テ京都ニ在
テ淨土宗ヲ立。念佛ヲ弘通シ給ハンコト
ハ。誠ニ大人作略ナクンハアルヘカラス。
是故ニ能時ト方便トヲ觀シ給フニ。先ツ
隨他ノ前ニ暫ク定散ノ門ヲ開テ。專修者
ノ邪見ヲ匡救シ。他宗ノ人ノ障難ヲ遠離
シ。而シテ後ニ隨自意ノ門ニ歸入セシメ
ンニハシカシト思召ケルニ。幸ニ慈鎭和尚
ノ附屬ヲ受テ。天台眞言ノ三鈷寺ニ住シ。
大乘律宗ト淨土眞宗トヲ加ヘテ。四宗兼
學ノ寺ト號シ。盛ニ圓頓戒ヲ弘傳シ。專
修者ノ無戒ノ弊風ヲ匡救シ。又供僧ヲ定
テ佛眼釋迦彌陀ノ供養法ヲ修セシメ。又
毎月十日都會ノ壇場ヲ立テ。祕密行法ヲ
修セシメ。廣ク梵刹ヲ營ミ。多ク塔婆ヲ
立。五部大乘經天台三大部等ヲ印板シ流
行シ給ヘルコトハ。彼邪見ノ人ニ眞言止
觀ヲ破斥スヘカラサルコトヲ示シ。餘佛
菩薩ヲ誹謗スヘカラサルコトヲ教ヘ給ヘ
ル也。慈鎭和尚ノ中陰ニ。日日法花ノ講談
七七ノ諸尊讃歎ヲ勤メ給ヘルコトモ前ニ
例シテ知ヘシ。是故ニ南都北嶺ニモ西山
ノ念佛弘通ハカリワ。他宗ノ障礙ニナラ
サルヤウニ沙汰シ侍テ。何ノ障礙モアラ
サリケル。サレトモ問ニ明スカ如ク。山
師自行日課ハ一日モ懈ルコト無ク。毎日
淨土三部經六萬遍ノ念佛。漸漸讀誦ノ十
萬卷ノ阿彌陀經。又佛法通儀ヲ闕ジトテ。
梵網經ヲモ讀誦シ給ヘハ。其外ニ何ノ餘
暇アリテ。何ノ餘法ヲカ修シ給ハンヤ。但
シ山師始ノ比ハ眞言ノ供養法ヲ修シ給フ
ト云ハ。彌陀供養法ノ事也。彌陀ノ供養法
ハ讀誦正行ニ攝在スルカ故也。吉水淨土
初學抄ノ眞言宗ノ下ニ云ク。若準善導意
唯彌陀供養法可讀誦正行也。是故ニ
彌陀供養法ハカリハ暫時自ラコレヲ修シ
給ヘトモ。後ニハ其供養法ヲモ閣キテ。專
修正行ニナリ給ヘル也。是故ニ別傳ニモ
眞言供養法ハ暫ハ相讀シ給ヒケレトモ。
老後ニハ閣レケルト書レタリ。サテ山師
而授附法ノ門人ニ。西谷ノ淨音東山觀教・
嵯峨ノ道觀・深草立信等アレトモ。唯圓戒
ト淨土宗トヲ相傳シテ。天台眞言ヲ傳授
シ給ハス。是ニ知ヌ。山師ノ本意一向專念
ニ在テ四宗兼學ニアラサルコトヲ。然ニ
針ノ袋ヲ脱スルカ如ク。山師ノ專修弘通
ノ意樂世間ニ陰レナキニヤ。安貞元年
并鑒者定照カ惡計ニテ。山師ヲ奧州ヘ配
流スヘキ勅命ヲ得給ヒケルニ。慈鎭和尚ノ
御弟子無動寺ノ大僧正。山師ノ御舍弟東塔
西谷寺ノ住持ノ持教房ノ僧都ヨリ。專修邪
見ノ人ニハアラザル由。山門ニ披露セラ
レケレハ。思モヨラス配流ノ難ヲ免レ給
ヒヌ。其後何ノ障礙モナク念佛ヲ弘通シ
給ヒケルニ。嘉禎元年ノ夏五月二十七日。
光明峯寺殿下道家公ノ請ニ應シテ圓頓戒
ヲ授ケ給ヒヌ。仁治三年後嵯峨帝ノ勅請
ニ應シテ。月月ニ圓頓戒ヲ授ケ給ヘリ。爾
來念佛ノ弘通更ニ忌憚ヌル所ナク。山師
ノ法孫ニ至マテ。禁中ニ於テ淨教ヲ講談
シ。問答論義セラレシコトアリ。證圓菩
薩ノ十勝論ニモ見ヘタリ。應ニ知ヘシ。山
師ノ隨他ノ前ニ暫ク定散ノ門ヲ開キ給フ
コトハ。唯是時ト方便トヲ觀察シ。專修
者ノ邪見ヲ救ヒ。他宗ノ人ノ障難ヲ除キ。
公然トシテ專修念佛ヲ弘通スヘキ御作略
ナリ。然ニ山師ヲ誹謗シテ雜修雜行ノ人
ト云ハ。是レ菩薩ノ化益ニ時ト方便トヲ
觀察シ給フコトヲ知サレハナリ
  西山流刑免許事
或人山師ヲ謗シテ云ク。善惠房ハ是負恩
違義ノ人也。其故ハ大師ノ十卷傳ニ依ル
ニ。吉水大師流刑ニナリ給ヒシトキ。善
惠房モ同ク奧州ヘ流刑ノ勅命アリケル
ニ。叡山ノ無動寺ノ大僧正東塔西谷寺ノ
持教房ノ僧都ヲ以テ。善惠房ハ專修ニ非
サル由ヲ山門ニ披露シテ。流刑之免許ヲ
得ラレタルト也。吉水大師既ニ流刑ニ臨
ミ給ヒシトキ。一人ノ弟子ニ對シテ一向
專念ノ義ヲ述シ給フコトアリケルニ。西
