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<title>比丘尼伝</title>
<author>寶唱</author>
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<persName>堀内俊郎</persName>
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<publisher>大蔵経研究推進会議</publisher>
<publisher>SAT大蔵経テキストデータベース研究会</publisher>
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                                          Commons Attribution 4.0</ref></p>
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<p xml:id="p0000000200">仏教伝道協会による英訳大蔵経を参照しつつ大正新脩大藏経を基にして現代語訳されました。</p>
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<bibl><title>比丘尼伝</title>
<author>寶唱</author>
<editor>高楠順次郎</editor>
<editor>渡辺海旭</editor>
<editor>小野玄妙</editor>
<publisher>大蔵出版</publisher>
<series>大正新脩大蔵経</series>
<date from="1924" to="1934">1924-34</date>
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<title>Biographies of Buddhist Nuns</title>
<publisher>BDK America</publisher>
<series>Bdk English Tripitaka Translation Series</series>
<editor role="translator">Li Rongxi</editor>
<editor role="translator">Diana Y. Paul</editor>
<idno type="ISBN">1-886439-14-1</idno>
<date when="2002">2002</date>
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<p xml:id="p0000000400">宝唱の『比丘尼伝』は、一冊にまとめられた中国人の比丘尼（尼僧）の伝記として唯一のものです。西暦313年から516年という203年の間の、浄撿に始まり法宣に終わる65人の尼僧に関する物語を収録しています。これは六朝期（222～589年）にあたり、仏教が中国の土壌にしっかりと根付き、中国人に広く普及した時期でした。</p>
<p xml:id="p0000000500">仏教の教えに影響され、男性信者と同じくらい熱心な信仰心を持った女性信者が現れ始めました。これらの女性信者たちは、出家の托鉢行者として仏教の実践のみに身を捧げたいと望んでいました。これは仏教が中国に広まった際に起きた自然ななりゆきでした。ですが、仏教の伝統において、比丘尼になることは、けっして簡単な試みではありませんでした。</p>
<p xml:id="p0000000600">ブッダは不平等な社会システム、とりわけインドに古くからあるカースト制を非難しました。社会全体でのカースト制を廃止する立場にはありませんでしたが、自分の教団の範囲内では、彼は一貫してそれに反対の立場で説法し、行動しました。ブッダは、人の高貴さや粗野さは生まれによって決まるのではなくて各人の行いによって決まるのだと宣言し、元のカーストの如何に関わらず誰にでも、自分の教団への門戸を開きました。誰もが、サンガ（僧院のコミュニティー）の構成員として迎えられ、その内部で、平等な権利や立場を享受しました。</p>
<p xml:id="p0000000700">ですが、女性は、ブッダに帰依するというその同じ特権を与えられませんでした。ブッダは社会における女性の重要性を見過ごしていたわけではなく、多くの場面で女性をよく賞賛しました。実際、女性信者たちがブッダの教えを広めるにあたって果たした役割は、教えの実行という点のみならず、僧団への物質的な支援を行うことに関しても、決して小さくはありません。</p>
<p xml:id="p0000000800">文献によれば、女性のサンガ入団への許可を、ブッダは当初はとてもしぶっていました。1世紀頃にさかのぼる多くの文献は、女性がサンガに登場することによってこの世界における仏教の存続が500年に縮まるであろうという不吉な予言を含んでいます。</p>
<p xml:id="p0000000900">ブッダの叔母で育ての親でもあったマハープラジャーパティーは、他の多くの釈迦族の王家の女性たちと同様に、ブッダの人格や新しい教えの奥深さの力にうたれ、この新しい信仰へと改宗しました。ですが、彼女がサンガに参加することへの許可を求めた時、ブッダは拒絶しました。ブッダのいとこであり彼の主要な弟子の一人でもあったアーナンダ（阿難）が仲立ちし、彼女のために繰り返し請願しました。それにより、ようやく、ブッダは女性が教団に入ることに同意しました。</p>
<p xml:id="p0000001000">ですが、ブッダがそれに同意したのは、比丘尼は「八重法」によって暮らすという条件付きでした。これは、女性の僧院生活者が遵守すべき通常の規則――それは男性の僧院生活者が遵守すべきそれに比べてより厳しくて数も多いのですが――に追加された、女性に特別な規則です。このようにして、サンガへ入団したいと申し出たかの女性は、真摯で、確固たる決意を示したのでした。</p>
<p xml:id="p0000001100">八重法の規定は以下の通りです。（1）100歳の比丘尼であっても、比丘に会う時には――彼がいかに若く、新米の比丘であったとしても――立ち上がり、彼のために座席を用意したのち、敬礼すべきである。（2）比丘尼は比丘を叱ったり中傷してはならない。（3）比丘尼は比丘について欠点を非難したり過ちを指摘してはならない。たとえ比丘は比丘尼にそうすることがあったとしても。（4）戒（道徳的戒め）を学んだ式叉摩那（比丘尼見習い）は、比丘から具足戒を受けねばならない。（5）もし比丘尼が僧残罪（一時的な破門という罰が与えられる重い罪）を犯したならば、半月に一度行われる会合で、両サンガ（比丘と比丘尼のサンガ）の面前で罪を懺悔告白しなければならない。（6）比丘尼は半月に一度、比丘に教誨師となってもらうようお願いせねばならない。（7）比丘尼は比丘と同じ場所で夏安居（夏籠もり）を過ごしてはならない。（8）夏安居が終わったのち、比丘尼は比丘のもとで罪を懺悔告白せねばならない。</p>
<p xml:id="p0000001200">こういう厳しい追加規程にもかかわらず、マハープラジャーパティーはそれらを非常に喜んで受け入れ、最初の比丘尼となりました。ブッダの成道から14年目のことでした。</p>
<p xml:id="p0000001300">アショーカ王の治世の間（紀元前265～238年あるいは273～232年）、マヘーンドラ長老とサンガミッタ長老尼によって、比丘尼のサンガ、つまり尼僧の僧団はインドからスリランカへと伝播しました。仏教をスリランカに布教するためにアショーカ王に派遣されたマヘーンドラは、デーヴァーナンピヤ・ティッサ王（紀元前247～207年）を仏教という新しい信仰に改宗させ、スリランカに比丘のサンガを作らせ、その使命を立派に果たしたのでした。</p>
<p xml:id="p0000001400">かのシンハラ（スリランカ）の王の姪であるアヌラー皇女も、僧団の一員となりたいと望みました。そこで、かの皇女と王族の従者たちに出家の儀式を執り行うために、その職能のある比丘尼をスリランカへと派遣するよう、パータリプトラに伝言が届けられました。こうすることが必要だったのは、比丘尼の参加なしに比丘単独では比丘尼見習い（式叉摩那）を比丘尼にすることはできないと、律（僧院内での規則）が規定しているからです。この招聘により、サンガミトラ、および、十全な資格を得てかつ必要定数を満たした比丘尼たちが、アヌラー皇女に出家の儀式を行うためにスリランカに派遣されました。彼女はかの国での最初の比丘尼となり、かくして、かの地で尼僧の僧団が確立されたのです。</p>
<p xml:id="p0000001500">5世紀中頃に、スリランカの比丘尼のサンガは中国に伝えられました。比丘尼のサンガは現在でも中国に現存しますが、その元となった国（スリランカ）では、もはや存在しません。429年にシンハラの比丘尼が中国に到着する以前にも、中国には仏教の尼僧がいました。ですが、彼らは『律』に規程されているように具足戒（より高度な出家儀式）を比丘と比丘尼の両方のサンガから受けていなかったので、十分に受戒した比丘尼とは考えられていませんでした。</p>
<p xml:id="p0000001600">本書に見られるように、浄撿は、仏道に生涯身をささげた最初の中国人女性です。彼女はジュニャーナギリ（智山）という名の比丘から、彼がカシュミーラに帰還する317年より前ごろに、十戒を受けました。ですが、浄撿はこの段階では比丘尼ではなく十戒を保つ人（沙弥尼）とみなされました。十戒を受けただけでは式叉摩那（適切に受戒した女性の新人出家修行者）とはなれないのです。</p>
<p xml:id="p0000001700">晋朝（265～420年）の咸康年間（335～342年）に、中国人の僧である僧建は、『摩訶僧祇尼羯磨』とその『戒本』（〔煩悩からの〕解放を得るための諸規則）を、月氏国で得ました。これらは升平元年（357年）に中国語に翻訳されました。これらの『律』の書物を用いて、外国人沙門であるダルマグプタ（曇摩羯多）は、中国人の比丘尼に具足戒を授けるための戒檀を設立しました。ですが、中国人沙門である道場は、その具足戒の儀式は『戒因縁経』に規程されている規則とそぐわないという理由でもって、反対しました。</p>
<p xml:id="p0000001800">ですので、比丘の集団から比丘尼として具足戒を受けたのは、この浄撿とその他3名の中国人女性が初めてで、それは泗水に浮かべられた小舟の上でのことでした。（これはスリランカの習慣の名残です。こんにちでも、受戒の儀式は、しばしば、コロンボ近郊のケラニ寺前のケラニ川に係留された小舟の上で行われます。）これのみが、その当時、女性が受戒することができる唯一の手段だったのです。なぜなら、〔比丘と比丘尼という〕二つの〔サンガからの〕受戒儀式という必要条件を満たすための専門の比丘尼がいなかったからです。これらの必要条件が満たされたのは、シンハラ人の比丘尼が429年に中国に到着した時、とりわけ、デーヴァサーラー長老尼を筆頭とする11人のシンハラ人の比丘尼から成る第2の一行が433年に中国に到着した時でした。</p>
<p xml:id="p0000001900">デーヴァサーラーとその一行のシンハラ人比丘尼たちは、比丘たちの協力も得て、〔比丘と比丘尼の〕両方によって執り行われた正式な受戒の儀式を通して、中国に比丘尼の僧団を初めて確立しました。この仏教の歴史上の重要な出来事は、本書『比丘尼伝』などといった中国仏教の書物だけに述べられているのみならず、中国の正史にも、明確な形で正式に記録されています。</p>
<p xml:id="p0000002000">もし、比丘たちのみから具足戒を受けた最初の中国人女性である浄撿が厳密な意味での比丘尼ではないとするならば、元嘉10年（433年）に、インドから来たサンガヴァルマン（僧伽跋摩）を筆頭とした比丘たちの集団と、スリランカから来たデーヴァサーラー（鉄薩羅）を筆頭とした比丘尼たちの集団によって受戒された僧果が、疑いもなく、有効な比丘尼のサンガの伝統を受け継いだ、中国人初の人ということになります。</p>
<p xml:id="p0000002100">この『比丘尼伝』の著者である宝唱は、著名な仏教の学僧です。彼は農家の生まれで、18歳の時に、律の先生であった建初寺の僧祐（444～518）の指導のもとで出家しました。彼はその寺で仏教の経典と同様に儒教や道教の哲学的な著作も学び、多才な学者になりました。</p>
<p xml:id="p0000002200">伝記作者としては、彼は、本書の他に、『名僧伝』31巻の著者とされています。熟練した目録作者であったので、彼は僧紹による『華林仏殿衆経目録』を増補し、自身で『衆経目録』（一般に『宝唱録』として知られている4巻本）を編纂しました。荘厳寺の僧である僧旻と共に、彼は『経律異相』（経と律から記事を集め分類したもの）50巻を編纂しました。彼は、『解脱道論』12巻を含む数多くのサンスクリットのテキストを中語語に翻訳したカンボジア（扶南）出身の比丘であるサンガパーラ（僧伽婆羅）によって企画された翻訳業にも参加しました。</p>
<p xml:id="p0000002300">宝唱はその著作によって中国における仏教の発展に大いに寄与しましたので、唐代の道宣が編纂した『続高僧伝』では彼のために特別に一章が設けられ、そのなかでは彼の生涯の詳細が記述されています。</p>
<p xml:id="p0000002400"> </p>
</front>
<body><div n="1" type="fascicle"><div><p xml:id="p0000002500">
<s xml:id="s0000000100">『比丘尼伝』</s>
<s xml:id="s0000000200">―比丘尼達の伝記―</s>
<s xml:id="s0000000300">大荘厳寺の釈<persName>宝唱</persName>撰</s>
<s xml:id="s0000000400">巻１</s>
<s xml:id="s0000000500"><persName>宝唱</persName>のまえがき</s></p>
</div><div type="preface">
<p xml:id="p0000002600"><s xml:id="s0000000600">（934b8） 清浄な心、気高い志、非凡な行為、特別な徳というものは、人間が生来そなえている性質が形をとったものであるだけでなく、道徳的誠実さの頂点に到達しようとする人々を鼓舞する高徳の目標になるものです。</s>
<s xml:id="s0000000700">従って<persName>顔回</persName>（孔子十哲の一人）のような学聖と肩を並べようと努力する人は、<persName>顔回</persName>と同じ種類の人だと言われています。</s>
<s xml:id="s0000000800">駿馬になろうと切に願う馬、それ自体がすぐれた牡馬であるのと同じです。</s></p>
<p xml:id="p0000002700"><s xml:id="s0000000900">そのようなわけで、洗練された徳と輝くような性質をそなえた人々の良い評判は、昔からかぐわしい香りを放ち続けています。</s>
<s xml:id="s0000001000">それゆえに著述家達は、このような人々が語った言葉を将来の人々が読めるように記録し、歴史家達と評伝家達は、かれらの業績を未来の世代を訓育するために書きとめています。</s>
<s xml:id="s0000001100">ですからかれらが語った言葉は、忘れようとしたところで、忘れることはできないようです。</s></p>
<p xml:id="p0000002800"><s xml:id="s0000001200">過去に、<placeName>カピラヴァストゥ（乎羅衞）</placeName>に偉大な悟りを得た人が生まれ、<persName>ブッダ</persName>という太陽が<placeName>ジャンブドゥヴィーパ（閻浮）</placeName>の上を照らした時、三つの世界の生きとし生ける者は皆、彼に帰依し、四種類の生物は皆慕い、あがめました。</s>
<s xml:id="s0000001300">比丘尼達の伝統は<persName>マハープラジャーパティー（愛道）</persName>に始まります。</s>
<s xml:id="s0000001400">菩薩の様々な段階に到達したり、修行の果報を得たりした比丘尼達が途切れることなく代々いました。</s>
<s xml:id="s0000001500">彼女達の名前は『ダルマ・ピタカ』（法蔵）の中に、空を横切る太陽のように、列挙されています。</s></p>
<p xml:id="p0000002900"><s xml:id="s0000001600"><persName>ブッダ</persName>が<placeName>クシナガラ（拘尸）</placeName>で自らその影を消され、その足跡をシャーラ双樹の間に終わらせられてから、年々時は絶えず過ぎて行きました。</s>
<s xml:id="s0000001700">衰退と混乱がありました。</s>
<s xml:id="s0000001800">信仰と中傷とが混じりあい、敬虔な信者達とそれらを誹謗する者達が世に現れては消えて行きました。</s>
<s xml:id="s0000001900">卑しむべき人々が起こした混乱のせいで、深遠な教えは一時隆盛を迎えた後で世に忘れ去られてしまいました。</s>
<s xml:id="s0000002000">衰退の後、<persName>ブッダ</persName>の真の教えが再興したのは、聡明かつ賢明な人々の唱道の結果なのです。</s></p>
<p xml:id="p0000003000"><s xml:id="s0000002100">像法（修行を伴わない形だけのブッダの教え）が東に伝わったのち、<persName>浄撿</persName>が中国における最初の比丘尼となり、それに数百の高徳の比丘尼達が連綿と続きました。</s>
<s xml:id="s0000002200"><persName>善妙</persName>や<persName>浄珪</persName>はとても厳しい苦行を実践しました。</s>
<s xml:id="s0000002300"><persName>法弁</persName>や<persName>僧果</persName>は瞑想の深遠なものを完全に悟りました。</s>
<s xml:id="s0000002400">また<persName>僧端</persName>や<persName>僧基</persName>は信仰に志を立てそれを堅固に守りました。</s>
<s xml:id="s0000002500"><persName>妙相</persName>や<persName>法全</persName>の偉大な評判は遠方にまで広く及びました。</s></p>
<p xml:id="p0000003100"><s xml:id="s0000002600">そのような人々は絶え間なく世に現れました。</s>
<s xml:id="s0000002700">彼女達は深い知識と高い徳を持っており、ちょうどリンリンという鈴の音で始まり、碧玉の響き渡る音色で終わる完結した楽曲のように、仏法を体現した人々です。</s>
<s xml:id="s0000002800">彼女達は実に、末法の（修行もされなくなりブッダの教えも伝えられなくなった）時代における幹であり、凋落の時に４種の人々（男女の出家者達と男女の在家者達）という葉が頼りとするところのものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000003200"><s xml:id="s0000002900">時が移り変わり、清らかな訓律は幾らか遠いものとなってきています。</s>
<s xml:id="s0000003000">しかしこれら比丘尼達の高徳の気風は、千年にもわたり、人々の模範となることでしょう。</s>
<s xml:id="s0000003100">ところが彼女達の生涯の志や業績は、集成され書物の形で紙に書き記されてきませんでしたので、私はこのことを長年残念に思っていました。</s>
<s xml:id="s0000003200">そこで私は彼女たちの伝記を著すために、碑文に刻まれた彼女たちの頌徳文を蒐集し、手記や記録を広く探して本書を著し始めました。</s>
<s xml:id="s0000003300">私はものをよく知っている学者達に尋ねたり、情報を求めて古老の所を訪れたりしました。</s></p>
<p xml:id="p0000003300"><s xml:id="s0000003400">東晋の升平年間（357～361）から梁の天監年間（502～519）までの間に生きた65人の生涯に関する詳細な記事を私は書いています。</s>
<s xml:id="s0000003500">この書の中で、私は余計な装飾をこらすことを目的とはせず、基本的な事実を書きのこしておくことに努めましたので、解脱を望む人々が、これら徳ある人々と同じ程の徳を得ようと努める助けとなるでしょう。</s>
<s xml:id="s0000003600">（934c）しかし私の文章は拙く知識も限られていますから、本書には遺漏もあることでしょう。</s>
<s xml:id="s0000003700">知識ある学者達がそれを補って下さることを私は願います。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000003400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000003800">1．晋代の<placeName>竹林寺</placeName>の<persName>浄撿</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000003500"><s xml:id="s0000003900"><persName>浄撿</persName>は元の姓を仲、名を令儀といい、彭城の出身です。</s>
<s xml:id="s0000004000">彼女の父である誕は武威地方の太守をつとめていました。</s>
<s xml:id="s0000004100">幼い頃から<persName>浄撿</persName>は学問が好きでした。</s>
<s xml:id="s0000004200">彼女は若くして未亡人になりました。</s>
<s xml:id="s0000004300">家が貧しかったので、彼女は貴族の子供達に琴の演奏と読み書きをしばしば教えていました。</s>
<s xml:id="s0000004400">彼女は法を聞き、心を躍らせてそれに信心を抱いたのですが、彼女には教え導く人がいませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000003600"><s xml:id="s0000004500"><persName>浄撿</persName>は後に<persName>法始</persName>という修行僧に出会いました。</s>
<s xml:id="s0000004600">彼は仏典にとてもよく通じており、晋の建興年間（313～316）に、王都の西門の所に寺院を建てました。</s>
<s xml:id="s0000004700"><persName>浄撿</persName>は<persName>法始</persName>のもとを訪れました。</s>
<s xml:id="s0000004800"><persName>法始</persName>が彼女に法を説くと、彼女は悟りを得ました。</s>
<s xml:id="s0000004900">心身がまだ健全なうちに、法がもたらす利益を得ようと努めねばならないと考え、彼女は数冊の経典を<persName>法始</persName>から借りました。</s>
<s xml:id="s0000005000">これらの経典を読んで彼女は仏教の趣旨を理解するに至りました。</s></p>
<p xml:id="p0000003700"><s xml:id="s0000005100">ある日、<persName>浄撿</persName>は<persName>法始</persName>に言いました。</s>「<s xml:id="s0000005200">仏典に『比丘と比丘尼がいる』と言われておりますので、私が比丘尼になるべく、戒を授けていただきたく存じます。</s>」</p>
<p xml:id="p0000003800"><s xml:id="s0000005300"><persName>法始</persName>は言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000003900">「<s xml:id="s0000005400">西の地方では、男性と女性の僧団がありますが、この国では、僧団に関する説明が十分に伝わっていないのです。</s>」</p>
<p xml:id="p0000004000"><s xml:id="s0000005500">すると<persName>浄撿</persName>は言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000004100">「<s xml:id="s0000005600">『比丘』と『比丘尼』と言われているからには、どうしてその二つの説明に違いがありましょうか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000004200"><s xml:id="s0000005700"><persName>法始</persName>は言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000004300">「<s xml:id="s0000005800">外国人たちは、比丘尼は五百の戒律を守らねばならないと言っています。</s>
