Top/stresa_watanabe

Digital Scholarly Editions: Manuscripts, Texts, and TEI Encoding参加報告

渡邉要一郎(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

 TEIは、対象となるテキストの物理的・内容的構造を祖述するための一定のフォーマットであるため、記述すべき対象についての知識は不可欠になる。そのため、「TEIの知識を教える」と言った際に、単にTEIのフォーマットの知識の伝達に終始することは原理的に不可能である。本合宿の講義部分は、狭義の技術的な部分と、「そもそも本とは何か、校訂テキストとは何か」といった原理的問題を再確認させるための部分にバランスよく大分されていたように思われる。

 前者のうち、TEIの形式を用いて校訂テキストを作成する部分に関しては、事前にYoutubeに公開されていた動画を視聴し、ある程度知識を持っていることを前提に具体例で演習を行う、反転学習のメソッドを用いたものであった。また、そのような技術が理解されていることを前提として、テキストと画像をリンクさせる方法といった技術の他、フリーソフトウェアGephiを用いたネットワークデータ可視化の方法が教示されるとともに、TEIを用いた各国・各分野で現在進められているプロジェクトが紹介された。

 後者の「原理的問題」は、そもそも、TEIのフォーマットが依拠する(大げさに言えば)一種の世界観が提示された点で興味深いものであった。というのも、TEIは本来、西洋中世史研究に端を発した技術であるらしく、したがって、その形式は、必然的に、その制作グループの問題意識を強く反映するものとなるためである。逆に言えば、地球の反対側の文献の記述を、現行のTEIの規定そのままで十全に祖述できるか否かに関しては、全く保証がないわけである。また、記述したい要素は、研究対象に左右されるだけではなく、研究者グループによっても変化する。一世代前では全く問題とならなかった要素が、次の代では喫緊の課題となり、記録の対象になるということはまま起こり得ることである。そのため、TEIは、閉じた、完璧で、不動の体系であることを当初より意図していないようである。合宿で提示された事例は、現行のTEIがどのような祖述されるべき対象を相手としているかを物語るものであり、それは同時に、TEIが従来は対象にできていなかったテキストを暗示するものでもあった。また、かかる限界の存在は、当然講師たちの知るところでもある。TEIの前提を提示することにより、更なる普遍性と有用性のための、TEIの拡張の可能性を、我々に示しているようであった。

 エクスカーションでは、イゾラ・ベッラ島や、アンブロジアーナ図書館を訪問した。とりわけ後者では、8世紀の世界最古のクルアーン写本の一つや、13世紀の聖書写本などの、人類精神史に於ける珍宝中の珍宝が、さもそれが最も自然な在り方であるかのように、硝子に隔てられるわけでもなく無媒介に、その姿を我々の眼前に曝した。そのとき、私に浮かんだ表情はといえば、興奮や喜悦というよりも、その存在感に半ば呆れるような苦笑ではなかったかと記憶している。