阿彌陀佛コレヲ留諫シテ奉リケルニ。我縱
ヒ死刑ニ行ハルルトモ。此ノ事言スニハ
アルヘカラストノ給ヘリ。然ルニ師範ノ
一向專修ノ爲ニ流刑ニナリ給ヘルコトヲ
思ハス。其身ノ流刑ヲ免ンカ爲ニ。我ハ
專修ノ行者ニ非スト云ハレシハ。實是負
恩違義ノ人ニ非スヤト難ズ。余答テ云ク。
山師ノ流刑ノ沙汰ハ吉水ノ滅後十六年。
安貞元亥年ノ事也。十卷傳ニモ山師ノ流
刑ヲ吉水同時ノコトトモイハス。然ニ吉
水流刑ノ時ト云ハルルハ先ツ無稽ノ談也。
又山師流刑ヲ免ンカ爲ニ專修ニアラサル
由ヲ。山門ニ披露シ給フト云ハルルモ僻
カ事也。無動寺ノ大僧正ハ慈鎭和尚ノ御
弟子也。持教房ノ僧都ハ山師ノ御舍弟ナ
レハ。本ヨリ山師邪見ノ專修者ニアラサ
ルコトヲ知テ。僧正ト僧都トノ御方ヨリ
山門ニ披露シテ。其厄難ヲ救護セラレシ
也。山師ノ方ヨリ少シモ分疎シ給フコト
ハナキ也。又僧正僧都ノ山門ニ披露セラ
レシ語ニ。專修ニアラサル由ト云ハレシ
ハ。其比ハ專修ノ念佛者ヲ邪見者ノヤウ
ニ云タテラレハ。邪見者ノコトヲ專修ト
名ケタル故也。サテ山師不慮ニ流刑ノ厄
難ヲ免レ給ヘトモ。猶思惟シ給フニハ。我
ハ實ニ專修念佛ノ行者也。幸ニ流刑ノ難
ヲ免ルト難トモ。而モ官所ヲアサムクコ
ト道理ナキニニタリ。應ニ流刑ノ罪ヲ償
フヘシトテ。安貞二年宇津宮入道實信房
蓮生ト共ニ奧州ヘ下向シ給ヒシニ。信州
ノ善光寺ニ至マテ十一筒ノ大伽藍ヲ建立
シテ。或ハ曼陀羅ヲ置キ。或ハ不斷念佛
ヲ始メ。終ニ奧州ニ至リテ又一寺ヲ建立
シテ念佛ヲ弘傳シ給ヘリ。其跡今ニ在ト
ナン。此奧州下向ノトキ。途中ニテ山師
實信房ニ傳聞。白川ノ關ハイツクソト問
ヒ給ヒケレハ。過ニシ方ニテ候ト申サレ
ケレハ。山師スナハチ觀經ノ光臺現國ノ
法門ニ寄テ
  光臺ニ見シハ見シカハミサリシヲ聞テ
ソミツル白川ノ關 ト詠シ給ヘルコト
新千載集ニ出タリ
然ルニ山師ヲ誹謗シテ。負恩違義ノ人ト
云ヘルハ。只是僻謗スル也。此人必ス拔舌
ノ罪報ヲ受ヘシ。悲哉
  淨土現世祈祷事
或人問テ云ク。東山ノ禪林寺ハ淨土宗西
山一流ノ總本寺也。然ルニ毎年正五九月
ニ大般若ヲ轉讀シテ現世ノ祈祷ヲ修セラ
ルル事ハ。未タ其意ヲ得難シ。所以何ト
ナレハ。念佛ノ行者ハ三心具足シテ現世
ノ事ヲ祈ラス。唯往生極樂ノ爲ニ一向ニ
念佛スルコソ眞ノ淨土宗ナレ。善導ノ御
意ニ依ルニ。回向發願心トハ。過去現在
世出世間ノ一切ノ善根ヲ皆悉ク往生極樂
ノ爲ニ回向スルヲ謂フ也。然ルニ三心具
足ノ上ニコト更ニ餘行ヲ修シテ現世ノ事
ニ回向セハ。恐クハ回向發願心ノ趣ニ背
クヘカラン歟。答テ云ク。我宗ニ隨自意
門アリ。隨他意門アリ。隨自意門ヲ又ハ
自行門トモ安心門トモ名ク。隨他意門ヲ
又ハ化他門トモ建立門トモ名ク。若隨自
意門ニ依ラハ。穢土厭離シ。淨土ヲ欣求
シ。唯往生極樂ノ爲ニ一向ニ念佛スヘシ。
若隨他意門ニ依ラハ。國家ヲ鎭護シ。寶
祚ヲ呪祝シテ。天下太平ノ爲ニ現世ノ事
ヲ祈ルコトアリ。而シテ其隨他意門ニ就
テ現世ノ事ヲ祈ルニ二途アル也。一ニハ
唯念佛ニ依テ阿彌陀ヲ祈ル也。二ニハ通
シテ餘法ニ依テ餘佛菩薩ニ祈ルナリ。先ツ
念佛ニ依テ阿彌陀佛ニ祈ルトハ。善導法
事賛ニ念佛誦經ノ功徳ヲ修シテ呪願シ給
フニモ。天神影衞萬善扶持。福命休強離
諸憂惱。觀音聖衆駱驛往來。念念無遺遙
加普備。春秋冬夏四大常安。大唐皇帝福
基永固。聖化無窮等トノ給ヘリ。又念佛鏡
ニ云ク。善導闍梨大行和上ノ在日。數箇
ノ疾病ノ人有テ念佛シテ總シテ差タリ。
自餘諸病念佛シテ差タル者。無量無邊ニシ
テ具ニ説ヘカラスト。又唐ノ僧傳ニ惠仙
法師念佛ノ一法ニテ他ノ病ヲ差サレシコ