<s xml:id="s0000005900">それが違いでしょう。</s>
<s xml:id="s0000006000">ですが、私の師匠にそのことを尋ねてみましょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000004400"><s xml:id="s0000006100">師匠は言いました。</s>「<s xml:id="s0000006200">比丘尼の戒律は、細かい相違点を除けば、概して比丘の戒律と全く同じです。</s>
<s xml:id="s0000006300">比丘尼の戒律は、正当な手続きを踏まずに伝承されていますが、沙弥尼（シュラーマネーリカー）は、十戒を男性サンガから受けることができます。</s>
<s xml:id="s0000006400">しかし指導する女性の師匠（和上尼、ウパードゥヤーイー）がいなければ、出家生活で頼ることのできる者は誰もいないでしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000004500"><s xml:id="s0000006500"><persName>浄撿</persName>はそこで剃髪し、沙弥尼の十戒を、その師匠から受けました。</s>
<s xml:id="s0000006600">24人の女性が彼女の例にならいました。</s>
<s xml:id="s0000006700">彼女達は<placeName>竹林寺</placeName>を宮城の西門の所に建てました。</s>
<s xml:id="s0000006800">入信したてのこれら比丘尼達には教えを説いてくれる女性の師匠がいなかったので、<persName>浄撿</persName>に教えを求めました。</s>
<s xml:id="s0000006900"><persName>浄撿</persName>は彼女たちが徳行を修めるのを助けることができる人物であったからでした。</s></p>
<p xml:id="p0000004600"><s xml:id="s0000007000"><persName>浄撿</persName>の師匠になったのは<persName>智山（ジュニャーナギリ）</persName>という名の、西方の<placeName>カシミーラ国</placeName>出身の沙門でした。</s>
<s xml:id="s0000007100">彼は心広く和やかな性格をした聡明な人物であり、瞑想にも、仏典の読誦にも秀でていました。</s>
<s xml:id="s0000007200">彼は晋の永嘉年間（307～312）に中国に来て、施しを受けながら生活していました。</s>
<s xml:id="s0000007300">彼が述べることはすべて、道を広めることを目的としていたものなのですが、当時の人々は信心がとても薄かったので、彼に教えを求めたりはしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000007400">晋の建武元年 （317）に彼は<placeName>カシミーラ国</placeName>に戻ってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000007500">後に<persName>竺仏円澄（ブッダトゥンガ）</persName>が中国を訪れ、<persName>智山</persName>の数々の徳行を話すと、人々は<persName>智山</persName>のもとで何も学ばなかったことを悔いたのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000004700"><s xml:id="s0000007600"><persName>浄撿</persName>は弟子達を迎え入れ、一群の比丘尼達を教育しました。</s>
<s xml:id="s0000007700">彼女は温和で、所作に品があり、真っ直ぐな女性でした。</s>
<s xml:id="s0000007800">彼女が説法して教化する様子は、ちょうど草が風になびくかのようでした。</s></p>
<p xml:id="p0000004800"><s xml:id="s0000007900">晋の咸康年間（335～342）に沙門の<persName>僧建</persName>は<placeName>月氏国</placeName>で『摩訶僧祇尼羯磨（マハーサンギカ・ビクシュニー・カルマン）』と『戒本（プラーティモークシャ）』とを得ました。</s>
<s xml:id="s0000008000">升平元年（357）2月8日、洛陽で外国人沙門<persName>ダルマグプタ（曇摩羯多）</persName>に戒壇を設置するように要請しました 。</s>
<s xml:id="s0000008100">しかし中国人沙門の<persName>釈道場</persName>は、『戒因縁経（シーラ・ニダーナ・スートラ）』を引き合いに出し、「戒壇がブッダの教えに則って正しく設置されていない」と異義を申し立てました。</s></p>
<p xml:id="p0000004900"><s xml:id="s0000008200">そこで一双の小舟が泗水に浮かべられ、<persName>浄撿</persName>は、他の三人の女性と一緒に、水上に浮かぶ戒壇に登って行き、比丘尼として具足戒を大僧団から受けました。</s>
<s xml:id="s0000008300">こうして<persName>浄撿</persName>は中国の地で最初の比丘尼となったのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000005000"><s xml:id="s0000008400">その儀式の日に、その場に居合わせた人々は皆、いまだ嗅いだことのない芳しい香りがしているのに気づきました。</s>
<s xml:id="s0000008500">彼等はそれを褒めたたえ驚嘆し、<persName>浄撿</persName>らにいっそうの崇敬の念を抱きました。</s>
<s xml:id="s0000008600">彼女は戒律に定められている諸々の規定を遵守し、学習を志して休むことはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000008700"><persName>浄撿</persName>はたくさんの布施を信者達から受けましたが、受けるそばから他の者に施しました。</s>
<s xml:id="s0000008800">彼女はいつも、自分のことを後にし、（935a）他の者を先にしました。</s></p>
<p xml:id="p0000005100"><s xml:id="s0000008900">升平年間の終わりに、またあの芳しい香りが立ちこめ、赤い霧が満ちるのが見られました。</s>
<s xml:id="s0000009000">そして五色の花々を手にした一人の女性が空から降りてきました。</s>
<s xml:id="s0000009100">それを見て<persName>浄撿</persName>は喜び、自分の同志の比丘尼達に言いました。</s>「<s xml:id="s0000009200">これからも御達者で。</s>
<s xml:id="s0000009300">今お別れする時が来ています。</s>」<s xml:id="s0000009400">と言って、彼女達の手を取って別れを告げてから、<persName>浄撿</persName>は空に昇って行きました。</s>
<s xml:id="s0000009500">彼女が通った道は空へと架かる虹のように見えました。</s>
<s xml:id="s0000009600">その時<persName>浄撿</persName>は70歳でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000005200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000009700">2．偽趙（後趙）の<placeName>建賢寺</placeName>の<persName>安令首</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000005300"><s xml:id="s0000009800"><persName>安令首</persName>は元の姓を徐といい、<placeName>東莞</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000009900">彼女の父忡は、後趙（319～352年）に仕え対外軍の司令官を務めていました。</s></p>
<p xml:id="p0000005400"><s xml:id="s0000010000">若い時から<persName>安令首</persName>は聡明であり、学ぶことが好きでした。</s>
<s xml:id="s0000010100">彼女が発す言葉は上品で洗練されていました。</s>
<s xml:id="s0000010200">彼女は静かで無欲な性格の持ち主であり、俗世間のことに喜びを抱くことなく物静かな落ち着きを求めました。</s>
<s xml:id="s0000010300"><persName>令首</persName>は仏教を学ぶことに喜びを覚え、結婚をしたいとは考えませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000005500"><s xml:id="s0000010400"><persName>令首</persName>の父は、「お前は結婚すべきだ。</s>
<s xml:id="s0000010500">今のようにして、お前はどうしようというのか」と言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000005600"><s xml:id="s0000010600"><persName>令首</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000010700">私は自分の心を業の道に向け、俗世以外のことをいつも考えています。</s>
<s xml:id="s0000010800">非難されようが賞賛されようが私の心は変わりません。</s>
<s xml:id="s0000010900">清廉で正直であることに自ら満足しています。</s>
<s xml:id="s0000011000">どうして（父に従い、結婚してからは夫に従い、夫亡き後は息子に従うという）三従の教えに従って婚礼をしなければならないのでしょうか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000005700"><s xml:id="s0000011100">父親は言いました。</s>「<s xml:id="s0000011200">もしお前が自分一人だけに善いと思うものを欲するなら、どうして同時に自分の両親を助けることができようか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000005800"><s xml:id="s0000011300"><persName>令首</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000011400">私が道の実践に励むのは、まさに両親はもちろんのこと、あらゆる人々を救済したいと願うからです。</s>」</p>
<p xml:id="p0000005900"><s xml:id="s0000011500"><persName>忡</persName>は<persName>仏図澄（ブッダトゥンガ）</persName>にこのことについて相談しました。</s>
<s xml:id="s0000011600"><persName>仏図澄</persName>は<persName>忡</persName>に言いました。</s>「<s xml:id="s0000011700">家に戻って、三日間、身を慎んで断食をしてから来なさい」。</s>
<s xml:id="s0000011800"><persName>忡</persName>は彼の言う通りにしました。</s></p>
<p xml:id="p0000006000"><s xml:id="s0000011900"><persName>仏図澄</persName>はいくらかの赤い糊を胡麻油と混ぜてから、<persName>忡</persName>の右手の掌に塗りつけ、彼にそれを見るよう言いました。</s>
<s xml:id="s0000012000">彼は、自分の娘と似た特徴をもった沙門が仏法を大衆に説いているのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000012100">彼はこのことを<persName>仏図澄</persName>につぶさに説明しました。</s>
<s xml:id="s0000012200">すると<persName>仏図澄</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000012300">それはあなたの娘さんの前世における姿なのです。</s>
<s xml:id="s0000012400">彼女が出家して他者を利益したことは前世でもこのようでした。</s>
<s xml:id="s0000012500">もしあなたが娘さんの願いを受け入れてやるならば、娘さんは名声と賞賛をあなたの家族の六親等の親族全員にもたらし、あなたを富貴にするでしょう。</s>
<s xml:id="s0000012600">そして、娘さんは生死の大苦海の向こう岸に渡ることでしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000006100"><s xml:id="s0000012700">家に戻ってから、<persName>忡</persName>は<persName>令首</persName>に許可を与えました。</s>
<s xml:id="s0000012800">すると彼女は剃髪し、<persName>仏図澄</persName>と<persName>浄撿</persName>尼から具足戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000012900">その後、彼女は<placeName>建賢寺</placeName>を建立しました。</s>
<s xml:id="s0000013000"><persName>仏図澄</persName>は、<persName>石勒</persName>（後趙初代皇帝、在位319～333）から贈られた、切り花のあて布をほどこした七条の衣と、象の鼻の形をした盥とを彼女に授けました。</s></p>
<p xml:id="p0000006200"><s xml:id="s0000013100"><persName>令首</persName>はさまざまな書を広く読み、読んだものは何でも誦唱することができました。</s>
<s xml:id="s0000013200">彼女の思考は深遠であり、彼女の精神的な感化は広くまた遠くに及びました。</s>
<s xml:id="s0000013300">その当時の仏教徒達は皆、彼女を敬いました。</s>
<s xml:id="s0000013400">200人を超える人々が、彼女に感化されて出家し、そうしてさらに五つの寺が建立されました。</s>
<s xml:id="s0000013500">信者達は苦難に気力を挫かれることはなく、精神的目標の達成をなしとげました。</s></p>
<p xml:id="p0000006300"><s xml:id="s0000013600"><persName>石虎</persName>（後趙第三代皇帝、在位334～349）は、<persName>令首</persName>を敬う気持ちから、彼女の父<persName>忡</persName>を宮廷の近従の地位につけ、また<placeName>清河地方</placeName>の太守の地位にもつけました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000006400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000013700">3．<placeName>司州</placeName>の<placeName>西寺</placeName>の<persName>智賢</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000006500"><s xml:id="s0000013800"><persName>智賢</persName>は元の姓を<persName>趙</persName>といい、<placeName>常山</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000013900">性格は慎み深い人でした。</s>
<s xml:id="s0000014000">彼女は僧衣を着てからは、清廉かつ深遠な心で戒律をしっかりと守り、気高い心の中に邪念を抱くことはありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000006600"><s xml:id="s0000014100">太守の<persName>杜覇</persName>は道教を篤く信仰していたので、仏教徒を嫌っていました（935b）。</s>
<s xml:id="s0000014200">彼は、自分が治めている地域の寺で生活する仏教徒の数を減らそうと考え、決められた日に彼等に試験を課すことにしました。</s>
<s xml:id="s0000014300">試験の基準はとても高くて厳しく定められたので、並大抵の人ではとうてい合格できないほどでした。</s>
<s xml:id="s0000014400">若い比丘達や比丘尼達はひどくおびえて、逃げ出しました。</s>
<s xml:id="s0000014500"><persName>智賢</persName>だけがただ一人恐れを抱くことなく、尼寺のなかで泰然自若として普段通り生活していました。</s></p>
<p xml:id="p0000006700"><s xml:id="s0000014600">試験の日に、都城の外にある弓道場に集まった人々は皆、高徳の老人ばかりでした。</s>
<s xml:id="s0000014700">比丘尼達の中で<persName>智賢</persName>だけが壮年期の人でした。</s>
<s xml:id="s0000014800"><persName>杜覇</persName>はまず初めにいくつかの質問を<persName>智賢</persName>に問い掛けました。</s>
<s xml:id="s0000014900">そして彼女が試験の水準のはるか上にあると分かりました。</s>
<s xml:id="s0000015000">彼女は容姿端麗で、弁舌は流麗でした。</s>
<s xml:id="s0000015100"><persName>杜覇</persName>はよからぬ思いを抱き、彼女を自分と二人きりになるようにしました。</s>
<s xml:id="s0000015200"><persName>杜覇</persName>のよこしまな考えを悟ると、<persName>智賢</persName>は戒律を破るまいと誓い、自らの命を顧みずに、激しく抗議し太守に抵抗しました。</s>
<s xml:id="s0000015300"><persName>杜覇</persName>は憤って、彼女を刀で斬りつけ、体に20か所以上もの傷を負わせました。</s>
<s xml:id="s0000015400">彼女は気を失って地面に倒れました。</s>
<s xml:id="s0000015500">そして<persName>杜覇</persName>が立ち去ったあと、<persName>智賢</persName>は意識を取り戻しました</s></p>
<p xml:id="p0000006800"><s xml:id="s0000015600">それ以来、<persName>智賢</persName>は一層熱心に修行して、菜食だけに頼る禁欲的な生活を送りました。</s>
<s xml:id="s0000015700">彼女は百人以上の弟子を持ち、その弟子達は、ちょうど水と乳を混ぜたように、いつも彼女と調和を保ちました。</s></p>
<p xml:id="p0000006900"><s xml:id="s0000015800"><persName>符堅</persName>が正式に認められないまま皇帝の地位を確立した時（331年）、<persName>智賢</persName>の名声を耳にし、深く尊敬しました。</s>
<s xml:id="s0000015900">彼は刺繍を凝らした袈裟を彼女のために織らせました。</s>
<s xml:id="s0000016000">できあがるまでに3年の歳月がかかり、その値は100万金でした。</s>
<s xml:id="s0000016100">後に、彼女は<placeName>司州の西寺</placeName>に住み、<persName>ブッダ</persName>の正しい教えを普及させ、仏教の信仰と実践を広めました。</s></p>
<p xml:id="p0000007000"><s xml:id="s0000016200">晋の太和年間（366～370）、70歳を超えた時にも、<persName>智賢</persName>はなおも『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を日夜一度ずつ誦唱していました。</s>
<s xml:id="s0000016300">彼女が生活している場所では、たくさんの鳥達がよく木にとまっていたものでした。</s>
<s xml:id="s0000016400">そして<persName>智賢</persName>が経行（歩く瞑想）をおこなうときには、鳥達は、囀りながら彼女の後を追いました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000007100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000016500">4．<placeName>弘農</placeName>の<placeName>北岳（寺）</placeName>の<persName>妙相</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000007200"><s xml:id="s0000016600"><persName>妙相</persName>は元の姓を張、名を珮華といい、弘農の出身です。</s>
<s xml:id="s0000016700">彼女の父<persName>茂</persName>は裕福な家庭を持っていました。</s>
<s xml:id="s0000016800"><persName>妙相</persName>は幼い頃に古典を学び、15歳の時、皇太子の侍従をしていた北地の<persName>皇甫達</persName>と結婚しました。</s>
<s xml:id="s0000016900"><persName>皇甫達</persName>は喪の期間に無作法を行ったので、<persName>妙相</persName>はこれを嫌って離婚を求め、さらに出家を願いました。</s>
<s xml:id="s0000017000">彼女の父は彼女のいずれの願いにも応じました。</s>
<s xml:id="s0000017100"><persName>妙相</persName>は厳しく修行に励み、菜食生活をしました。</s></p>
<p xml:id="p0000007300"><s xml:id="s0000017200"><persName>妙相</persName>は自分の心を知恵の書物に遊ばせ、教えの様々な相をよく理解しました。</s>
<s xml:id="s0000017300">彼女は北農の<placeName>北岳</placeName>の、原野に面した鬱蒼とした林に住みました。</s>
<s xml:id="s0000017400">多くの弟子達とともに、<persName>妙相</persName>は閑静で伸び伸びとした暮らしを楽しみながら、隠遁生活を20年あまり送りました。</s>
<s xml:id="s0000017500">苦行に励むこと久しく益々熱心になりました。</s>
<s xml:id="s0000017600">自分が人々に仏教の教えを説いて救済しようとするときはいつも、聴衆が熱心にならないことを恐れました。</s>
<s xml:id="s0000017700">時には彼女は涙を流して人々に示そうとしました。</s>
<s xml:id="s0000017800">そのようなわけで、彼女の訓育はいつも聴衆にとって非常に利益になりました。</s></p>
<p xml:id="p0000007400"><s xml:id="s0000017900">東晋の永和年間（345～356）に、北農の長官が七日間の宗教行事に出席するよう彼女を招待しました。</s>
<s xml:id="s0000018000">参集者の中の一人の在家信者が仏教に関するいくつかの質問を失礼な態度で問いかけました。</s>
<s xml:id="s0000018100"><persName>妙相</persName>はその男に厳しい顔をして言いました。</s>「<s xml:id="s0000018200">あなたは私に対して高慢なだけでなく、州の役人をも大いに軽んじています。</s>
<s xml:id="s0000018300">どうしてあなたは人々の集まりで無礼な振る舞いをするのですか。</s>」<s xml:id="s0000018400">と。</s>
<s xml:id="s0000018500">するとその男は、病気になったと言いわけして立ち去りました。</s>
<s xml:id="s0000018600">そのとき、出家も在家も皆、彼女に敬服しました。</s></p>
<p xml:id="p0000007500"><s xml:id="s0000018700">しばらく後に、彼女は病をえて床につき日を過ごしていました。</s>
<s xml:id="s0000018800">そして臨終が近づくと、彼女は晴れ晴れとしたようすで、自分の弟子達に言いました。</s>「<s xml:id="s0000018900">生まれて来るものは、豊かであろうと貧しかろうと、必ず死ぬものです。</s>
<s xml:id="s0000019000">今日はお別れです」。</s>
<s xml:id="s0000019100">このように言い終わると、<persName>妙相</persName>は亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000007600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000019200">5．<placeName>建福寺</placeName>の<persName>康明感</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000007700"><s xml:id="s0000019300">（935c）<persName>明感</persName>は元の姓を朱といい、高平の出身です。</s>
<s xml:id="s0000019400">彼女の家は代々、偉大な仏教の教えを奉じてきました。</s></p>
<p xml:id="p0000007800"><s xml:id="s0000019500">あるとき彼女は賊にとらわれました。</s>
<s xml:id="s0000019600">そして襲ってきた敵の一人は、彼女を自分の妻にしようとして。</s>
<s xml:id="s0000019700">彼女に拷問を加えましたが、彼女は、辱めは受けまいと決意していました。</s>
<s xml:id="s0000019800">そこで彼女は追放され羊飼い女にされました。</s>
<s xml:id="s0000019900">十年がたち、家に帰りたいという思いは募りましたが、彼女はどの道を通って家に帰ればよいか見当もつきませんでした。</s>
<s xml:id="s0000020000"><persName>明感</persName>は常に三宝（ブッダ、教え、サンガ）を敬い、出家したいとも願っていました。</s></p>
<p xml:id="p0000007900"><s xml:id="s0000020100">すると彼女は一人の比丘に出会い、彼から五戒を授けてもらいました。</s>
<s xml:id="s0000020200">彼はまた、彼女に『観世音経（アヴァローキテーシュヴァラ・スートラ）』を授けました。</s>
<s xml:id="s0000020300">彼女はその経典を日夜休まず学習し読誦しました。</s>
<s xml:id="s0000020400"><persName>明感</persName>は家に帰ることができたら五重の仏塔を建てようと願をかけました。</s>
<s xml:id="s0000020500">〔故郷から離れた孤独の〕憂い悲しみに耐えられず、逃げ出して東へ向かいました。</s>
<s xml:id="s0000020600">始めのうちは、道もわからなかったのですが、日夜進み続けました。</s>
<s xml:id="s0000020700"><persName>明感</persName>は山に分け入り、そこで自分の数歩先に一頭の虎がいるのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000020800">最初はひどい恐怖に襲われましたが、すぐに気持ちは定まりました。</s>
<s xml:id="s0000020900">彼女の願いのほうが強かったのです。</s></p>
<p xml:id="p0000008000"><s xml:id="s0000021000"><persName>明感</persName>は虎の後を追いました。</s>
<s xml:id="s0000021100">十日ほど旅を続けて、青州にたどり着きました。</s>
<s xml:id="s0000021200">彼女が村に入ろうとした時、虎は消えていなくなりました。</s>
<s xml:id="s0000021300">青州に戻ったものの、彼女はまたも明伯にとらわれました。</s>
<s xml:id="s0000021400">この知らせが彼女の実家に届くと、彼女の夫と息子がやって来て彼女を取り戻しました。</s></p>
<p xml:id="p0000008100"><s xml:id="s0000021500">彼女の家族はしかし、<persName>明感</persName>の意志を受け入れることを拒み、彼女が苦行を行ずるのを許しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000021600">三年間ほど〔家族への〕奉仕に励んだのち、<persName>明感</persName>は真剣に瞑想の実践に専念できるようになりました。</s>
<s xml:id="s0000021700">彼女は戒律を完全に守りました。</s>
<s xml:id="s0000021800">些細な過失を犯した時には、午前中ずっと懺悔をして、空から花の雨が降るとか、空中に声を聞くとか、<persName>ブッダ</persName>の姿を見るとか、よい夢を見るというような、めでたい印を見るまでやめませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000008200"><s xml:id="s0000021900">年を重ねるとともに、<persName>明感</persName>は修行に対して一層厳しく励みました。</s>
<s xml:id="s0000022000"><placeName>江北（長江の北）</placeName>の女達は<persName>明感</persName>を自分達の師として敬い、彼女に帰依しました。</s></p>
<p xml:id="p0000008300"><s xml:id="s0000022100">晋の永和4年（348）の春、<persName>明感</persName>は<persName>慧湛</persName>ら十名の人々と一緒に長江を渡り、公共事業を担当する大臣の何充を訪ねました。</s>
<s xml:id="s0000022200">何充は一目見てすぐに彼女をとても尊敬しました。</s>
<s xml:id="s0000022300">その当時、東晋の首都には尼寺がありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000022400">何充は自分の別邸に寺を建立することにして、<persName>明感</persName>に何と名づけるべきか尋ねました。</s></p>
<p xml:id="p0000008400"><s xml:id="s0000022500"><persName>明感</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000022600">偉大な晋朝に、今初めて四つの仏教徒の集団がすべて揃いました。</s>
<s xml:id="s0000022700">寄進者が建てるものはみな、福徳を生みます。</s>
<s xml:id="s0000022800">『<placeName>建福寺</placeName>』と名づけられてはいかがでしょうか。</s>」<s xml:id="s0000022900">と。</s>
<s xml:id="s0000023000">大臣は彼女の提案に従いました。</s>
<s xml:id="s0000023100">後に彼女は病を得てまもなく亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000008500"><title type="chapter"><s xml:id="s0000023200">6．<placeName>北永安寺</placeName>の<persName>曇備</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000008600"><s xml:id="s0000023300"><persName>曇備</persName>は、元の姓を陶といい、丹陽の建康の出身です。</s></p>
<p xml:id="p0000008700"><s xml:id="s0000023400">若くして純粋な信仰を抱き、正しい仏教の教えを実践したいと願いました。</s>
<s xml:id="s0000023500">上にも下にも兄弟姉妹がなく、彼女は母親とだけ生活していました。</s>
<s xml:id="s0000023600">彼女は母親に子としての忠義心と尊敬の気持ちをもって仕えていました。</s>
<s xml:id="s0000023700">このために彼女の一族から賞賛を受けていました。</s>
<s xml:id="s0000023800"><persName>曇備</persName>は結婚適齢期に達しても、結婚を望む男達から贈られてくる品々を受け取るのを拒んでいました。</s>
<s xml:id="s0000023900">彼女の母親は彼女の意志に反することをせず、彼女が世俗の生活を捨てることを許しました。</s>
<s xml:id="s0000024000">それから後、彼女は戒行に日夜励み怠ることがありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000008800"><s xml:id="s0000024100">晋の<persName>穆皇帝</persName> （在位345～362年）は<persName>曇備</persName>に礼をもって接し篤く敬っていました。</s>
<s xml:id="s0000024200">彼は常々「彼女を見れば見るほど、素晴らしく見える」と言って、彼女のことを褒め称えました。</s>
<s xml:id="s0000024300">彼は章皇后何氏に向かって言いました。</s>「<s xml:id="s0000024400">都（建康）の比丘尼で<persName>曇備</persName>に並ぶものはほとんどいない。</s>」<s xml:id="s0000024500">と。</s></p>
<p xml:id="p0000008900"><s xml:id="s0000024600">永和10年（354）、<persName>曇備</persName>のために皇后は尼寺を〔建康郊外の〕<placeName>定陰里</placeName>に建て、それを<placeName>永安寺</placeName>と名づけましたが、それが今日の<placeName>何后寺</placeName>です。</s></p>
<p xml:id="p0000009000"><s xml:id="s0000024700"><persName>曇備</persName>は謙虚に人々を導き、決して驕り高ぶるようすがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000024800">彼女の名声は日に日に広まり、遠方、近在を問わず三百名もの人々が彼女のもとに集まりました（936a）。</s>
<s xml:id="s0000024900">泰元21年（396）、彼女は73歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000009100"><s xml:id="s0000025000">彼女の弟子の<persName>曇羅</persName>は、経律によく通じ、機知に富み聡明かつ慎みのある人でした。</s>
<s xml:id="s0000025100">勅令により師であった<persName>曇備</persName>の任務を継承しました。</s>
<s xml:id="s0000025200"><persName>曇羅</persName>はさらに四重の塔と講堂と僧房などを建てました。</s>
<s xml:id="s0000025300">またブッダの臥像を造立し、七仏を祀る堂宇を建てました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000009200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000025400">7．<placeName>建福寺</placeName>の<persName>慧湛</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000009300"><s xml:id="s0000025500"><persName>慧湛</persName>は、元の姓を任といい、彭城の出身です 。</s>
<s xml:id="s0000025600">彼女は気品ある振る舞いをする人物で、その態度は威厳に満ちており、自らの言動に並々ならぬ注意を配っていました。</s>
<s xml:id="s0000025700">深い思慮は広く行き届き、人々を救うことが自分の務めと考えていました。</s>
<s xml:id="s0000025800">粗末な衣をまとい、菜食して、その生活に幸せを感じていました。</s></p>
<p xml:id="p0000009400"><s xml:id="s0000025900">かつて<persName>慧湛</persName>が衣を数枚持って山地を旅していた時、山賊の群れに出くわしました。</s>
<s xml:id="s0000026000">彼等は刀で<persName>慧湛</persName>を切りつけようとしましたが、彼等の手は刀を落としてしまいました。</s>
<s xml:id="s0000026100">そこで山賊達は<persName>慧湛</persName>に持っていた衣を差し出すよう求めました。</s>
<s xml:id="s0000026200">彼女はうららかに微笑んで、彼等に言いました。</s>「<s xml:id="s0000026300">みなさん、あなたがたはもっと沢山のものを御所望なのでしょうが、あいにく、ほんの少しばかりのものしか得ることはできませんよ」。</s>
<s xml:id="s0000026400">そうして彼女は衣の下の新しい内衣の紐もほどいて、それを山賊達に与えました。</s>
<s xml:id="s0000026500">しかし山賊達はその申し出を辞退して、<persName>慧湛</persName>に衣を返しました。</s>
<s xml:id="s0000026600">彼女はその衣を捨てて行きました。</s></p>
<p xml:id="p0000009500"><s xml:id="s0000026700">晋朝の建元2年（344）に<persName>慧湛</persName>は揚子江を船で渡り、公共事業を担当する大臣の何充から大いに敬礼されました。</s>
<s xml:id="s0000026800">そして彼は彼女に<placeName>建福寺</placeName>に住むように懇請しました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000009600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000026900">8．<placeName>延興寺</placeName>の<persName>僧基</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000009700"><s xml:id="s0000027000"><persName>僧基</persName>は元の姓を<persName>明</persName>といい、<placeName>済南</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000027100">彼女はまだ若く髪を結ぶ年頃に、道に志を抱き、出家を願いました。</s>
<s xml:id="s0000027200">しかし<persName>僧基</persName>の母親はそれを許さず、密かに<persName>僧基</persName>を嫁にやる約束をしました。</s>
<s xml:id="s0000027300">結婚相手からの結納の品々は彼女の目につかないように隠されていました。</s>
<s xml:id="s0000027400">結婚式の日が近づいた頃、<persName>僧基</persName>はそのことに気づきました。</s>
<s xml:id="s0000027500">すると彼女は食を断ち、一滴の水さえも飲みませんでした。</s>
<s xml:id="s0000027600">彼女の親族は彼女に食事をとるように懇願しましたが、彼女は意志を変えようとはしませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000009800"><s xml:id="s0000027700">七日目に、<persName>僧基</persName>の母親は花婿を呼びました。</s>
<s xml:id="s0000027800">その花婿は信心の篤い人でした。</s>
<s xml:id="s0000027900">自分の新婦が死に瀕しているのを見るや、彼は<persName>僧基</persName>の母親に言いました。</s>「<s xml:id="s0000028000">人にはそれぞれ自分の志があります。</s>
<s xml:id="s0000028100">誰もその志を奪うことはできません。</s>」<s xml:id="s0000028200">と。</s>
<s xml:id="s0000028300">母親は彼の言葉に従いました。</s></p>
<p xml:id="p0000009900"><s xml:id="s0000028400">こうして<persName>僧基</persName>はついに出家しました。</s>
<s xml:id="s0000028500">時に21歳でした。</s>
<s xml:id="s0000028600">父方母方の親族が皆、彼女に賛辞を捧げました。</s>
<s xml:id="s0000028700">彼等は競い合って高価な花々や美味な食事を布施しました。</s>
<s xml:id="s0000028800">州の長官は楽師達を送り、郡の行政官は自らその行事に出席しました。</s>
<s xml:id="s0000028900">出家者も在家者も皆、「これは前例のない出来事だ」と賛嘆の声を上げました。</s></p>
<p xml:id="p0000010000"><s xml:id="s0000029000"><persName>僧基</persName>は戒律を清らかに守り、多くの経典を一生懸命に学びました。</s>
<s xml:id="s0000029100">彼女の名声と地位は<persName>曇備</persName>尼にほぼ並ぶものでした。</s>
<s xml:id="s0000029200">彼女は中央権力ととても密な関係を持ち、公の事についても良い意見を述べました。</s>
<s xml:id="s0000029300">このために<persName>康皇帝</persName>（在位342～344年）は彼女を深く尊敬していました。</s></p>
<p xml:id="p0000010100"><s xml:id="s0000029400">建元2年（344）、皇后<persName>褚氏</persName>は<persName>僧基</persName>のために都の城壁の門外の通恭通りに寺を建て、<placeName>延興寺</placeName>と名づけました。</s>
<s xml:id="s0000029500"><persName>僧基</persName>は百人余りの尼僧らとそこに住みました。</s>
<s xml:id="s0000029600">事にあたって<persName>僧基</persName>は正しく公正で、出家在家のいずれからも尊敬を受けました。</s>
<s xml:id="s0000029700">隆安元年（397）に68歳で世を去りました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000010200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000029800">9．<placeName>洛陽</placeName>の<placeName>城東寺</placeName>の<persName>道馨</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000010300"><s xml:id="s0000029900"><persName>竺道馨</persName>は元の姓を<persName>羊</persName>といい、<placeName>太山</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000030000">彼女は大変誠実な人で、人と諍いを交えるようなことはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000030100">沙弥尼であった時、いつも尼寺に居住している人々の世話をして、彼女の口は常に経典を唱えていました。</s>
<s xml:id="s0000030200">そして20歳になり『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』『維摩経（ヴィマラ・キールティ・ニルデーシャ・スートラ）』などの経典を誦掌することができました（936b）。</s></p>
<p xml:id="p0000010400"><s xml:id="s0000030300">具足戒を受けたのち、<persName>道馨</persName>は仏教の理法と教えの味を学びきわめ、菜食して苦行し、年を重ねるに従ってますます励みました。</s>
<s xml:id="s0000030400">彼女は<placeName>洛陽</placeName>の<placeName>東寺</placeName>に住み、討論に秀でていました。</s>
<s xml:id="s0000030500">彼女は『小品般若経』によく通じていました。</s>
<s xml:id="s0000030600"><persName>道馨</persName>は教えを理解することを重んじ、美辞麗句を用いた議論にふけろうとはしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000030700">州の仏教を学ぶ者達は皆、彼女を自分達の師とみなしました。</s>
<s xml:id="s0000030800">中国で、比丘尼として経典を講義したのは、<persName>道馨</persName>が最初の人でした。</s></p>
<p xml:id="p0000010500"><s xml:id="s0000030900">晋朝の泰和（太和）年間に<persName>楊令弁</persName>という女性があり、道教を信仰し気功術を専ら実践していました。</s>
<s xml:id="s0000031000">以前は、たくさんの人々が彼女を敬い従っていましたが、<persName>道馨</persName>が教える道が広く定着すると、<persName>楊令弁</persName>が実践する術は人々に注目されなくなり、消滅してしまいました。</s></p>
<p xml:id="p0000010600"><s xml:id="s0000031100"><persName>楊令弁</persName>は、自分と<persName>道馨</persName>は同じ一族なのだという口実を設けて、<persName>道馨</persName>と知り合いになり、互いに行き来するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000031200">しかし<persName>楊令弁</persName>は心のうちでは<persName>道馨</persName>に対して怨恨を抱いており、毒殺する機会をうかがっていました。</s>
<s xml:id="s0000031300">後に、<persName>道馨</persName>の食事の中にこっそり毒薬を入れました。</s>