トアリ。又龍舒ノ淨土文ニ。廣ク念佛ニ
現世ノ感應アルコトヲ明セリ。又雲棲ノ
竹窓隨筆ニ壽命ヲ祈リ。罪愆ヲ解キ。厄
難等ヲ濟フニ。餘經呪ヲ用ユル事ヲ呵責
シ給ヘリ。又吉水ノ九條殿下ノ北政所ヘ
進セラルル御返事ニ云ク。君達ナントノ
御祈ノ料ナントニモ。念佛カ目出度事ニ
テ候ヘハ。往生要集ニ諸行ノ中ニモ念佛
勝レタルヨシ見ヘテ候。又傳教大師ノ七
難消滅ノ法ニモ念佛ヲ勤メヨト見ヘテ
候。凡ソ十方ノ諸佛三界ノ天衆ノ擁護シ給
フ行ニテ候ヘハ。現世後生ノ御ツトメ何
事カ是ニ過キ候ハン。今ハ只一向專修ノ
但念佛ニ成ラセ給フヘク候ト。同ク鎌倉
ノ二位ノ禪尼ヘ進セラルル御返事云ク。
末法萬年ノ後三寶皆ウセテ。後ノ衆生迄
只念佛ハカリコソ。現當ノ祈祷トハ成リ
候ハメト。同有人ノ許ヘ遣ハサルル御消
息ニ云ク。何樣ニモ候ヘ。末代ノ衆生ハ
今生ノ祈リニモ成リマシテ。後生ノ往生
ハ念佛ノ外ニハ叶フマシク候ト。又隆堯
ノ念佛寄持集ニモ。一向專修ノ人ハ設ヒ
現世ノ事ヲ祈ルトモ。唯念佛ヲ用ユヘシ
ト見ヘタリ。二ニ通シテ餘法ニ依テ餘佛
菩薩ニ祈ルトハ。禪林寺ニ於テ正五九月
ニ大般若ヲ轉讀スルカ如キハ。是大臣ノ
嚴命ナルニ由テ也。按ニ昔年右大將頼朝
卿禪林ノ靜遍僧都ニ命シテ。正五九月ニ
大般若ヲ轉讀シ。天下太平ノ祈願セシメ。
禪林永代ノ恒式トナサシム。爾來凡六百
餘年ニ已ニ一寺ノ恒式トナリテ。公儀ヨ
リ警固ノ武士ヲ賜リ。法會ヲ守護セシメ
給ヘリ。何ノ所以モナク。祈祷ニコレヲ
修スルニハ非ス。若シ專雜ノ義ヲ論シ。回
向發願心ノ義ヲ論セハ。常ニ談スルカ如
ク。安心ヲ佛願ニ決シ。起行ヲ持名ニ定
ムル人ハ。縁ニ隨テ暫ク雜善ヲ修ストモ。
修スルニ隨テ隨テ回シ。常ニ專心ナラシ
ム。サレハ正因ノ本期唯念佛ニ在テ雜善
ニ非ス。故ニ名テ雜行ノ人ト爲ルコトヲ
得ス。又何ソ回向發願心ノ趣ニ背カンヤ。
又山師ノ後嵯峨帝ノ勅願ニ依テ。梵網經
ヲ長講シテ國家ヲ鎭護シ給フカ如キハ。
是國王ノ勅命ナルニ由テ也。薩婆多ノ中
ニ違王制故吉羅也トアレハ。佛法ヲ學ス
ル人ハ必ス國王大臣ノ嚴命ニ背クヘカラ
ス。吉水大師ノ後白川院ノ勅請ニ依テ。如
法經ノ先達トナリ給ヘルカ如シ。又用意
問答等ニ依テ。念佛ヲ以テ餘願回向スル
コトヲ嫌テ。現世ノコトハ餘メ佛菩薩ニ
祈ル者アリ。此又一義也。是非スヘカラ
ス。然ニ有人用意問答等ニ依テ。堅ク念
佛ヲ以テ餘願回向スルコトヲ制テ云ク。
往生極樂ノコトハ念佛ノ司ル所也。現世
祷ハ餘行ノ司ル所也。サレハ往生極樂ノ
爲ニハ一向ニ念佛スヘシ。現世ノ祈祷ハ
餘ノ佛神ニ申スヘシ。念佛ヲ以テ現世ノ
事ヲ祈ルハ還入三惡道ノ業也ト云ニ。今
謂ク。此解恐ハ光明吉水ノ素意ニ契クヘ
カラス。今應ニ有人ノ所依ノ用意問答等
ヲ引テ。逐一ニコレヲ辨明スヘシ。用意
問答ニ云ク。後世者ノ今生ヲ祈ルヤウ候
ハス。但シ下根ノ行者ハ厭離ノ心淺クシ
テ。今生ヲモ祈ルコトアラハ。餘ノ佛神
ニ祈リ申スヘキ歟。故上人瘧病ノ時。念
佛ヲ以テ落シ給ヘト有人申ケレハ。是ハ
小事也。往生ノ大事ヲ申サン上ハトテ用
ヒサセ給ハサリケリ。是ヲ龜鑑トスヘキ
歟。今解ス。忠公ノ二ノ字ヲ置キテ疑テ
決シ給ハサルハ。吉水ノ御意ヲ恐慮シテ。
偏ニ餘願回向ヲ遮シ給ヘル也。按スルニ
忠公ノ在世未タ向ニ所引吉水ノ御消息ヲ
ミ給ハス。若シコレヲ見給ハハ如何ソ恐
盧ノ語ヲ設ケ給ハンヤ。又繪詞傳ニ所
ノ吉水ノ鎌倉ノ二位ノ禪尼ヘ進セラルル
御返書ニ云ク。此世ノ祈リニ念佛ノ外ニ
佛ニモ神ニモ申經ヲモ讀書キ佛ヲ造ラン
ハ。專修ヲ礙ル行ニテハ候ハスト。今解
ス。此ノ御返書ノ文言ハ抄略ニシテ。其意