<s xml:id="s0000031400">様々な治療も<persName>道馨</persName>を治すことはできませんでした。</s>
<s xml:id="s0000031500"><persName>道馨</persName>の弟子達は病を得た家の名を聞き出そうとしましたが、彼女は答えて言いました。</s>「<s xml:id="s0000031600">私はその人物を知っています。</s>
<s xml:id="s0000031700">しかしこれは全て過去の自分の業の結果なのです。</s>
<s xml:id="s0000031800">ですからあなた方は問うてはなりません。</s>
<s xml:id="s0000031900">かりにそれが私に利益があるとしても、私は言いません。</s>
<s xml:id="s0000032000">それは無益なことです」と。</s></p>
<p xml:id="p0000010700"><s xml:id="s0000032100">そうして彼女は、自分に毒を盛った者を明かすことなく息を引き取ったのでした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000010800"><title type="chapter"><s xml:id="s0000032200">10．<placeName>新林寺</placeName>の<persName>道容</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000010900"><s xml:id="s0000032300"><persName>道容</persName>は歴陽の出身で、烏江寺に住んでいました。</s>
<s xml:id="s0000032400">彼女は厳格に戒律に定められたとおりに実践していました。</s>
<s xml:id="s0000032500">占いが得意で、事前に吉凶を知り禍福に備えることができました。</s>
<s xml:id="s0000032600">人々は彼女が聖人だと伝えました。</s>
<s xml:id="s0000032700">晋朝の<persName>明帝</persName>（在位323～326年）は彼女を深く崇敬していました。</s>
<s xml:id="s0000032800">あるとき彼は<persName>道容</persName>が本当に聖人なのか凡庸なのかを試そうとして、花々を彼女の座の下に置きました。</s>
<s xml:id="s0000032900">果たしてその花々はしおれませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000011000"><s xml:id="s0000033000">また、<persName>簡文帝</persName>（在位371～372年）は、帝位につく前に清水の道教の大家に師事していました。</s>
<s xml:id="s0000033100">この大家は都では<persName>王濮陽</persName>の名で知られており、彼のために宮廷内に道教寺院が立てられました。</s>
<s xml:id="s0000033200"><persName>道容</persName>は将来の皇帝を導こうと力を尽くしましたが、彼は彼女の言うことを聞こうとしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000033300">後に、女官達が道教寺院に入る時には決まって、本堂が沙門の姿をとった天人で満ちているのを見るようになりました。</s>
<s xml:id="s0000033400">皇帝は<persName>道容</persName>の仕業ではないかと疑いましたが、そうだと確信するには至りませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000011100"><s xml:id="s0000033500"><persName>簡文帝</persName>が帝位についた後、数羽の烏が<placeName>太極殿</placeName>に巣を掛けました。</s>
<s xml:id="s0000033600"><persName>簡文帝</persName>は<placeName>曲安遠</placeName>に使者を送り、ノコギリソウを用いて占わせました。</s>
<s xml:id="s0000033700">占い師は「南西にいる女性の師がこの怪異を除くことができます」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000033800">皇帝は使者を送って<persName>道容</persName>を<placeName>烏江寺</placeName>から招き、このことを彼女に訊ねました。</s></p>
<p xml:id="p0000011200"><s xml:id="s0000033900"><persName>道容</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000034000">すべきことはただ一つ、七日間身を清めて八斎戒を守ることです。</s>
<s xml:id="s0000034100">そうすれば自然に消えるでしょう」と。</s>
<s xml:id="s0000034200">皇帝は彼女のことばに従い、精神を集中して斎戒を守りました。</s>
<s xml:id="s0000034300">すると七日たたないうちに、烏達は集まって巣を運び去って行きました。</s></p>
<p xml:id="p0000011300"><s xml:id="s0000034400">それから皇帝は<persName>道容</persName>を深く信じて尊敬し、彼女のために寺を建て、必要な品々を与えました。</s>
<s xml:id="s0000034500">その寺は林の中にあったので「新林寺」と名づけられました。</s>
<s xml:id="s0000034600">それから彼は師に対するのにふさわしい礼節をもって彼女に仕え、正法を奉じるようになりました。</s>
<s xml:id="s0000034700">後に晋朝が仏道を称揚し広めたのは、<persName>道容</persName>の努力のおかげだったのです。</s>
<s xml:id="s0000034800">〔晋朝の〕<persName>孝武帝</persName>の時代（在位373～396年）、<persName>道容</persName>はいっそう崇められ、尊敬の的となりました。</s>
<s xml:id="s0000034900">太元年間（376～396）に彼女は突如姿を消し、誰も彼女がどこへ行ったのか知りませんでした。</s>
<s xml:id="s0000035000">皇帝は彼女の衣と鉢を墓に納めるよう命じ、墳墓が寺の傍にあるのはそのような事情によるわけでした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000011400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000035100">11．<placeName>司州</placeName>の<placeName>西寺</placeName>の<persName>令宗</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000011500"><s xml:id="s0000035200"><persName>令宗</persName>は元の姓を満といい、<placeName>高乎</placeName>の<placeName>金郷</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000035300">彼女は子供のころから、純粋な信仰を抱き、地元の人々から賞賛されていました（936c）。</s>
<s xml:id="s0000035400">彼女の家族は騒乱に遭い、彼女は侵略者達によって囚われて連れ去られました。</s>
<s xml:id="s0000035500"><persName>令宗</persName>は心からの誠意をこめて仏法僧と唱え、〔『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』の〕『〔光世音〕普門品」を誦唱しました。</s>
<s xml:id="s0000035600">彼女は眉毛を引き抜いて、悪い病気に罹っていると訴えて解放されました。</s></p>
<p xml:id="p0000011600"><s xml:id="s0000035700"><persName>令宗</persName>は道をたどって南に帰ろうとして、<placeName>冀州</placeName>を出た時、彼女はまたもや山賊の集団に追いかけられました。</s>
<s xml:id="s0000035800">彼女は森の中の一本の木に登り、一心に瞑想しました。</s>
<s xml:id="s0000035900">彼女を追ってきた者達は前だけを見て、終に上を見上げなかったので、彼女を探しだすことができず、退散して行きました。</s></p>
<p xml:id="p0000011700"><s xml:id="s0000036000"><persName>令宗</persName>は木から降りて旅を続けましたが、あえて食べ物を乞いに行こうとはしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000036100">彼女は、初めは空腹を感じませんでした。</s>
<s xml:id="s0000036200">夕刻、<placeName>孟津</placeName>（黄河河畔の渡し場）に到着しましたが、船が無く渡ることができませんでした。</s>
<s xml:id="s0000036300">恐れと不安にかられ、<persName>令宗</persName>は再び三宝に助けを求めました。</s>
<s xml:id="s0000036400">すると突然、一頭の白い鹿がどこからともなく現れるのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000036500">鹿は降りて河を渡りましたが、砂塵がその後に立ち上るだけで波は立ちませんでした。</s>
<s xml:id="s0000036600"><persName>令宗</persName>はその鹿の後を追って、ちょうど乾燥した大地の上を平らに歩くように、濡れることなく河を渡りました。</s>
<s xml:id="s0000036700">このようにして彼女は自分の家にたどり着くことができました。</s></p>
<p xml:id="p0000011800"><s xml:id="s0000036800"><persName>令宗</persName>は、すぐに宗教生活に入り、熱心に仏教を深く学びました。</s>
<s xml:id="s0000036900">彼女は真摯な心で学習し、道を実践しました。</s>
<s xml:id="s0000037000">諸々の経典を広く読み、深い意味を理解し、仏教の教えの本質をつかみました。</s></p>
<p xml:id="p0000011900"><s xml:id="s0000037100">晋の<persName>孝武帝</persName>（在位373～396年）はこれを聞いて、彼女のもとに自分の尊敬の気持ちを伝える手紙を送りました。</s>
<s xml:id="s0000037200">後に人々は疫病に苦しめられ、大勢の人々が貧困にあえぎました。</s>
<s xml:id="s0000037300"><persName>令宗</persName>は彼等を苦しみから救うために自分の手もとにある資産を全て使いました。</s>
<s xml:id="s0000037400">そしてどれだけ遠くても、またどれだけ障害があろうとも、人々から喜捨を集めることに努力を惜しみませんでした。</s>
<s xml:id="s0000037500">たくさんの人々が援助を受け、彼女を頼りにしましたが、その一方で彼女自身は飢餓や苦しみを耐え忍んでいました。</s>
<s xml:id="s0000037600">彼女の体はやせ衰えました。</s></p>
<p xml:id="p0000012000"><s xml:id="s0000037700">75歳を迎えたある朝、<persName>令宗</persName>は突然、弟子達を呼んで前の晩に見た夢のことを話しました。</s>「<s xml:id="s0000037800"><placeName>スメール</placeName>（須弥）という大きな山を見ました。</s>
<s xml:id="s0000037900">高い峰が美しく天に届き、宝石で飾られて太陽のようにきらきらと輝いていました。</s>
<s xml:id="s0000038000">法鼓が高らかに鳴り響き、香の煙が芳しくたなびいていました。</s>
<s xml:id="s0000038100">そして前に進むように言われた時、驚いて眠りから覚めたのです」。</s>
<s xml:id="s0000038200">その時彼女の身体に不意にいつもと違う様子がありました。</s>
<s xml:id="s0000038300">痛みや苦しみを感じている風はなく、昏睡したかのようでした。</s>
<s xml:id="s0000038400">仲間の<persName>道津</persName>尼は「〔夢に見られたのは〕きっと極楽にちがいありません」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000038500">彼女等との会話が終わらないうちに、<persName>令宗</persName>は急に遷化しました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000012100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000038600">12．<placeName>簡静寺</placeName>の<persName>支妙音</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000012200"><s xml:id="s0000038700"><persName>妙音</persName>はどのような出身かわかっていません。</s>
<s xml:id="s0000038800">子供のころから仏道を志し、首都に住んでいました。</s>
<s xml:id="s0000038900">仏教の学識のみならず世間一般の学識にもよく通じ、文章が上手でした。</s>
<s xml:id="s0000039000">晋朝の<persName>孝武帝</persName>、会稽の皇帝摂政（太傅）である<persName>王道</persName>、<persName>孟顗</persName>らは皆、彼女を崇敬していました。</s>
<s xml:id="s0000039100">彼女はしばしば、皇帝や補佐官、その他宮中の学者達と文学について議論を交わしました。</s>
<s xml:id="s0000039200">そのすばらしい才能のおかげで、彼女は高い名声を得ました。</s></p>
<p xml:id="p0000012300"><s xml:id="s0000039300">太元10年（385）に、摂政は<persName>妙音</persName>のために<placeName>簡静寺</placeName>を建て、彼女を寺の管長にしました。</s>
<s xml:id="s0000039400"><persName>妙音</persName>は百人以上の弟子を従えていました。</s>
<s xml:id="s0000039500">宮廷内外の才能ある文筆家達は皆、自分の腕を磨こうとして彼女のもとにやってきました。</s>
<s xml:id="s0000039600">こうして彼女は大変な数の供物や贈り物を受け、都で膨大な資産をもつようになりました。</s>
<s xml:id="s0000039700">貴族も庶民も敬意をもって彼女に師事し、寺門には毎日百以上の車馬が停まっていました。</s></p>
<p xml:id="p0000012400"><s xml:id="s0000039800"><placeName>荊州</placeName>の長官であった<persName>王忱</persName>が死去した時、<persName>皇帝烈宗</persName>（在位396～398）は<persName>王恭</persName>をその地位に就けようとしました。</s>
<s xml:id="s0000039900"><persName>王忱</persName>によって失脚させられて<placeName>江陵</placeName>にいた<persName>桓玄</persName>は、常々自分が恐れていた<persName>王恭</persName>が空席になった地位を得ることになると聞きました。</s>
<s xml:id="s0000040000">時に<persName>殷仲堪</persName>は<persName>王恭</persName>の門下生でした。</s>
<s xml:id="s0000040100"><persName>桓玄</persName>は、<persName>殷仲堪</persName>が才能に劣り、手なずけやすい人物だと知っていました（937a）。</s>
<s xml:id="s0000040200">そこで<persName>桓玄</persName>は彼を空いた地位につけようとしました。</s>
<s xml:id="s0000040300"><persName>桓玄</persName>は州の長官の地位を<persName>殷仲堪</persName>に確保してやれないか<persName>妙音</persName>に頼もうとして使者を送りました。</s></p>
<p xml:id="p0000012500"><s xml:id="s0000040400">それから程なくして、<persName>皇帝烈宗</persName>は<persName>妙音</persName>に尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000040500">前々から<placeName>荊州</placeName>で長官の地位が空いているが、誰をそこに就けるべきだろうか」と。</s>
<s xml:id="s0000040600"><persName>妙音</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000040700">私はただの宗教者に過ぎませんから、どうしてそのような世事について議論することができましょう。</s>
<s xml:id="s0000040800">ただ宮廷の内外の人々が口をそろえて『<persName>殷仲堪</persName>に勝る者はいない』と言っているのを私は聞いています。</s>
<s xml:id="s0000040900">彼は深謀遠慮の人物で、荊や楚といった州はそういった資質が必要でしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000012600"><s xml:id="s0000041000">皇帝は同意しました。</s>
<s xml:id="s0000041100"><persName>王忱</persName>の元の地位は<persName>殷仲堪</persName>に与えられました。</s>
<s xml:id="s0000041200">このように<persName>妙音</persName>は朝廷に対しても影響力を持ち、宮廷の内と外に権力を振るったのでした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000012700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000041300">13．<placeName>何后寺</placeName>の<persName>道儀</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000012800"><s xml:id="s0000041400"><persName>道儀</persName>は元の姓を賈といい、<placeName>雁門</placeName>の<placeName>婁煩（楼煩）</placeName>の出身で、〔廬山の〕<placeName>慧遠</placeName>の父方の伯母です。</s>
<s xml:id="s0000041500">彼女は同じ郡の<persName>解直</persName>という男性と結婚しました。</s>
<s xml:id="s0000041600"><persName>解直</persName>は<placeName>尋陽地方</placeName>の司法官として勤めていましたが、その役職にある時に亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000012900"><s xml:id="s0000041700"><persName>道儀</persName>はその時22歳でしたが、自分の世俗の重荷を捨て、法衣をまといました。</s>
<s xml:id="s0000041800">彼女は聡明、才気煥発、博識ですぐれた記憶力を持っていました。</s>
<s xml:id="s0000041900">彼女は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を誦唱し、『維摩経（ヴィマラ・キールティ・ニルデーシャ・スートラ）』と『小品般若経』を講義しました。</s>
<s xml:id="s0000042000">彼女は精妙な理法を心でひとり悟る能力をもっていました。</s>
<s xml:id="s0000042100">彼女は戒律を厳格に守って修行し、彼女の精神は清らかで深いものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000013000"><s xml:id="s0000042200">帝都で経と律が順次に翻訳され、その講義の集会が続けられていることを聞きました。</s>
<s xml:id="s0000042300">そこで<persName>道儀</persName>は晋朝の泰元（太元）年間の末（396年頃）に都に上りました。</s>
<s xml:id="s0000042400">彼女は<placeName>何后寺</placeName>に身を置いて、『律蔵』の研究に真剣に従事し、それを隅から隅まで深く理解しました。</s>
<s xml:id="s0000042500"><persName>道儀</persName>はいつも謙虚で礼儀正しく、人のいない所でも怠惰になることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000042600">粗末な袈裟をまとい、自分で錫杖と鉢を持ちました。</s>
<s xml:id="s0000042700">彼女は質素で慎ましく、驕慢になることがなかったので、出家も在家も彼女を高く評価しました。</s></p>
<p xml:id="p0000013100"><s xml:id="s0000042800">78歳の時、<persName>道儀</persName>は病を得て重篤になりました。</s>
<s xml:id="s0000042900">しかし彼女は信心を保ちますます経典の読誦に励んで中断することはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000043000">弟子達は彼女に頼みました。</s>「<s xml:id="s0000043100">どうか話をして、私達を導いてください」と。</s></p>
<p xml:id="p0000013200"><s xml:id="s0000043200"><persName>道儀</persName>は、「何も申し上げられません」と言い終わって、息を引き取りました。</s></p></div>
<div><p xml:id="p0000013300"><s xml:id="s0000043300">『比丘尼伝』巻一終わる</s></p>
</div></div>
<div n="2" type="fascicle">
<div><p xml:id="p0000013400"><s xml:id="s0000043400">巻二</s>
<s xml:id="s0000043500">宋朝</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000013500"><title type="chapter"><s xml:id="s0000043600">14．<placeName>景福寺</placeName>の<persName>慧果</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000013600"><s xml:id="s0000043700">（937b18） <persName>慧果</persName>は元の姓を潘といい、淮南の出身です。</s>
<s xml:id="s0000043800">彼女は常に苦行を実践し、決して綿や絹の衣をまとうことはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000043900">彼女は戒律を守ることに特に熱心で、彼女の生活は全く清らかでした。</s>
<s xml:id="s0000044000"><persName>慧果</persName>は出家者からも在家者からも賞賛され、彼女の名声は遠方にまで広く聞こえました。</s></p>
<p xml:id="p0000013700"><s xml:id="s0000044100">宋朝（<date>420～479</date>）の<placeName>青州</placeName>の行政官であった<placeName>北地</placeName>の<persName>伝弘仁</persName>は、<persName>慧果</persName>の気高さを高く評価し、彼女に必要な品々を十分に与えました。</s>
<s xml:id="s0000044200">永初3年（422）（<persName>宝唱</persName>の注記: <persName>曇宗</persName>が言う所では、<date>元嘉7年（430）</date>とのことですが、住職の<persName>弘安</persName>尼は、寺を建設するための資金の調達に関する記録を筆者に見せてくれました。</s>
<s xml:id="s0000044300">それによると永初３年となっています）、 <persName>伝弘仁</persName>は自宅の東側の土地を割り与えて精舎を建て、<placeName>景福寺</placeName>と名づけ、<persName>慧果</persName>を管長（綱紀）としました。</s>
<s xml:id="s0000044400"><persName>慧果</persName>が受け取った施物や贈り物はすべて、サンガに振向けられました。</s>
<s xml:id="s0000044500">尼寺の活動は盛んになり、老いも若きも皆、心から彼女を讃えました。</s></p>
<p xml:id="p0000013800"><s xml:id="s0000044600"><date>元嘉6年（429）</date>に、<placeName>西域</placeName>から沙門<persName>グナヴァルマン（求那跋摩）</persName>がやってきました。</s>
<s xml:id="s0000044700"><persName>慧果</persName>は彼に尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000044800">この国の比丘尼達は、具足戒をすでに受けてはいますが、それは先立つ伝統なしに受けたものです。</s>
<s xml:id="s0000044900">もし<persName>マハープラジャーパティー（愛道）</persName>に比丘尼の伝統を遡るならば、彼女の例は確かに我々にとって良い前例となることでしょう。</s>
<s xml:id="s0000045000">しかしその後に、何か違うようになったことはありますか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000013900"><s xml:id="s0000045100"><persName>求那跋摩</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000045200">違いはありません。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014000"><s xml:id="s0000045300"><persName>慧果</persName>は再び尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000045400">戒律の条文によれば、戒師がそのような状況〔律の条文に正確に適合しない状況〕で具足戒を授けるならば、
	その戒師は過失を犯したとみなされるようですが、どうして貴僧は『違いはない』とおっしゃるのですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014100"><s xml:id="s0000045500"><persName>求那跋摩</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000045600">もし自分が所属する比丘尼サンガの中で二年間の見習い（式叉摩那、正学女）の守るべき
	戒律（六法戒）を修めていなかった場合に限って、その戒師は過失を犯したと見なされます。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014200"><s xml:id="s0000045700"><persName>慧果</persName>はさらにまた尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000045800">以前に我が国には比丘尼がいなかったので、以上のことが許されるのでしょうが、<placeName>ジャンブドゥヴィーパ（インド）</placeName>ではそうではないでしょう 。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014300"><s xml:id="s0000045900">（937c）<persName>求那跋摩</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000046000">戒律の規定によると、具足戒を授けるのに必要な沙門の人数は十名とされています。</s>
<s xml:id="s0000046100">しかし辺境の地では、五人で具足戒を授けることができます。</s>
<s xml:id="s0000046200">これは、律の条文通りの条件が不可能な場合には、例外が認められるという理由によります。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014400"><s xml:id="s0000046300"><persName>慧果</persName>はまた尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000046400">何里離れていれば辺境の地と見なされるのですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014500"><s xml:id="s0000046500"><persName>求那跋摩</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000046600">千里以上離れており、山々と海で隔絶された場所が辺境の地にあたります。</s>」</p>
<p xml:id="p0000014600"><s xml:id="s0000046700"><date>元嘉9年（432）</date>、<persName>慧果</persName>と彼女の弟子の<persName>慧意</persName>と<persName>慧鎧</persName>ら、全部で五人は改めてもう一度具足戒を<persName>僧伽跋摩（サンガヴァルマン）</persName>から受けました。</s>
<s xml:id="s0000046800"><persName>慧果</persName>は戒律の規定を、あたかも自分の頭を守るように、尊敬の念をもって注意深く守りました。</s>
<s xml:id="s0000046900">彼女は70歳を過ぎて<date>元嘉10年（433）</date>に亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000014700"><s xml:id="s0000047000"><persName>慧果</persName>の弟子<persName>慧鎧</persName>もまたその徳行の誠実さのゆえに、同様に当時その名を知られました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000014800"><title type="chapter"><s xml:id="s0000047100">15．<placeName>建福寺</placeName>の<persName>法盛</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000014900"><s xml:id="s0000047200"><persName>法盛</persName>は元の姓を<persName>聶</persName>といい、<placeName>清河</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000047300">趙の国で反乱が起きた時に、彼女の一族は<placeName>金陵</placeName>へ逃れました。</s>
<s xml:id="s0000047400"><date>元嘉14年（437）</date>に、<persName>法盛</persName>は<placeName>建福寺</placeName>で出家しました。</s></p>
<p xml:id="p0000015000"><s xml:id="s0000047500">才能があり、すぐれた理解力のある人物だったので、<persName>法盛</persName>は賢い判断力に従って行動しました。</s>
<s xml:id="s0000047600">晩年は都で放浪者として暮らし、皇帝のいる都は栄え平和であったとはいえ、いつも生まれ故郷を懐かしんでいました。</s>
<s xml:id="s0000047700">奥深い仏教の根本思想を深く研究することによってのみ、彼女は悲しみを消散させ、老齢を忘れることができました。</s>
<s xml:id="s0000047800">その後、彼女は<placeName>道場寺</placeName>の<persName>偶法師</persName>から菩薩戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000047900">昼間には教理を研究し、夕方には討論をし、その教義について深く考えました。</s></p>
<p xml:id="p0000015100"><s xml:id="s0000048000">年を経るにつれて、<persName>法盛</persName>の精神は徐々に明るく朗らかなものとなって行きました。</s>
<s xml:id="s0000048100">老いてはいきましたが、彼女は壮年期の者達を凌いでいました。</s>
<s xml:id="s0000048200">彼女はいつも極楽浄土に生まれることを願い、同輩の<persName>曇敬</persName>や<persName>曇愛</persName>に言いました。</s>
	「<s xml:id="s0000048300">西方浄土に生まれたいと志して、私は道を実践しているのです。</s>」</p>
<p xml:id="p0000015200"><s xml:id="s0000048400"><date>元嘉16年（439）の9月27日</date>、夕べに仏塔の中でブッダを礼拝していた時、<persName>法盛</persName>は少し病気気味になり、すぐに重い病になりました。</s>
<s xml:id="s0000048500">その月の末日の夜の初更に、<persName>法盛</persName>が床でうつらうつらしていると、<persName>如来</persName>が、二人の菩薩と二乗について議論しながら、空から降りてきました。</s>
<s xml:id="s0000048600">にわかに大勢の従者と共に芳香を放つ花々や雲の上に乗って、病床についている<persName>法盛</persName>を訪れるために降りてきました。</s>
<s xml:id="s0000048700">光明が燦然と輝き、寺の者達は皆それを見ました。</s>
<s xml:id="s0000048800">尼寺の者達は集まってきて、<persName>法盛</persName>にその光明が何なのか尋ねました。</s>
<s xml:id="s0000048900"><persName>法盛</persName>は詳しく語りました。</s>
<s xml:id="s0000049000">話し終わるや、亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000049100">享年72歳でした。</s></p>
<p xml:id="p0000015300"><s xml:id="s0000049200">以上は、<placeName>豫章</placeName>の行政官である<placeName>呉郡</placeName>の<persName>張弁</persName>がかねてより<persName>法盛</persName>を尊敬していたので、彼女のために述べ伝えたことです。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000015400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000049300">16．<placeName>江陵</placeName>の<placeName>牛牧寺</placeName>の<persName>慧玉</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000015500"><s xml:id="s0000049400"><persName>慧玉</persName>は<placeName>長安</placeName>の出身で、諸々の善行を行うことに熱心で、経典と戒律に深い学識をもっていました。</s>
<s xml:id="s0000049500"><persName>慧玉</persName>はいつも人々を教化するために旅をして回り、様々な地方を歴訪しました。</s>
<s xml:id="s0000049600">機縁に従い、寒暑を厭うことはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000049700"><persName>慧玉</persName>は南方の<placeName>荊</placeName>や<placeName>楚</placeName>といった地方に旅し、<placeName>江陵</placeName>の<placeName>牛牧寺</placeName>に滞在しました。</s>
<s xml:id="s0000049800">彼女は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』『首楞厳経（シューランガマ・〔サマーディ〕・スートラ）』等の経典を十日間誦唱し、仏法の利益を得ました。</s>
<s xml:id="s0000049900"><placeName>郯州</placeName>の西の出家者も在家者も皆、彼女を敬いました。</s>
<s xml:id="s0000050000">彼女は諸々の経典と論書を読んで学ぶことを決して止めませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000015600"><s xml:id="s0000050100"><date>元嘉14年（437）の10月</date>に、七日間の苦行斎戒を行いました。</s>
<s xml:id="s0000050200">そのとき、「斎戒を行うことに験があれば、肉体を捨てた後に必ず<persName>ブッダ</persName>に見えよう」と誓いを立てました （938a）。</s>
<s xml:id="s0000050300">そしてさらに、苦行を行う七日の間に<persName>ブッダ</persName>が放つ光明を見たいと願いました。</s>
<s xml:id="s0000050400">第五日目の深夜、尼寺の東側にある森の中で一筋の霊的な光が燦然と輝きました。</s>
<s xml:id="s0000050500"><persName>慧玉</persName>はこのことを尼寺の人々に語り、そして彼女達は皆、<persName>慧玉</persName>を心からいっそう敬いまた褒めたたえました。</s>
<s xml:id="s0000050600">尼寺の住職<persName>法弘</persName>は、その光が輝いた場所に禅室を建てました。</s></p>
<p xml:id="p0000015700"><s xml:id="s0000050700">以前<placeName>長安</placeName>にいた時、<persName>慧玉</persName>は皇帝の大臣の<persName>薛</persName>が建てた寺で、紅白の色の光を見ました。</s>
<s xml:id="s0000050800">その光は周囲を照らし、十日して消えて行きました。</s>
<s xml:id="s0000050900">後に<placeName>六重寺</placeName>の沙門が、<date>4月8日</date>に光のあった場所に黄金の弥勒菩薩像を発見しました。</s>
<s xml:id="s0000051000">高さ一尺だったということです。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000015800"><title type="chapter"><s xml:id="s0000051100">17．<placeName>建福寺</placeName>の<persName>道瓊</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000015900"><s xml:id="s0000051200"><persName>道瓊</persName>は元の姓を江といい、丹陽の出身です。</s>
<s xml:id="s0000051300">10歳余りで、すでに古典や歴史書を広く読んでいました。</s>
<s xml:id="s0000051400">受戒の後、彼女は三蔵に通暁し、苦行を熱心に実践しました。</s>
<s xml:id="s0000051500">晋朝の太元年間に、皇后は<persName>道瓊</persName>の高い徳行を褒めたたえ、福徳を積むために〔皇后は〕主に<placeName>建福寺</placeName>を頼りとしました。</s>
<s xml:id="s0000051600">富裕で高貴な女性達は互いに先を競い合って<persName>道瓊</persName>と親しくなろうとしました。</s></p>
<p xml:id="p0000016000"><s xml:id="s0000051700"><date>元嘉8年（431）</date>、<persName>道瓊</persName>は多くの仏像を造らせ様々な場所に安置しました。</s>
<s xml:id="s0000051800"><placeName>彭城寺</placeName>に２躯の黄金像が安置され、垂れ幕と台座を完備しました。</s>
<s xml:id="s0000051900"><placeName>瓦官寺</placeName>に弥勒菩薩の行像（練供養に車に載せて用いられる像）が安置され、宝蓋と瓔珞を具えていました。</s>
<s xml:id="s0000052000">南の<placeName>建興寺</placeName>には幡と天蓋をそなえた２躯の黄金像が安置されました。</s>
<s xml:id="s0000052100">そして<placeName>建福寺</placeName>には仏の臥像と堂が造営されました。</s>
<s xml:id="s0000052200">彼女はまた、普賢菩薩の行像を造らせ、供養の道具類の精巧で美しいさまは比類のないものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000016100"><s xml:id="s0000052300">また<date>元嘉15年（438）</date>に<persName>道瓊</persName>は無量寿仏の黄金像を造らせました。</s>
<s xml:id="s0000052400"><date>その年の4月10日</date>に、その像は眉間から光明を放って尼寺の中を照らし、すべてが金色のようになりました。</s>
<s xml:id="s0000052500">出家者も在家者も互いにその出来事について語り合い、皆が礼拝しに来ました。</s>
<s xml:id="s0000052600">神々しい輝きを見て、歓喜しない者はありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000016200"><s xml:id="s0000052700"><persName>皇后</persName>に遺贈された財産によって、<persName>道瓊</persName>は尼寺の南側を開拓し、禅房を建設したということです。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000016300"><title type="chapter"><s xml:id="s0000052800">18．<placeName>江陵</placeName>の<placeName>祇洹寺</placeName>の<persName>道寿</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000016400"><s xml:id="s0000052900"><persName>道寿</persName>の出身はよくわかっていません。</s>
<s xml:id="s0000053000">彼女は穏やかで落ち着きのある性格で、孝心をもって知られていました。</s>
<s xml:id="s0000053100">子供のころから、彼女は在家の五戒を守り、違反することがありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000016500"><s xml:id="s0000053200"><date>元嘉年間（424～453）</date>に<persName>道寿</persName>の父親が亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000053300">喪中の深い悲しみのせいで、彼女は病気を患いました。</s>
<s xml:id="s0000053400">その病気は、痛みも痒みも伴わないのに、彼女の体は黄色に痩せて骨ばかりの体にしてしまいした。</s>
<s xml:id="s0000053500">数年経っても、どんな治療も彼女を治すことはできませんでした。</s>
<s xml:id="s0000053600">そこで彼女は、もし病気が治ったら出家するという誓いを立てました。</s>
<s xml:id="s0000053700">この誓いを立ててから、<persName>道寿</persName>は次第に健康を取り戻し、誓ったとおりに、出家して祇洹寺に住みました。</s></p>
<p xml:id="p0000016600"><s xml:id="s0000053800">苦行に励むことにかけて<persName>道寿</persName>に並ぶものはいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000053900">彼女は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を三千回読誦しました。</s>
<s xml:id="s0000054000">〔その経典を諳んじている時〕彼女は常に光の瑞兆を見ました。</s>
<s xml:id="s0000054100"><date>元嘉16年（429）、9月7日</date>の夜中に、その〔『法華経』の〕上に、宝蓋が空中から垂れ下がっているのを見たということです。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000016700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000054200">19．<placeName>呉</placeName>の<placeName>太玄台寺</placeName>の<persName>釈玄藻</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000016800"><s xml:id="s0000054300"><persName>玄藻</persName>は元の姓を<persName>路</persName>といい、<persName>呉郡</persName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000054400">彼女は<persName>安苟</persName>――『宣験記』では彼の名は<persName>安荀</persName>となっていますが――の娘でした（938b）。</s>
<s xml:id="s0000054500">10歳を超えた時、<persName>玄藻</persName>は重い病気にかかりました。</s>