辨シ難シ。語證録ノ具ナル文ニ云ク。一
此世ノ祈リニ念佛ノ意ヲ知ラスシテ。佛
神ニモ申シ。經ヲモ誦書キ。堂ヲモ造ラ
ハ。其レモ先キノ如クニ候ヘシ。セメテ
又後世ノ爲ニセハコソ候ハメ。其要ナシ
ト仰セ候ヘカラス。專修ヲサフル行ニモ
アラザリケリト思召候ヘシト。此連續ノ
文ヲミルニ。此世ノ祈リニ念佛ノ意ヲ知
ラスシテトアレハ。是レ一向專修ノ人ノ上
ヲ宣ヘル御詞ニアラス。未タ念佛ノ旨ヲ
意得オル者。此ノ世ノ爲ニ佛神ヲ祈リナ
トスルヲハ強チニ制スヘカラス。我カ專
修ノ妨ニモ成ヘカラサレハト下知シ給ヘ
ル文言也。又吉水大師大胡ノ妻室ヘ遣サ
ルル御返書ニ云ク。往生ニアラサル道ニ
ハ餘行マタ各ツカサトル方アリト。今解
ス。此文ノ意ハ現世ノ祈リニハ。其ノツ
カサトル所ノ餘法ヲ用ユヘシト云義ニハ
非ス。コレ娑婆悟道ノ爲ナントニハ。其
ツカサトル所ノ顯密ノ止ンコトナキ行業
モ。數多アルヘケレトモ。往生極樂爲ニハ。
本願念佛ニ過タルコトナシト示シ給ヘル
也。應ニ知ヘシ。吉水ノ御意ニ依ルニ。專
修ノ行者ハ本ヨリ此世ノ事ヲ祈ルヘキ樣
候ハス。若下根ノ人ノ現世ノ事ヲ祈ル事
アリトモ。唯阿彌陀佛ニ申シ奉ルヘシ。餘
佛神ニ申シ。餘經呪ヲ誦スルコトハアル
ヘカラス。但シ國王ノ嚴命ニ由リ。一寺
ノ恒式ニ用テ餘法ヲ修メ。天下太平ヲ呪
祝スルカ如キハ。是同日ノ談ニアラス。然
ニ有人念佛ヲ以テ現世ノ事ヲ祈ルヲ。還
入三惡道ノ業ト謂テ。而モ餘佛菩薩ニ現
世ノ事ヲ祈ル事ヲ許スハ。是謬ノ甚キ也。
又今時ノ人光明吉水ノ御意ヲ會得セス。
公然トシテ餘ノ佛神等ヲ造立シ。愚夫愚
婦ヲ勸テ現世ノ事ヲ祈ラシムル事ハ。誠是
淨土宗ノ罪人也。問。若爾ラハ下根ノ行者
厭離ノ心淺クシテ。現世ノ事ヲ餘佛神ニ
祈ル事アラハ。往生ノ障トナルヘキヤ否
ヤ。答。タトヒ阿彌陀佛ニ祈ルトモ。深ク
現世ノ事ニ著シテ往生極樂ノ志薄キ者
ハ。必ス往生ノ障トナルヘシ。タトヒ餘佛
神ニ祈ルトモ。往生極樂ノ障礙ナク。念
佛ヲ相續センカ爲ナラハ。爭テカ往生ノ
障トナルヘキソ。其本期ノ志往生極樂ノ
念佛相續ノ爲ナルカ故也。但シ現世ノ事
ヲ餘佛神ニ祈ルヘカラスト云ハ。是光明
吉水ノ御意テ顯示スルノミ
  西山流義盛衰事
山師ノ自行化他ノ超絶スルコトハ。具ニ
本傳等ニ載スルカ如シ。十一箇所ノ伽籃
ヲ建立シ。處處ニ塔婆ヲ立。或ハ曼陀羅
ヲヲキ。或ハ不斷念佛ヲ始メ給ヒケル。在
家ニハ上ハ寛元帝ヲ始奉リ。深ク其道化
ニ歸シ。月月ニ圓頓戒ヲ重受シ給ヒ。光
明峯寺殿下モ圓戒ヲ受得シ給ヒ。久我・徳
大寺。西圓寺等ノ三公丞相。乃至家家ノ月
卿雲客歸敬セラレスト云コトナシ。出家
ニハ叡山三千ノ貫主ヲ始トシテ。僧正已
下ノ高僧達悉ク師長ノ禮ヲ敦クセラル。
サレハ吉水滅後京都ニ於テ淨土宗ヲ弘通
シ給フ事。山師ノ右ニ出ル人ナシ。又山
師ノ高弟西谷淨音上人ハ。始ハ粟生光明
寺ニ住シ。後ニ仁和寺ノ西谷ト云處ニ新
光明寺ヲ建立シ。淨教ヲ弘通セラレケル
ニ。寛元帝文應帝同ク其勸化ニ歸依シ給
ヘリ。又山師ノ弟子東山觀鏡上人ハ。東
山宮ノ辻ニ阿彌陀院ヲ建立シ。盛ニ淨教
ヲ弘通シ。又禪林寺ニ數數講席ヲ開カル。
又山師ノ弟子嵯峨道觀上人ハ。學才ノ名
アリ。寛元帝小倉山ニ淨金剛院ヲ建立シ。
觀公ヲ延テ開山トシ。盛ニ淨教ヲ弘通セ
シム。又山師ノ弟子深草ノ立信上人ハ。西
山遣仰ノ兩刹ヲ管シ。又龍護殿ヲ修補シ。
盛ニ淨教ヲ弘通セラル。又深草ニ眞宗院
ヲ建立セラレシモ。寶治帝勅シテ祈祷ノ
道場トナシ給ヒヌ。又山師ノ弟子遊觀上
人ハ。西山ノ三鈷寺ヲ補處シ。圓戒念佛
ヲ弘通セラル。玄觀・示道・實導等師資相承