<s xml:id="s0000054600">あらゆる良薬を試したにもかかわらず、容体は日に日に悪化して行きました。</s></p>
<p xml:id="p0000016900"><s xml:id="s0000054700">その時、<placeName>太玄台寺</placeName>の<persName>釈法済</persName>は<persName>安苟</persName>に言いました。</s>
	「<s xml:id="s0000054800">彼女の病気は彼女自身の過去の業のせいではないかと思います。</s>
<s xml:id="s0000054900">薬では治せません。</s>
<s xml:id="s0000055000">仏教経典が言う所では、危急の苦しみから逃れるには、三宝に帰依し、懺悔して救いを願えば、救われるということです。</s>
<s xml:id="s0000055100">もしあなたと娘さんが誤った慣習を捨て、一心専心して汚れと不浄を洗い去るならば、全快するでしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000017000"><s xml:id="s0000055200"><persName>安苟</persName>はその助言を聞き入れ、家に観世音菩薩を祀りました。</s>
<s xml:id="s0000055300">心を清めて、誠心誠意、親子は菩薩を崇めました。</s>
<s xml:id="s0000055400">病を抱えながらも<persName>玄藻</persName>は菩薩の前に平伏し、心を込めて礼拝し続けました。</s>
<s xml:id="s0000055500">七日の後、彼女は夜の初更に、不意に一尺ほどの高さの黄金像が自分を頭の上から足の先まで三回撫でるのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000055600">その時、彼女は重い病が一瞬にして癒されたことをさとりました。</s>
<s xml:id="s0000055700"><persName>玄藻</persName>はこの霊験があったので、出家を求め、太玄台寺<placeName></placeName>で生活するようになりました。</s></p>
<p xml:id="p0000017100"><s xml:id="s0000055800"><persName>玄藻</persName>は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を読誦することに精励しました。</s>
<s xml:id="s0000055900">37年間、彼女は菜食生活を続け、絶えず<placeName>兜率天</placeName>に生まれ変わることに心を傾注させました。</s>
<s xml:id="s0000056000"><date>宋朝の元嘉16年（439）</date>に彼女は写経のために上洛しました。</s>
<s xml:id="s0000056100">その後彼女がどこに行ったのかは知られていません。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000017200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000056200">20．<placeName>南安寺</placeName>の<persName>釈慧瓊</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000017300"><s xml:id="s0000056300"><persName>慧瓊</persName>は元の姓を<persName>鍾</persName>といい、広州の出身です。</s>
<s xml:id="s0000056400">彼女は、仏道を実践し高潔で、魚や肉を食べませんでした。</s>
<s xml:id="s0000056500">80歳近くになっても、修行にいっそう熱心になりました。</s>
<s xml:id="s0000056600"><persName>慧瓊</persName>はいつも茅や麻でできた衣を身にまとい、綿や絹の衣を着用することはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000056700">尼寺の管理をしながら、説法に従事していました。</s></p>
<p xml:id="p0000017400"><s xml:id="s0000056800">元々、<persName>慧瓊</persName>は<placeName>広陵</placeName>の<placeName>南安寺</placeName>で暮らしていたのですが、
	<date>元嘉18年（441）</date>に宋朝の<persName>江夏太子</persName>の世継の生母である<persName>王夫人</persName>が土地を<persName>慧瓊</persName>に寄進しました。</s>
<s xml:id="s0000056900"><persName>慧瓊</persName>はそれを受納して寺を建立し、<placeName>南永安寺と</placeName>名づけました。</s>
<s xml:id="s0000057000"><date>元嘉22年（445）</date>に<placeName>蘭陵</placeName>の<persName>蕭承之</persName>はその尼寺に、外国風の仏塔を建立しました。</s>
<s xml:id="s0000057100"><persName>慧瓊</persName>は<date>元嘉15年（438）</date>に、<placeName>菩提寺</placeName>を建てました。</s>
<s xml:id="s0000057200">その寺の殿堂や房舎その他の建物は全て壮大かつ美麗でした。</s>
<s xml:id="s0000057300">彼女は<placeName>菩提寺</placeName>に移り住み、<placeName>南安寺</placeName>を沙門の<persName>慧智</persName>に施与しました。</s></p>
<p xml:id="p0000017500"><s xml:id="s0000057400"><date>元嘉20年（443）</date>に、<persName>孟顗</persName>を連れて会稽に行く途中、<persName>慧瓊</persName>は破綱で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000057500">彼女は弟子達に遺言しておきました。</s>「<s xml:id="s0000057600">私が死んだ後、私の亡骸を埋葬する必要はありません。</s>
<s xml:id="s0000057700">誰か人を雇って身肉を切り裂いて、生き物に餌として与えなさい」と。</s>
<s xml:id="s0000057800">しかし彼女が亡くなった時、弟子達は遺体を切り分けるに忍びなく、そのことを<placeName>句容県</placeName>の行政官に届け出ました。</s>
<s xml:id="s0000057900">その長官は、鳥や動物が自ら食べることができるように、亡骸を山に運んで行くようにさせました。</s></p>
<p xml:id="p0000017600"><s xml:id="s0000058000">十日間余り経っても、亡骸は元のまま残り、顔色も変わりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000058100">役人は村人たちに、いくらかの米を亡骸のまわりに撒かせました。</s>
<s xml:id="s0000058200">鳥達は亡骸の遠くの米だけを食べつくして、亡骸の近くの米はそのままでした。</s>
<s xml:id="s0000058300"><persName>慧瓊</persName>の弟子の<persName>慧朗</persName>は都でこのことを聞き、急いで行って亡骸を恭しく持ち帰り、<placeName>高座寺</placeName>の前にある丘の上に埋葬しました。</s>
<s xml:id="s0000058400">墳墓の上には一宇の仏塔が建立されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000017700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000058500">21．<placeName>南皮</placeName>の<placeName>張国寺</placeName>の<persName>普照</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000017800"><s xml:id="s0000058600">（938c）<persName>普照</persName>は元の姓を<persName>董</persName>といい、<placeName>渤海郡</placeName>の<placeName>安陵</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000058700">若い時、彼女は道徳的な行いを忠実に守っていました。</s>
<s xml:id="s0000058800">17歳の時に出家し、<placeName>南皮</placeName>の<placeName>張国寺</placeName>で暮らしました。</s>
<s xml:id="s0000058900">後に<persName>普照</persName>は師匠に従って<placeName>広陵</placeName>の<placeName>建熙精舎</placeName>で学びました。</s>
<s xml:id="s0000059000">彼女は仏法を学び実践することに専心したので、全ての人々が彼女を賞賛しました。</s>
<s xml:id="s0000059100">自分の師の<persName>慧孜</persName>が亡くなった後、<persName>普照</persName>は慶事にも弔事にも関わるのをやめて、ひたすら厳格に苦行を実践しました。</s>
<s xml:id="s0000059200"><date>宋朝の元嘉18年（441）12月</date>、極度に体に負担を与えたせいで、<persName>普照</persName>は病に倒れました。</s>
<s xml:id="s0000059300">病は重篤でしたが、心は未だ熱意にあふれて深い信心を抱き、初心を変えようとはしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000059400"><persName>普照</persName>は誠心誠意日夜祈りました。</s>
<s xml:id="s0000059500">彼女は寝台から降りることもできなかったので、枕の上でひざまずいて頭をつけて懺悔を行いましたが、呼吸はいつもどおりでした。</s>
<s xml:id="s0000059600">そして『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を毎日三巻、読誦しました。</s></p>
<p xml:id="p0000017900"><s xml:id="s0000059700"><date>元嘉19年（442）の2月半ば</date>に<persName>普照</persName>は突如気を失いました。</s>
<s xml:id="s0000059800">二回の食事の時間を過ぎた後に彼女は意識を取り戻しました。</s>
<s xml:id="s0000059900">彼女は夢の出来事を語りました。</s>「<s xml:id="s0000060000">西方に向かって行くと、道の途中に仏塔がありました。</s>
<s xml:id="s0000060100">塔の中に一人の僧が目を閉じて瞑想していました。</s>
<s xml:id="s0000060200">彼は私を見て驚き、どこから来たのか尋ねました。</s>
<s xml:id="s0000060300">返事をしてから、彼にその場所から自分の尼寺までどれだけの距離かと尋ねました。</s>
<s xml:id="s0000060400">彼は五千万里だと答えました。</s>
<s xml:id="s0000060500">夢の中で見た道は草に覆われ、そこを通って行く人々がいましたが、知らない人ばかりでした。</s>
<s xml:id="s0000060600">そのとき風が雲を高く吹き上げたので、その場所はさっぱりと清らかで、西側が特に明るく輝いていました。</s>
<s xml:id="s0000060700">先に進もうとしましたが、例の僧が引きとめました。</s>
<s xml:id="s0000060800">そこで戻ろうとしたところ、急に目が覚めました」。</s>
<s xml:id="s0000060900">その一週間後、<persName>普照</persName>は25歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000018000"><title type="chapter"><s xml:id="s0000061000">22．<placeName>梁郡</placeName>の<placeName>築戈村寺</placeName>の<persName>釈慧木</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000018100"><s xml:id="s0000061100"><persName>慧木</persName>は元の姓を<persName>伝</persName>といい、<placeName>北地</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000061200">11歳で出家し、<persName>慧超</persName>に師事して<persName>沙弥</persName>尼の小戒を守りました。</s>
<s xml:id="s0000061300">彼女は<placeName>梁郡</placeName>の<placeName>築戈村寺</placeName>で暮らしていました。</s>
<s xml:id="s0000061400">初め、<persName>慧木</persName>は『大品般若経』を学び、それを毎日二巻ずつ読誦しました。</s>
<s xml:id="s0000061500">彼女は他にも様々な経典を学びました。</s></p>
<p xml:id="p0000018200"><s xml:id="s0000061600"><persName>慧木</persName>の母親は年老いて病を患い、歯を全て失くしていたので、<persName>慧木</persName>は干し肉を口で噛んで母親に食べさせました。</s>
<s xml:id="s0000061700">〔肉を噛んだため〕彼女の口は不浄なので、具足戒を受けませんでした。</s>
<s xml:id="s0000061800">在家の白い衣をまとって修行に励み自分の業を懺悔していました。</s></p>
<p xml:id="p0000018300"><s xml:id="s0000061900"><persName>慧木</persName>は突然、戒壇を見ました。</s>
<s xml:id="s0000062000">そして空の色が金色に変わりました。</s>
<s xml:id="s0000062100">頭を上げて仰ぎ見ると、南に一人の人が二重の衣をまとい、その衣の色がすべて黄色なのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000062200">その人は<persName>慧木</persName>に近づいたり遠のいたりして、彼女に言いました。</s>「<s xml:id="s0000062300">私はすでにあなたに具足戒を授けました」。</s>
<s xml:id="s0000062400">そしてその人は消えて探しても見つかりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000062500"><persName>慧木</persName>はこの事を誰にも話しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000062600">そしてこれに似た不思議な出来事を数多く経験しました。</s></p>
<p xml:id="p0000018400"><s xml:id="s0000062700"><persName>慧木</persName>の兄はそのことを訝しく思い、それについてもっと知ろうとしました。</s>
<s xml:id="s0000062800">彼は妹にわざと言いました。</s>「<s xml:id="s0000062900">多くの年月、お前は道を実践してきたが、全く利益を得なかったではないか。</s>
<s xml:id="s0000063000">だから髪を伸ばしなさい。</s>
<s xml:id="s0000063100">婿を見つけてあげよう」。</s>
<s xml:id="s0000063200"><persName>慧木</persName>はこれを聞いて悲しくなりました。</s>
<s xml:id="s0000063300">そして<persName>慧木</persName>は兄に自分が見たことを話しました。</s>
<s xml:id="s0000063400">そして彼女は具足戒を受けました。</s></p>
<p xml:id="p0000018500"><s xml:id="s0000063500">具足戒を受ける前日に、<persName>慧木</persName>はある人が『戒本（プラーティモークシャ）』を自分に口伝する夢を見ました。</s>
<s xml:id="s0000063600">受戒後、<persName>慧木</persName>は戒本を二度読んだだけで諳んずることができるようになりました。</s></p>
<p xml:id="p0000018600"><s xml:id="s0000063700"><date>宋の元嘉年間</date>に<persName>慧木</persName>は十方仏の像を造り、４つの部派の戒本と羯磨本を書写し、四衆に配ったということです。</s></p>
<p xml:id="p0000018700"> <title type="chapter"><s xml:id="s0000063800">23．<placeName>呉県</placeName>の<placeName>南寺</placeName>の<persName>法勝</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000018800"><s xml:id="s0000063900">（939a）<persName>法勝</persName>は年若くして出家し、<placeName>呉県</placeName>の<placeName>南寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000064000"><placeName>東寺</placeName>とも呼ばれます。</s>
<s xml:id="s0000064100">彼女が謙虚で正直であり、また勤勉なことは、皆が知るところでした。</s></p>
<p xml:id="p0000018900"><s xml:id="s0000064200"><date>宋の元嘉年間</date>に、<placeName>河内</placeName>（河内省に設置されていた郡）の<persName>司馬隆</persName>は<placeName>昆陵</placeName>の副行政官でしたが、
	侵略者達に遭遇し、戦で命を落としました。</s>
<s xml:id="s0000064300">彼の妻の<persName>山氏</persName>は、両親を早くに失くして子供もおらず、すでに年老いていました。</s>
<s xml:id="s0000064400">彼女は<placeName>呉</placeName>に来て<persName>法勝</persName>に庇護を求めました。</s>
<s xml:id="s0000064500"><persName>法勝</persName>は親族のように<persName>山氏</persName>の面倒をみました。</s>
<s xml:id="s0000064600">百日が過ぎて、<persName>山氏</persName>は病気に罹り、３年もの間重篤な状態にありました。</s>
<s xml:id="s0000064700"><persName>法勝</persName>にはもとより貯えがなかったので、<persName>山氏</persName>を養い医薬を求める費用をすべて施しに頼るしかなく、そのために<persName>法勝</persName>は雨や暑さ、風や寒さを厭わず行乞しました。</s>
<s xml:id="s0000064800"><persName>山氏</persName>はついに快癒し、人々は<persName>法勝</persName>を褒めたたえました。</s></p>
<p xml:id="p0000019000"><s xml:id="s0000064900">後に<persName>法勝</persName>は瞑想と戒律を学びに都に上りました。</s>
<s xml:id="s0000065000">そうして、瞑想と仏教の知識に通じ、深遠な真実を探求しました。</s>
<s xml:id="s0000065100">弟子たちを訓育するときは、ことさら厳しい態度を取らずによく教えることができました。</s>
<s xml:id="s0000065200">彼女が活動的なとき、それは利を得るためではなく、静かにしているとき、それは名声を得るためではありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000065300">彼女の注意深い思いやりはもっぱら衆生を救うためだけにありました。</s></p>
<p xml:id="p0000019100"><s xml:id="s0000065400">60歳になり、<persName>法勝</persName>は病気に罹りましたが、しばらく経ったとき、自分から「良くならないだろう」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000065500">彼女の身内の者達はこれを聞いて驚き、どうしてなのか彼女に尋ねました。</s></p>
<p xml:id="p0000019200"><s xml:id="s0000065600">彼女は答えました。</s>「<s xml:id="s0000065700">昨日、二人の沙門が自分にそう言っているのを私は見たのです」。</s>
<s xml:id="s0000065800">少しして、彼女はまた言いました。</s>「<s xml:id="s0000065900">今、昨日見たのとは違う二人の比丘が、
	偏袒右肩（僧衣を左肩に掛けて右肩を露わにすることで、相手に尊敬を示す正式な衣の着方）して、手に花々を持って、私の病床に立っています。</s>
<s xml:id="s0000066000">遠くに一人の仏が蓮の花の上に座り、光で私の体を照らしています」。</s>
<s xml:id="s0000066100">それから後、<persName>法勝</persName>は夜眠ることができず、他の者達に『法華経』を復唱してくれる ように頼みました。</s>
<s xml:id="s0000066200">その夜遅く、息遣いがか細くなると、彼女は経を止めて、ブッダの名を唱えるよう言い、彼女も名を唱えました。</s>
<s xml:id="s0000066300">夜が明ける頃、<persName>法勝</persName>は表情を変えることなく忽然と亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000019300"><title type="chapter"><s xml:id="s0000066400">24．<placeName>永安寺</placeName>の<persName>僧端</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000019400"><s xml:id="s0000066500"><persName>僧端</persName>は<placeName>広陵</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000066600">彼女の家は代々仏教を信仰しており、彼女の姉妹は皆敬虔な仏教徒でした。</s>
<s xml:id="s0000066700">彼女は出家の誓いを立て、求婚者からの贈り物を受け取りませんでした。</s>
<s xml:id="s0000066800">しかし彼女の容姿の美しさはその地方ではよく知られていたので、富裕な家々は結婚の申し込みをしようと彼女の家に押しかけました。</s>
<s xml:id="s0000066900"><persName>僧端</persName>の母と兄は、結婚の約束をしてしまいました。</s></p>