シテ。四宗ヲ兼學シ。二尊院遣迎院・盧山寺・
般舟院モ相共ニ西山三鈷寺ノ風儀ヲ傳習
シ。舊例ニ依テ御戒師トナル人多シ。又
山師弟子道覺親王ハ。後鳥羽院ノ皇子也。
寛元年中跡ヲ西山ニ遁レ給ヒ。水無瀬ノ
蓮花壽院ヲ西山ニ移シ。不斷念佛ヲ修シ
給ヒケレハ。世ニ擧テ西山ノ宮ト稱シ奉
ル是也。又山師弟子如一上人ハ。白川ノ
高橋ニ住シテ盛ニ淨教ヲ弘通セラル。正
應帝勅シチ御師範トナシテ。多年淨家ノ
經釋ヲ禀承シ給ヘリ。又山師三世弟子道
教顯意上人ハ。嵯峨釋迦院及ヒ竹林寺ニ
住シテ盛ニ淨教ヲ弘通シ。山師四世弟子
了觀漸空上人ハ。三福寺ヲ建テ盛ニ淨教
ヲ弘通セラレケレハ。文應帝數數道教了
觀ノ二哲ヲ召シテ。宗義ヲ論談セシメ給
ヘリ。如之山師ノ弟子聖達上人ハ。肥前ノ
原山ニ在テ盛ニ淨教ヲ弘通シ。又山師ノ
弟子顯性上人ハ。長門人備後ノ道臺院ニ
在テ盛ニ淨教ヲ弘通セラル。又西谷上人
三世弟子行觀上人ハ。武州鵜木ニ光明寺
ヲ建立シ。後ニ東山禪林寺ニ住シ。盛ニ
淨教ヲ弘通シ。行觀上人三世ノ弟子道覺
上人ハ。上州吾妻ニ善導寺ヲ建立シ。行
觀上人六世弟子ニ明秀上人相嚴上人ト云
アリ。明秀上人ハ紀州ニ總持寺ヲ建立シ。
盛ニ淨教ヲ弘通シ。相嚴上人洛陽ニ常樂
寺ヲ建立シ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。後花園
院御歸依マシマシテ。圓頓戒ヲ受給ヘリ。
相嚴上人ノ弟子顯巡上人ハ。洛陽ニ聖徳
寺ヲ建立シ。法弟教神上人ハ。播州ニ常
樂寺ヲ建立シ。越前ニ安樂寺ヲ建立シ。同
ク法弟ノ相忍上人ハ。洛陽ト紀州トニ善
長寺ヲ建立シ。各各戮力相共ニ淨教ヲ弘
通セラル。又行觀上人七世乘運上人ハ。尾
州曼陀羅寺ヲ建立シ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。
徳ハ朝野ニ聞ヘ。永亨帝勅紫衣ヲ賜フト
云。又西谷上人五世弟子智通上人ハ。濃
州ニ立政寺ヲ建立シ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。
永徳帝其徳ニ歸依シ給ヒ。紫衣并ニ菩薩
號ヲ賜ヘリ。智通上人弟子達智上人ハ。尾
州ニ祐福寺ヲ建立シ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。
達智上人弟子融傳上人モ。又尾州ニ正覺
寺ヲ建立シテ。淨教ヲ弘通セラル。又深
草ノ道教上人ノ弟子道意上人ハ。洛陽ニ
圓福寺ヲ建立シ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。道
意上人三世弟子龍藝上人ハ。三州ニ法藏
寺ヲ建立シ。同三世ノ人天祐上人ハ。三
州ニ崇福寺ヲ建立シ。同シ五世ノ弟子教
然上人ハ。三州ニ妙心寺ヲ建立シ。相共
ニ淨教ヲ弘通セラル。又道教上人ノ四世
ニ道宗上人ト云アリ。深草龍護殿ニ住シ
テ。盛ニ淨教ヲ弘通シ。征夷大將軍尊氏
公崇信太ダ渥シ。又山師四世弟子了觀上
人ノ法孫相續シテ。洛陽ノ三福寺ニ住シ
テ淨教ヲ弘通セラレケルニ。文龜帝ノ御
宇。永正十四年九月。三福寺主ニ勅シテ。
禁中北御所ニ於テ選擇集ヲ講談セシメ給
ヘリ。又常樂寺相嚴上人ノ法孫等順上人
ハ。始ハ常樂寺ニ住シ。後ニ粟生光明寺
ニ住シテ。盛ニ淨教ヲ弘通セラレケルニ。
大永帝御歸依マシマシテ。勅シテ紫衣ヲ
賜ヒ。又淨土根元ノ地ノ綸旨ヲ賜ヒテ中
興トナレリ。相嚴上人ノ法孫ニ宏善上人
ト云アリ。初メハ洛ノ常樂寺ニ住シ。後
ニ東山禪林寺ニ住シテ。盛ニ淨教ヲ弘通
セラレケルニ。文龜帝勅請シテ淨土法要
ヲ説シメ。即嚫儀トシテ紫色ノ袈裟ヲ賜
ヘリ。予曾テコレヲ傳聞シ。コレヲ暗記
スル事如是。具ハコレヲ繼述シ難シ。山師
ノ滅後凡ソ二百七八十年ノ間。西山義ノ
僧徒都鄙ニ於テ。伽藍ヲ建立スル事幾百
所ト云事ヲシラス。又淨教ヲ弘通スル事
幾百人ト云事ヲ知ラス。然ニ應仁ノ比ヨ
リイツトナク西山義ノ伽藍漸漸ニ廢亡
シ。僧徒モ又漸漸ニ衰微スルヲ見ルニ。荷
法ノ人誰カ痛心疾首セサランヤ。先ツ山
師ノ所居ノ西山三鈷寺ハ。草莽ノ場。狐兎
ノ穴トナリ。山師ノ廟塔モ平日供養スル
人ナシ。遣迎院ハ天台眞言ノ寺トナリテ。
圓戒念佛ノ沙汰モナク。淨橋寺ハ今ニア
レトモ。自利利他ノ沙汰モナシ。龍護殿
ノ歡喜心院ハ其跡田畑トナレリ。西谷上
人ノ所建ノ新光明寺ハ。觀鏡上人ノ所建
ノ阿彌陀院共ニソノアトヲ知ル人ナシ。
道觀上人ノ所建ノ淨金剛院モ。ソノアト
カタノ如ク二尊院ノ裡ニアレトモ。實ニ
狐兎ノ棲トナル。立信上人ノ所建ノ眞宗
院ハ。近代龍空慈空ノ兩大徳廢タルヲ興
シ。絶タルヲ繼レケレトモ。此屬立信上
人ノ五百年忌ノ追善ノ法事ニ導師スル人
モナク。眞言ノ比丘ヲ招請シケルト傳ヘ
聞ユ。又二尊院盧山寺般舟院ハ。西山三
鈷寺ノ四宗兼學ノ風儀ヲ修學セラレシ
ニ。イツシカ台密ノ寺トナリテ。圓戒念
佛ノ弘通ハ廢亡シ侍ル。又道教上人ノ所
住ノ釋迦院モ。西山ノ法孫ヲ住セシメス。
竹林寺モ廢亡シテ其跡定カナラス。了觀
上人ノ所建ノ三福寺ハ僅ニ其跡ハアレト
モ。イマタ淨教弘通ノ沙汰ヲ聞カス。聖
達上人顯性上人ノ舊跡ハ。イマタ存亡ヲ
知ラサレトモ。大方ハ他宗他流ノ寺トナ
リケン。行觀上人ノ所建ノ光明寺モ。道
覺上人ノ所建ノ善導寺モ。近代西山義ヲ
離レテ鎭西義ノ寺トナリヌ。其外ノ子院
末寺數百ケ寺。或ハ衰微シ。廢亡シ。或ハ
他宗他流ノ寺トナレリ。如是西山義ノ衰
微シ廢亡シ侍ル事ハ。全ク是山師ノ遺法
ニ過失アルニハアラス。唯是末學ノ吉水
ト山師トノ祖意ヲ知サルニ由ルノミ。或
人西山義ノ如是衰微シ廢亡スルヲ評シ
テ予ニ問テ云ク。西山義ノ所立ハ多ハ是
邪義ナリ。是故ニ佛菩薩モ諸天モコレヲ
護念シ給ハス。漸漸衰微シ廢亡スル事ト
見ヘタリ。サモナクハ如何ソ如是漸漸ニ
衰微シ廢亡スル事ノアランヤト。予答テ
云ク。伽藍ノ興廢ハ時運ノ致ス所也。偏
ニ宗義ノ邪正ヲ以テコレヲ論スヘカラ
ス。或ハ日蓮宗或ハ一念義ノ如キハ現ニ
是邪義ナレトモ。古ヨリ今ニ至テ徒黨ノ
者多ク。堂塔ノ煥麗ナルハ是豈ニ正法ノ
驗シナランヤ。又法顯傳慈恩傳等ヲ見ル
ニ。如來ノ靈跡モ斷絶スル者一ニ非ス。是
豈ニ邪義ノ驗シトセンヤ。何ソ伽藍ノ興
廢ヲ以テ宗義ノ邪正ヲ評スヘケンヤ。今
西山義ノ漸漸ニ衰微シ。漸漸ニ廢亡スル
ヲ按スルニ。其故タタ一二ニアラス。一
ニハ末學ノ徒吉水ノ本意ヲ知サルニ由テ
也。謂ク吉水大師ノ本意ハ唯一向專修ノ
念佛ニアルノミ。然ニ末學專ラ念佛ヲ修
セサルノミニ非ス。還テ名利ノ爲ニ雜行
ヲ雜修スルハ。是吉水ノ本意ヲシラサル
也。二ニハ末學ノ徒山師ノ本意ヲ知サル
ニ由テ也。謂ク山師ハ實ニコレ一向專修
ノ人也。自行ノ日課ハ淨土三部經六萬遍
ノ念佛等也。其事向ニ已ニ明スカ如シ。然
ニ吉水大師ノ御存生ノ時ヨリ御滅後ニ至
マテ。數數念佛ノ弘通ニ他宗ノ障難アル
事ハ。偏ニ專修者ノ邪見ヲ起スニ由テ也。
所謂邪見トハ或ハ念佛門ニ戒行アル事ナ
シト謂テ。偶持戒ノ人ヲ見テハ雜行ノ人
ト名ケ。或ハ眞言止觀ヲ破シ。或ハ餘佛菩
薩ヲ謗スルカ如キ是也。是故ニ山師能ク
時ト方便トヲ觀シテ。先ツ隨他ノ前ニ定
散ノ門ヲ開キテ。專修者ノ邪見ヲ匡救シ。
他宗ノ障難ヲ遠離シ。而シテ後ニ隨自意