<p xml:id="p0000019500"><s xml:id="s0000067000">婚礼の三日前、<persName>僧端</persName>は夜中に尼寺に逃げました。</s>
<s xml:id="s0000067100">寺主は彼女を別室に置いて、必要なものを与えました。</s>
<s xml:id="s0000067200"><persName>僧端</persName>は『観世音経（アヴァローキテーシュヴァラ・スートラ）』の書写を一本求めました。</s>
<s xml:id="s0000067300">そしてそれを二日間で覚えました。</s>
<s xml:id="s0000067400">雨のように涙を流しながら日夜休みなく礼拝しました。</s></p>
<p xml:id="p0000019600"><s xml:id="s0000067500">三日が過ぎたとき礼拝中に仏像を見ました。</s>
<s xml:id="s0000067600">仏像は彼女に語りかけました。</s>「<s xml:id="s0000067700">あなたの婿は命が尽きようとしています。</s>
<s xml:id="s0000067800">あなたはただ修行に励み、心配してはなりません」。</s>
<s xml:id="s0000067900">明くる日、婿は牛に突かれて死んでしまいました。</s></p>
<p xml:id="p0000019700"><s xml:id="s0000068000">これによって<persName>僧端</persName>は出家の許しを得ました。</s>
<s xml:id="s0000068100">禁戒を堅く守り、心を空に集中すると、あたかも言葉を発することができないかのようでした。</s>
<s xml:id="s0000068200">しかし名前と実体について論ずる段になると、その雄弁は疲れを知りませんでした。</s>
<s xml:id="s0000068300">彼女は『大般涅槃経（マハー・パリニルヴァーナ・スートラ）』を五日に一遍読み通しました。</s></p>
<p xml:id="p0000019800"><s xml:id="s0000068400">元嘉10年（433）、<persName>僧端</persName>は都に向かって南に旅して、<placeName>永安寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000068500">尼寺の諸事を監督するのに、彼女は皆に等しい愛情をもって、平等に接しました。</s>
<s xml:id="s0000068600">老いも若きも彼女に満足し、時が経つにつれいっそう彼女を敬いました。</s></p>
<p xml:id="p0000019900"><s xml:id="s0000068700"><date>元嘉25年（448）</date>、<persName>僧端</persName>は70歳を過ぎて亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000068800">彼女の弟子の<persName>普敬</persName>、<persName>普要</persName>は苦行の実践でその名を広く知られました。</s>
<s xml:id="s0000068900">二人とも『法華経』を諳んじていました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000020000"><title type="chapter"><s xml:id="s0000069000">25．<placeName>広陵</placeName>の<placeName>中寺</placeName>の<persName>光静</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000020100"><s xml:id="s0000069100">（939b）<persName>光静</persName>は元の姓を<persName>胡</persName>、名を<persName>道婢</persName>といい、<placeName>呉興</placeName>の<placeName>東遷</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000069200">幼くして出家し、師匠に従って<placeName>広陵</placeName>の<placeName>中寺</placeName>に住みました。</s></p>
<p xml:id="p0000020200"><s xml:id="s0000069300">若い時も、<persName>光静</persName>は行動に厳格で、長じては、瞑想を習い実践しました。</s>
<s xml:id="s0000069400">美味な食物を食べることをやめ、具足戒を受けようとする時には、穀類を完全に断ち、松の実を食べました。</s>
<s xml:id="s0000069500">具足戒を受けてから15年もの間、彼女の意識はいつも鋭敏かつ溌剌としていましたが、彼女の体力は衰えてやつれ、疲労を滲ませてきました。</s>
<s xml:id="s0000069600">それでもなお、<persName>光静</persName>は誠心をこめて祈り、毎日よく働きました。</s></p>
<p xml:id="p0000020300"><s xml:id="s0000069700">沙門の<persName>釈法成</persName>は彼女に言いました。</s>「<s xml:id="s0000069800">食べ物を食べることは仏教で重要なことではありません」。</s>
<s xml:id="s0000069900">これを聞いて、<persName>光静</persName>は再び米を食べるようになりました。</s>
<s xml:id="s0000070000">そうして、彼女は努力を倍加し、疲れを感じることなく勤勉に学習するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000070100">彼女に師事して観相法を学ぼうとする人々の数は、いつも百人を超えていました。</s></p>
<p xml:id="p0000020400"><s xml:id="s0000070200"><date>元嘉18年（441）の5月</date>に<persName>光静</persName>は病に倒れ、言いました。</s>「<s xml:id="s0000070300">私は自分のこの身体を久しく嫌悪していました」。</s>
<s xml:id="s0000070400">そのため、病気を患いながら、心の中でも、また口に出しても懺悔を続けました。</s>
<s xml:id="s0000070500">彼女の心は穏やかに澄みわたり、精神は晴れ晴れと喜びに満ちていました。</s>
<s xml:id="s0000070600"><date>元嘉19年（442）の正月</date>に、<persName>光静</persName>は飲み物も穀物もすべて断って、絶えず兜率天に心を集中させ続けました。</s>
<s xml:id="s0000070700">彼女は<date>4月18日</date>の夜、特別に芳しい香りと不思議な光景が空中に満ちました。</s>
<s xml:id="s0000070800">彼女はその夜、命終しました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000020500"><title type="chapter"><s xml:id="s0000070900">26．<placeName>蜀郡</placeName>の<persName>善妙</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000020600"><s xml:id="s0000071000"><persName>善妙</persName>は元の姓を<persName>欧陽</persName>といい、<placeName>繁県</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000071100">彼女は若くして出家しました。</s>
<s xml:id="s0000071200">彼女は温和で、喜怒の感情を出すことはあまりありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000071300">上等な衣をまとわず、美食を食べませんでした。</s>
<s xml:id="s0000071400">一人の妹がおりましたが未亡人で頼れる人がありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000071500">そこで幼い子を連れて<persName>善妙</persName>の僧房に身を寄せました。</s>
<s xml:id="s0000071600">妹は、<persName>善妙</persName>が<persName>ブッダ</persName>の生きていた時代に生まれなかったことを嘆くのをいつも聞きました。</s>
<s xml:id="s0000071700">それを言っては、姉はとめどなく涙を流し、悲しみはやまないようでした。</s></p>
<p xml:id="p0000020700"><s xml:id="s0000071800">その姉妹は４、５年一緒に暮らしましたが、妹は姉が食事をしているのを一度も見たことがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000071900">妹が食事を作り、一緒に食べるよう姉を呼ぶと、<persName>善妙</persName>はどこか別の場所で食事をとってきたところだとか、体調が思わしくなく、何も食べられないと言ったものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000020800"><s xml:id="s0000072000">このようにして、姉妹は幾年もの間一緒に生活しました。</s>
<s xml:id="s0000072100">妹は自分のことを恥じて言いました。</s>「<s xml:id="s0000072200">未亡人になるなんて、私はとても不幸だわ。</s>
<s xml:id="s0000072300">しかも他に親族もいない。</s>
<s xml:id="s0000072400">子どもと一緒に姉に頼って、とてもむさくるしく取り散らかしたに違いないから、姉さんはそのことに嫌気がさして、私と一緒に食事をしようとしないのだわ」。</s>
<s xml:id="s0000072500">彼女は眼に涙を浮かべてこのように言い、出て行こうとしました。</s></p>
<p xml:id="p0000020900"><s xml:id="s0000072600"><persName>善妙</persName>は彼女の手を取って、慰めて言いました。</s>「<s xml:id="s0000072700">あなたは私の心をわかっていません。</s>
<s xml:id="s0000072800">私は外で他の人々から供養を受けられるのですから、どうして家で食べる必要があるでしょうか。</s>
<s xml:id="s0000072900">あなたは安心して暮らしなさい。</s>
<s xml:id="s0000073000">私はじきに長い旅に出るつもりです。</s>
<s xml:id="s0000073100">あなたはこの家を守って、どうかどこにも行かないでください」。</s>
<s xml:id="s0000073200">この言葉を聞いて、妹は出て行く考えを捨てました。</s></p>
<p xml:id="p0000021000"><s xml:id="s0000073300">それから<persName>善妙</persName>は綿を紡いで布を作り、また数斗の油を買いました。</s>
<s xml:id="s0000073400">そしてその油を彼女は、素焼きの甕のなかに入れて中庭に置きました。</s>
<s xml:id="s0000073500"><persName>善妙</persName>は妹に言いました。</s>「<s xml:id="s0000073600">この油は功徳を積むためのものです。</s>
<s xml:id="s0000073700">どうか使わないでください。</s>」</p>
<p xml:id="p0000021100"><s xml:id="s0000073800"><date>4月18日</date>の深夜、<persName>善妙</persName>は自分の体を布で巻いて、その身体を焼きました。</s>
<s xml:id="s0000073900">火が頭に達した時、彼女は妹に鐘を打つ祭主を呼ぶよう頼みました。</s>「<s xml:id="s0000074000">私は今この命を捨てます（939c）。</s>
<s xml:id="s0000074100">比丘尼達に速やかに来て別れを告げるように知らせてください」。</s>
<s xml:id="s0000074200">比丘尼達は驚いて集まりました。</s>
<s xml:id="s0000074300"><persName>善妙</persName>にはまだ命があり、比丘尼達に言いました。</s>「<s xml:id="s0000074400">あなたがたはそれぞれ努め励みなさい。</s>
<s xml:id="s0000074500">輪廻は恐ろしいものです。</s>
<s xml:id="s0000074600">それからの解放を得るよう努めなさい。</s>
<s xml:id="s0000074700">どうか輪廻の生存で流転を繰り返さないように。</s>
<s xml:id="s0000074800">私は前世で27回もこの身を捨てて供養しました。</s>
<s xml:id="s0000074900">そしてこの生の一身で初めて私はその果を得ました。</s>」</p>
<p xml:id="p0000021200"><s xml:id="s0000075000">（<persName>宝唱</persName>注: 筆者が地元の人々に聞いて回った時、ある人々は、<persName>善妙</persName>が捨身をしたのは<date>元嘉17年（440）</date>のことであったと言い、また別の人々は、<date>孝建年間（454～456年）</date>、あるいは<date>大明年間（457～564）</date>に起こったことだと言いました。</s>
<s xml:id="s0000075100">従って、筆者はこれらすべての年代をここに記載しておきます</s>）</p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000021300"><title type="chapter"><s xml:id="s0000075200">27．<placeName>広陵</placeName>の<persName>僧果</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000021400"><s xml:id="s0000075300"><persName>僧果</persName>は元の姓を<persName>趙</persName>、名を<persName>法祐</persName>といいました。</s>
<s xml:id="s0000075400"><placeName>汲郡</placeName>の<placeName>修武</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000075500">彼女は前世から植え付けられた信心があり、生来正直で信仰心に篤い人でした。</s>
<s xml:id="s0000075600">乳飲み児であった時でさえも、彼女は昼を過ぎると乳を飲むのを止めました。</s>
<s xml:id="s0000075700">このために<persName>僧果</persName>の両親は彼女を褒め感嘆しました。</s>
<s xml:id="s0000075800">成人すると<persName>僧果</persName>は自分の心を一つの目的に集中しましたが、障害もあってなかなか機会が得られませんでした。</s>
<s xml:id="s0000075900">彼女が出家できたのは、27歳になってからでした。</s></p>
<p xml:id="p0000021500"><s xml:id="s0000076000"><persName>僧果</persName>は<placeName>広陵</placeName>の<persName>慧聰</persName>尼を師として彼女に仕え、戒律を忍耐強く守り、禅観を落ち度なく実践しました。</s>
<s xml:id="s0000076100">精神統一（定）に入るときはいつも黄昏時から夜明けまで、その精神を純粋に保ち、身体は枯木のように不動でした。</s>
<s xml:id="s0000076200">しかし意識の低い人々は、まだ疑いの目で見ていました。</s></p>
<p xml:id="p0000021600"><s xml:id="s0000076300"><date>元嘉6年（428）</date>になって、<persName>ナンディン（難提）</persName>という外国人の船主が比丘尼達を<placeName>獅子国（スリランカ）</placeName>から載せてきました。</s>
<s xml:id="s0000076400">その比丘尼達は<placeName>宋朝の首都</placeName>に到着し、<placeName>景福寺</placeName>に滞在しました。</s>
<s xml:id="s0000076500">しばらくして彼女達は<persName>僧果</persName>に尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000076600">この国には以前、外国の比丘尼がいたことはありますか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000021700"><s xml:id="s0000076700">彼女は「ありません」と答えました。</s></p>
<p xml:id="p0000021800"><s xml:id="s0000076800">すると比丘尼達は尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000076900">では以前に〔中国の〕比丘尼達はどうやって〔比丘サンガと比丘尼サンガという〕二つのサンガから具足戒を受けることができたのですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000021900"><s xml:id="s0000077000"><persName>僧果</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000077100">〔中国の最初の比丘尼達は〕比丘サンガから具足戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000077200">人々の心に〔具足戒を受けることの〕重い意味を理解させるための方便でした。</s>
<s xml:id="s0000077300">ですから、マハープラジャーパティー（大愛道）が八敬法を受け入れ、五百人の釈迦族の女性たちがマハープラジャーパティーを和上（師匠）としたのと同じです。</s>
<s xml:id="s0000077400">これは重要な先例です。</s>」</p>
<p xml:id="p0000022000"><s xml:id="s0000077500"><persName>僧果</persName>は〔比丘尼達の問いに〕こう答えましたが、彼女の心の中にはまだ疑念が残っていました。</s>
<s xml:id="s0000077600">そこで<persName>僧果</persName>はこのことを全て、<persName>三蔵</persName>（経典と戒律と論書をすべて理解している僧侶の称号） に尋ねてみました。</s>
<s xml:id="s0000077700"><persName>三蔵</persName>は同じ解釈をしました。</s>
<s xml:id="s0000077800">彼女はさらに質問しました。</s>「<s xml:id="s0000077900">具足戒を二度受けてよいのですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000022100"><s xml:id="s0000078000"><persName>三蔵</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000078100">戒律、禅定、智慧という仏教の修行項目は、
	小さいことから〔次第に発展して〕身につくものですから、具足戒を二度受ければ、いっそうよいでしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000022200"><s xml:id="s0000078200"><date>元嘉10年</date>、船主<persName>ナンディン</persName>は、再び<placeName>獅子国（スリランカ）</placeName>から<persName>デーヴァサーラー（鉄薩羅）</persName>を始めとする11人の比丘尼を連れてきました。</s>
<s xml:id="s0000078300">彼女達より前にやってきていた比丘尼達はすでに中国語を使いこなせるようになっていました。</s>
<s xml:id="s0000078400">彼女たちは<persName>サンガヴァルマン（僧伽跋摩）</persName>に南林寺に戒壇の界（シーマー）を定めるように懇請しました。</s>
<s xml:id="s0000078500">そして次々と300人余りの比丘尼が二度目の具足戒を受けました。</s></p>
<p xml:id="p0000022300"><s xml:id="s0000078600"><date>元嘉18年（441）</date>、<persName>僧果</persName>は34歳になりました。</s>
<s xml:id="s0000078700">あるとき、彼女は一日中静かに瞑想して座っていました。</s>
<s xml:id="s0000078800">寺の執事長（維那）は彼女に触れてみて、彼女が死んだと知らせました。</s>
<s xml:id="s0000078900">驚いて寺官（寺の寺務をつかさどる職）は別の寺官に次々と知らせ、調べてみようとして皆やってきました。</s>
<s xml:id="s0000079000"><persName>僧果</persName>の身体が冷たくなり、体の肉が硬直しているのを見ました（940a）。</s>
<s xml:id="s0000079100">しかし彼女はかすかに呼吸をしていました。</s>
<s xml:id="s0000079200">寺官達が彼女を運ぼうとした時、<persName>僧果</persName>は眼を開き、いつものように微笑みながら語りかけました。</s>
<s xml:id="s0000079300">そういうわけで、愚かな者達は驚嘆し彼女に敬服しました。</s>
<s xml:id="s0000079400">その後どのように人生を終えたのかはわかっていません。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000022400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000079500">28．<placeName>山陽</placeName>の<placeName>東郷</placeName>の<placeName>竹林寺</placeName>の<persName>静称</persName></s></title></p>
<p xml:id="p0000022500"><s xml:id="s0000079600"><persName>静称</persName>は元の姓を<persName>劉</persName>、名を<persName>勝</persName>といい、<placeName>譙郡</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000079700">彼女は戒律を完璧に厳しく守り、読誦した経典は四万五千語に及びました。</s>
<s xml:id="s0000079800">彼女が住んだ寺は山の麓の林にあり、あらゆる喧騒から離れていました。</s>
<s xml:id="s0000079900">彼女の心は自由に瞑想にひたることができ、世間的な労苦からは全く自由でした。</s></p>
<p xml:id="p0000022600"><s xml:id="s0000080000">あるとき、一人の男が牛を見失って探し回りました。</s>