ノ專修ノ門ニ歸入セシメンコソヨケレト
思召ママニ。幸ニ慈鎭和尚ノ附屬ヲ受テ。
天台眞言ノ三鈷寺ニ住シ。大乘律宗ト淨
土眞宗トヲ加ヘテ。四宗兼學ノ寺ト號シ。
盛ニ圓頓戒ヲ弘メテ專修者ノ無戒ノ弊風
ヲ匡救シ。又供僧ヲ定テ顯密ノ行法ヲ修
セシメ給フカ如キハ。彼眞言止觀ヲ破ス
ル者ヲ抑止シ。餘佛菩薩ヲ謗スル者ヲ抑
止センカ爲也。是善巧方便ヲ以テ遂ニ他
宗ノ障難ヲ除キ。專修ヲ弘通忌憚スル所
ナク。上ハ天子ヨリ下ハ凡鄙ノ者ニ至マ
テ。其化益ヲ蒙ムラスト云事ナシ。其事
向ニ既ニ辨スルカ如シ 吉水ノ門人數多
アリト雖モ。吉水ノ滅後京都ニ於テ念佛
ヲ弘通スル事ハ。全是山師ノミ。其時ヲ
知リ方便ヲ設ケテ。暫ク隨他ノ門ヲ開キ
給フニ由テ也。然ニ末學ノ者山師ハ四宗
兼學ノ人也ト云テ。公然トシテ雜行ヲ雜
修スルハ。是末學ノ山師ノ本意ヲ知サル
也。三ニハ祖承ノ正義ヲ謬解スルニ由テ
也。謂ク末學ノ人玄義分ノ言阿彌陀佛者
即是其行ノ釋義ト。散善義ノ三心既具無
行不成トノ釋義ニ就テ。祖承ノ正義ヲ謬
解スル事アル也。先ツ言阿彌陀佛者即是
其行ノ釋義ヲ謬解ストハ。山師一處ノ釋
ニ。即今南無阿彌陀佛ト稱スル南無ノ二
字ハ。是歸命也。阿彌陀佛ノ四字ハ他力
ノ一行也ト述給ヒテ。口ニ稱スル南無阿
彌陀佛名號ニ願行具足シテ。必ス往生ヲ
得ル謂レヲ。阿彌陀佛即是其行ト釋シ
給ヘル也。此ニ深意アリ。謂阿彌陀佛ノ
名號カ衆生往生ノ行體トナルハ。即是阿
彌陀佛ノ佛體カ衆生ノ行體トナル義ヲ成
スル也。所以何ントナレハ。吉水大師ノ
云ク。至極大乘之意ハ名ノ外ニ無體。體外無
名。萬善妙體即於名號六字。恒沙功徳備
於口稱一行。サレハ至極大乘ノ意ハ阿彌
陀佛ノ名號ノ外ニ佛體ナク。佛體ノ外ニ
名號ナシ。名體終日相離レサレハ。口ニ
稱スル阿彌陀佛ノ名號カ衆生往生ノ行體
トナルハ。即是レ阿彌陀佛ノ佛體カ衆生
往生ノ行體トナル道理アル也。是即吉水
西山師資相承ノ正義也。若此深義ヲ知サ
ル者ハ。我等凡夫ノ口稱ノ十聲一聲ニ十
惡五逆ノ罪ヲ滅シテ。直ニ極樂ノ報土ニ
生スル事ヲ疑惑スヘキ也。若口稱ノ十聲
一聲ノ名號ハ即是所歸ノ阿彌陀佛ナレ
ハ。彼佛ノ具足シ圓滿シ給ヘル萬善萬行
カ。衆生往生ノ行體トナル事ヲシラハ。如
何ソ口稱ノ十聲一聲ニ諸ノ重罪ヲ滅シ
テ。極樂ノ報土ニ生スル事ヲ疑惑センヤ。
然ニ無道心ノ人此深意ヲ謬解シテ云ク。
南無トハ衆生ノ歸命也。阿彌陀佛者即是
其行トハ。所歸ノ佛體即是其行ト釋スル
意ナレハ。我等ハ唯南無ト歸命スルハカ
リニテ。所歸ノ阿彌陀佛カ即チ我等カ往
生ノ行體トナリテ。願行具足シテ必ス往
生ヲ得ル也。コレヲ他力ノ行體ト云也。三
萬六萬ノ多念ヲ勵ミテ往生ノ行體トセン
ト思フハ。是自力根性ノ誤リ也。所歸ノ
阿彌陀佛カ即是能歸ノ衆生ノ行體トナリ
給ヘハ。稱ト不稱トヲ論セス。タタ歸命
スレハ。願行具足シテ必ス往生ヲ得ル也
ト云云。如是謬解シテ。生涯多念ヲ勵ム事
ナシ。自損損他ヲナス事甚シ。是吉水西
山ノ本意ヲ知ラス。祖承ノ正義ヲ謬解ス
ル也。又三心既具無行不成ノ釋義謬解ス
トハ。三心既ニ具足シテ諸ノ雜行ヲ捨テ。
專ラ念佛ニ歸スル者ハ。無始ヨリ以來ノ
所作ノ諸ノ善根ヲ悉ク往生極樂ノ爲ニ回
向シ。又縁ニ隨テ暫ク修スル一切ノ餘善
マテモ。皆往生極樂ノ爲ト回向スルトキ。
一切ノ餘善從上ノ雜善ノ名ヲ改テ三輩九
品ノ正因正行トナル。コレヲ一明三福以
爲正因二明九品以爲正行ト釋シ給ヘリ。
一切ノ餘善既ニ念佛同位ノ正行トナレ
ハ。皆悉ク往生ノ行トナラスト云事ナシ。
是故ニ三心既具無行不成ト釋シ給ヘル
也。コレヲ廢立行成ノ法門ト云也。揩定
記主廢立行成ノ義ヲ釋シテ。若不廢立
成不立ト云ヘリ。是ニ知ヌ。行成ノ義ハ
既ニ三心ヲ具シテ機ヲ信シ。法ヲ信シ。諸
ノ雜行ヲ廢シテ專ラ念佛ニ歸スルトキ。
無始以來ノ所作ノ諸ノ善根ヲ。皆悉ク往
生極樂ノ爲ニ回向スルニ。其三心ノ功能
ニ由テ非本願ノ諸ノ善根ガ。三輩九品ノ
正因正行ト成タルヲ。行成ノ法門ト云也。
故ニ若廢立セサレハ行成立セスト釋スル
ナリ。然ニ餘行ヲ雜修シテ念佛ヲ專ニセ
ス。是ヲ傍正開會ト號シ。又ハ安心開會
ト名ケ。是ヲ行成ノ法門ト謂ヘルハ。是
吉水西山ノ本意ヲ知ラス。祖承ノ正義ヲ
謬解スル也。四ニハ末學ノ僞書ヲ傳習ス
ルニ由テ也。謂ク三十八卷ノ祕抄ハ鎌倉
ノ名越ノ寛法ガ僞作ニシテ。山師眞撰ノ
書ニハ非ス。是故ニ其義勢吉水山師ノ相
傳ノ趣ニ齟齬セリ。是故ニ正見ノ學者ハ
コレヲ信用スルコトナシ。然レトモ中古
ヨリ師資相承ノ祕抄ナレハトテ。コレヲ
尊信シ。傳習スル人尠カラス。是吉水西
山ノ本意ヲ知サル也。五ニハ末學ノ唯學
解ヲ好テ。眞正ノ道心ナキニ由テ也。謂
ク中古以來我宗ノ僧徒。多クハ學解ヲ專
ラニシテ。道心ノ有無ヲ論セス。大方ハ
倶舍唯識等ヲ學ヒ。楞嚴法花等ヲ學ヒ。博
學多才ヲ願ヒ。名聞利養ヲ求テ。生死事
大無常迅速ヲ觀スル事ナシ。厭離穢土ノ
志モナク。欣求淨土ノ思ヒモナク。生涯
栖遑トシテ三萬六萬ノ念佛ヲ修行スル事
ナシ。是既無道心ノ人也。豈ニ心ウキ片
輪ニアラスヤ。止觀云ク。或ハ出家人智
解溢胸。或ハ精進滅火。而不無常。諺曰。
可恰五媚。精進無道心此之謂也。伏乞
眞正ノ學者能ク思量シ給ヘ。道心ハ即是
淨菩提心也。大日經云。淨菩提心如意寶滿
世出世勝希有。反シテ知ヌ。菩提心ノ寶珠
ナキ者ハ世出世ノ勝願ヲ滿足スヘカラ
ス。然ニ我門ノ僧徒多クハ道心ナク。無
常ヲシラス。厭穢欣淨ノ思モナク。專修念
佛ヲ事トセス。是吉水西山ノ本意ヲ知サ
ル也。六ニハ末學ノ徒自行化他唯念佛ヲ
事トセサルニ由テ也。謂ク吉水大師ノ云
ク。淨土宗ノ學者ハ先ツ此旨ヲ知ヘシ。有
縁ノ人ノ爲ニハ身命財ヲ捨テモ偏ニ淨土
ノ法ヲ説ヘシ。自ノ往生ノ爲ニハ諸ノ囂
塵ヲ離レテ。專ラ念佛ノ行ヲ修スヘシ。此
ノ二事ノ外全ク他ノ營ナシト云云。然ニ
末學ノ人多クハ吉水ノ雅訓ニ違背シ。偶
説法スル事アレトモ。我身命ヲ資ンカ爲
ニシ。財利ヲ得ンカ爲ニシテ。眞實ニ人
ヲシテ順次ニ極樂往生セシメン事ヲ思ハ
ス。又我往生極樂ノ爲トテ三萬六萬ノ念
佛ヲ修スルコトモ無キハ。是吉水西山ノ
本意ヲ知サル也。今西山義ノ衰微シ。廢
亡スルヲ按スルニ。恐ハ是西山ノ末學多
クハ吉水西山ノ祖意ニ背キ。無道心ニシ
テ厭欣ノ志ナク。諸ノ雜行ヲ廢亡シ。專
ラ念佛ヲ修セサル故ナラン歟。敬テ有縁
同行ノ人ニ白ス。若シ西山ノ宗義ヲ復興
セント思ハハ。先ツ須ク眞正ノ菩提心ヲ
起シ。至誠ニ厭欣ノ志ヲ發シ。諸ノ雜行
ヲ捨テ專ラ念佛ヲ修シ。在家ニハ一萬已
上ノ念佛ヲ勵シ。出家ニハ三萬以上ノ念
佛ヲ勵シ。身命ヲ惜ス。自行化他シ。諸ノ
衆生ト共ニ順次ニ極樂ニ往生セント願求
シ。諸ノ衆生ト共ニ吉水西山ノ本意ニ相
應シ。宗門處處ニ復興シ。祖承日日ニ繁昌
セン事必然ノ道理也。若不爾者諸佛哀愍
護念モナク。諸天善神ノ隨遂擁護モナク。
外護ノ檀越モ漸漸ニ減少シ。結構ノ伽藍
モ漸漸ニ廢亡シ侍ラン歟。伏願クハ有縁
同行ノ人能能思量シ給ヘ。南無阿彌陀佛
  覺性院看住中 玄翁諦眞寫之


































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