<s xml:id="s0000080100">彼は夜にその山に来て寺の方を見ると、林に火が盛んに燃え上がっているのが見えましたが、その場所に行ってみると何もありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000022700"><s xml:id="s0000080200">一頭の虎が、いつも<persName>静称</persName>が行く所について歩いていました。</s>
<s xml:id="s0000080300">彼女が座禅をすると、その虎は彼女の脇にうずくまりました。</s>
<s xml:id="s0000080400">寺の中の比丘尼が過失を犯して適時に懺悔をしないと、その虎は大いに怒りました。</s>
<s xml:id="s0000080500">しかし懺悔をすれば、虎は喜びました。</s></p>
<p xml:id="p0000022800"><s xml:id="s0000080600">後に<persName>静称</persName>は山からしばらく出かけていたときに、道中で<placeName>北地</placeName>から来た女性に出会いました。</s>
<s xml:id="s0000080700">その女性は、旧知であるかのように気さくに挨拶をしました。</s>
<s xml:id="s0000080800">彼女は姓を<persName>仇</persName>、名を<persName>文姜</persName>といい、<placeName>博平</placeName>の出身でした。</s>
<s xml:id="s0000080900">彼女はもともと仏法を好んでいました。</s>
<s xml:id="s0000081000">仏道が南方で盛んに行われていると聞いて、旅行くための道が開けた時、彼女は南方の地にやって来たのでした。</s>
<s xml:id="s0000081100">それから彼女は出家し、<persName>静称</persName>と共に苦行生活を送りました。</s>
<s xml:id="s0000081200">二人とも米を食べずに、胡麻などの雑穀を食べました。</s></p>
<p xml:id="p0000022900"><s xml:id="s0000081300">〔その二人の女性の〕名声は<placeName>異民族の都</placeName>に届きました。</s>
<s xml:id="s0000081400">異民族はその二人を聖人だと考え、使節を送って彼女達を迎えました。</s>
<s xml:id="s0000081500">しかし二人は辺境の地に留まりたくなかったので、評判を壊すためにわざと無作法な振舞いをしました。</s>
<s xml:id="s0000081600">異民族の首長が魚や肉を含む上等な御馳走を彼女達のために用意すると、彼女達はそれをがつがつと食べました。</s>
<s xml:id="s0000081700">このせいで首長は彼女達のことを軽蔑し、それ以上引き留めませんでした。</s>
<s xml:id="s0000081800"><persName>静称</persName>と<persName>文姜</persName>はこうしてまた元の寺に戻ることができました。</s>
<s xml:id="s0000081900"><persName>静称</persName>は病にかかることもなく93歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000023000"><title type="chapter"><s xml:id="s0000082000">29．<placeName>呉</placeName>の<placeName>太玄台寺</placeName>の<persName>法相</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000023100"><s xml:id="s0000082100"><persName>法相</persName>は元の姓を<persName>侯</persName>といい、<placeName>敦煌</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000082200">彼女の振舞いは清らかできちんとしていました。</s>
<s xml:id="s0000082300">才能と識見は傑出していました。</s>
<s xml:id="s0000082400">志し篤く学問が好きで、しばしば食うや食わずの生活に陥っても、学ぶことを止めませんでした。</s>
<s xml:id="s0000082500"><persName>法相</persName>は清貧に甘んじていたので、栄達のために心を変えることはしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000082600">彼女は<persName>伝氏</persName>に嫁ぎましたが、その家は何度も不運に見舞われました。</s></p>
<p xml:id="p0000023200"><s xml:id="s0000082700"><persName>符堅</persName>が敗れた時、<persName>法相</persName>の親族は〔皆〕離れ離れになったり行方知れずになったりしました。</s>
<s xml:id="s0000082800">そこで彼女は出家して戒律を守り、信心はますます深まりました。</s>
<s xml:id="s0000082900">彼女はしばしば自分の衣類や食物を<persName>慧宿</persName>尼に施与しました。</s>
<s xml:id="s0000083000">寺の他の比丘尼達は<persName>法相</persName>に忠告しました。</s>「<s xml:id="s0000083100"><persName>慧宿</persName>は教養に乏しく、口の利き方を知りません。</s>
<s xml:id="s0000083200">彼女は未だに心を仏法や経律に向けようとしません。</s>
<s xml:id="s0000083300">瞑想法を学びたいようですが、彼女には師範がいません。</s>
<s xml:id="s0000083400">頑迷で頭が悪くて、最低の人です。</s>
<s xml:id="s0000083500">どうしてもっと良い田に功徳の種を撒かずに、劣った福徳しか得ようとしないのですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000023300"><s xml:id="s0000083600"><persName>法相</persName>は答えました。</s>「<s xml:id="s0000083700">田が良いか悪いかは聖人だけが知っています。</s>
<s xml:id="s0000083800">私は凡人ですから、どうして取捨選択できましょうか。</s>
<s xml:id="s0000083900">施し物を必要としている人にたまたま出会って、自分の利を考えず与えても、何の問題がありましょうか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000023400"><s xml:id="s0000084000">後に<persName>慧宿</persName>は瞑想斎戒を七日間行いました。</s>
<s xml:id="s0000084100">三日目の夜に、彼女は比丘尼達と一緒に座っていました。</s>
<s xml:id="s0000084200">他の比丘尼達が立ち上がった時、彼女は立ち上がりませんでした（940b）。</s>
<s xml:id="s0000084300">比丘尼達は近づいて彼女を見て、彼女が木石のように堅くなっており、押されても動かないのに気づきました。</s>
<s xml:id="s0000084400">彼女達は彼女が死んだのだと言いました。</s>
<s xml:id="s0000084500">ところが三日後に、<persName>慧宿</persName>は立ち上がり、いつもと全く変わったようすはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000084600">比丘尼達は彼女に感服し、<persName>法相</persName>の深い洞察力と理解力を悟ったのでした。</s>
<s xml:id="s0000084700">このような出来事は後にも先にも一度ならずありました。</s></p>
<p xml:id="p0000023500"><s xml:id="s0000084800">歳を取るにつれて、<persName>法相</persName>は自分の行いに一層厳格になりました。</s>
<s xml:id="s0000084900">90歳余りで、<date>元嘉年間の終わり</date>に亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000023600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000085000">30．<placeName>東青園寺</placeName>の<persName>業首</persName>尼 </s></title></p>
<p xml:id="p0000023700"><s xml:id="s0000085100"><persName>業首</persName>は元の姓を<persName>張</persName>といい、<placeName>彭城</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000085200">彼女の立ち居振舞いは高尚で威厳があり戒行には清廉潔白でした。</s>
<s xml:id="s0000085300">大乗の教えを深く理解し、精妙な真理によく通じていました。</s>
<s xml:id="s0000085400">瞑想と経典の読誦をとても好み、忙しい時でも、怠ることはありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000023800"><s xml:id="s0000085500">宋の<persName>高祖武帝（在位420～422年）</persName>は彼女を非凡な人物として高く崇敬しました。</s>
<s xml:id="s0000085600"><persName>文帝（在位424～453年）</persName>は若い時に、<persName>業首</persName>から三帰依を受け、彼女を<placeName>永安寺</placeName>に住まわせて、滞ること無く布施しました。</s>
<s xml:id="s0000085700"><date>元嘉2年</date>に<persName>王景深</persName>の母の<persName>范氏</persName>は、<persName>王坦之</persName>の祠堂があった土地を<persName>業首</persName>に寄進しました。</s>
<s xml:id="s0000085800"><persName>業首</persName>は寺を建立し、<placeName>青園寺</placeName>と名づけました。</s></p>
<p xml:id="p0000023900"><s xml:id="s0000085900"><persName>業首</persName>が弟子達を、静粛に敬意をもって導く様子はとても風格がありました。</s>
<s xml:id="s0000086000">皇妃の一人、<persName>藩貴妃</persName>は感嘆して言いました。</s>「<s xml:id="s0000086100"><persName>業首</persName>尼は仏法を興隆させています。</s>
<s xml:id="s0000086200">とても尊敬に値することです」と。</s>
<s xml:id="s0000086300"><date>元嘉15年（438）</date>に<persName>藩貴妃</persName>は、<persName>業首</persName>のために寺を拡張し、寺の西側に仏殿を創建しました。</s>
<s xml:id="s0000086400">そしてさらに拡張して、北側に僧房を造立しました。</s>
<s xml:id="s0000086500">彼女はまた比丘尼達に必要なものを何でも与え、寺は繁栄しました。</s>
<s xml:id="s0000086600">二百人からなる比丘尼衆は法事を休みなく行いました。</s></p>
<p xml:id="p0000024000"><s xml:id="s0000086700">齢を重ねるにつれ、ますます多くの人々が彼女を尊敬しました。</s>
<s xml:id="s0000086800">老齢を理由に彼女は引退したいと申し出ましたが、比丘尼衆は同意しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000086900"><date>大明6年（462）</date>に彼女は90歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000024100"><s xml:id="s0000087000">その当時、<persName>浄哀</persName>、<persName>宝英</persName>、<persName>法林</persName>という三人の比丘尼もいました。</s>
<s xml:id="s0000087100">彼女達は皆、その非の打ち所のない徳のために、都のある地方で名声がありました。</s>
<s xml:id="s0000087200"><persName>浄哀</persName>は瞑想と経典の読誦を久しく行い、〔尼寺に関わる〕事にあたって清廉潔白でした。</s>
<s xml:id="s0000087300">彼女は<date>泰始5年（469）</date>に亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000087400"><persName>宝英</persName>は五重塔を建立し、勤勉に学び菜食主義を貫きました。</s>
<s xml:id="s0000087500">彼女は<date>泰始6年（470）</date>に亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000087600"><persName>法林</persName>は経典と戒律を大変詳しく知り、歳をとっても怠けることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000087700">彼女は<date>元徽元年（473）</date>に亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000087800"><persName>法林</persName>にはまた<persName>曇寅</persName>という弟子がおり、瞑想と戒律の両方にも通じていました。</s>
<s xml:id="s0000087900"><persName>曇寅</persName>も世俗の栄華から離れ、朝の市場をちらりと見ることもしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000088000">彼女は<date>元徽6年（478）年 </date>に亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000024200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000088100">31．<placeName>景福寺</placeName>の<persName>法弁</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000024300"><s xml:id="s0000088200"><persName>法弁</persName>は<placeName>丹陽</placeName>の出身で、若い時に出家し、<placeName>景福寺</placeName>の<persName>慧果</persName>の弟子になりました。</s>
<s xml:id="s0000088300">彼女は忠義に篤く清廉で、慎ましく質素に暮らしました。</s>
<s xml:id="s0000088400">粗い衣をまとい、菜食して臭い強い物や辛い物を食べませんでした。</s>
<s xml:id="s0000088500">高潔の誉は早くから都で知られていました。</s>
<s xml:id="s0000088600"><placeName>楊州</placeName>の長官で琅邪王の<persName>郁</persName>は彼女を大いに尊敬しました。</s></p>
<p xml:id="p0000024400"><s xml:id="s0000088700">後に<persName>法弁</persName>は道林寺の外国人沙門である<persName>畺良弥舎（カーラヤシャス、382～443年）</persName>から禅観を学びました。</s>
<s xml:id="s0000088800">そして彼女は禅観を正しい方法で修行して、完全な理解を得ました。</s>
<s xml:id="s0000088900">修行者の集りの中にいる時はいつも、<persName>法弁</persName>は眠っているかのようでした。</s>
<s xml:id="s0000089000">あるとき食堂で皆が立ち去ったとき、彼女は立ち上がりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000089100">寺務長（維那）が驚いて彼女に触れてみると、木石のように堅く動きませんでした。</s>
<s xml:id="s0000089200">寺務長が急いで知らせると皆が集まってじっと見つめました。</s>
<s xml:id="s0000089300">すると一瞬の後に<persName>法弁</persName>は禅定から覚め、いつも通りに話し始めました。</s>
<s xml:id="s0000089400">比丘尼達は皆感服し、今まで以上に尊敬するようになりました（940c）。</s></p>
<p xml:id="p0000024500"><s xml:id="s0000089500"><date>大明7年（463）</date>、<persName>法弁</persName>は60歳余りで亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000089600">その二日前、<placeName>上定林寺</placeName>の<persName>超弁</persName>法師 は、夢に荘厳で美しい宮城を見ました。</s>
<s xml:id="s0000089700">そこでは衣服や装飾品その他の品々が光り輝き、この世のものではありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000089800">〔その宮城には〕上等な衣服で盛装した男女が満ちていましたが、主がいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000089900"><persName>超弁</persName>がそのわけを尋ねると、人々は答えました。</s>「<s xml:id="s0000090000"><placeName>景福寺</placeName>の<persName>法弁</persName>がもうすぐここに生まれます。</s>
<s xml:id="s0000090100">明日ここに到着することになっています。</s>」</p>
<p xml:id="p0000024600"><s xml:id="s0000090200">その日、<persName>法弁</persName>はただ震えを感じました。</s>
<s xml:id="s0000090300">ある者にそのことを知らせに比丘尼達のもとへ行かせました。</s>
<s xml:id="s0000090400">老若の比丘尼達が皆集まると、彼女は言いました。</s>「<s xml:id="s0000090500">私のまわりに不思議な人々がいます。</s>
<s xml:id="s0000090600">影のように雲のように、急に現れたり消えたりします」。</s>
<s xml:id="s0000090700">このように言うと、彼女は坐ったまま命終しました。</s></p>
<p xml:id="p0000024700"><s xml:id="s0000090800">後にまた、<persName>道照</persName>と<persName>僧弁</persName>という〔比丘尼達〕があり、二人は精進努力することで有名でした。</s>
<s xml:id="s0000090900"><persName>道照</persName>は元の姓を<persName>楊</persName>といい、<placeName>北地</placeName>の<placeName>徐</placeName>の出身でした。</s>
<s xml:id="s0000091000">彼女は菜食し誦経に励み、<persName>臨賀王（南朝斉武帝の十六男の蕭子岳）</persName>の供養を受けました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000024800"><title type="chapter"><s xml:id="s0000091100">32．<placeName>江陵</placeName>の<placeName>三層寺</placeName>の<persName>道綜</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000024900"><s xml:id="s0000091200"><persName>道綜</persName>の出身はわかっていません。</s>
<s xml:id="s0000091300">彼女は<placeName>江陵</placeName>の<placeName>三層寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000091400">若い頃から、外見で人々を差別せず、長じては、出家か在家かで人柄を判断しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000091500">賢者とも愚者とも仏道のためにわけ隔てなく交際しました。</s>
<s xml:id="s0000091600">彼女の徳行はあらゆる事におよび、人々を救済しようとする努力は深く広いものでした。</s></p>
	<p xml:id="p0000025000"><s xml:id="s0000091700"><date>宋朝の大明7年（463）3月15日の夜</date>、<persName>道綜</persName>は〔自分の全身に〕油を〔注いで〕火を点けました。</s>
<s xml:id="s0000091800">額が燃え、耳と目が炎で焼け落ちても、彼女は中断することなく経典を誦していました。</s>
<s xml:id="s0000091900">出家者も在家者も嘆息し、邪な者も誠実な者も同様に驚嘆しました。</s>
<s xml:id="s0000092000">この出来事を聞いた国中の者達は、悟りを求める心を起こしました。</s>
<s xml:id="s0000092100">宋朝の仏教学者の<persName>劉虬</persName>は、彼女を高く尊敬し、彼女のために詩を作って讃えました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000025100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000092200">33．<placeName>竹園寺</placeName>の<persName>慧濬</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000025200"><s xml:id="s0000092300"><persName>慧濬</persName>は元の姓を<persName>陳</persName>といい、山陰の出身です。</s>
<s xml:id="s0000092400">幼い頃から彼女は聡明で、努力家ぶりは群を抜いていました。</s>
<s xml:id="s0000092500">朝にはいつも香を焚いて、暫くの間、瞑想し礼拝しました。</s>
<s xml:id="s0000092600">昼には菜食一飯だけをとり、肉や魚を食べませんでした。</s>
<s xml:id="s0000092700">在家のときでも、彼女は出家者のように生活していました。</s>
<s xml:id="s0000092800"><persName>慧濬</persName>の両親は彼女の志を変えることはできず、18歳になった時に、出家を許しました。</s></p>
<p xml:id="p0000025300"><s xml:id="s0000092900"><persName>慧濬</persName>は仏教と仏教外の典籍経典を読みました。</s>
<s xml:id="s0000093000">彼女は深い瞑想や神秘的な観想をすべて実践しました（941a）。</s>
<s xml:id="s0000093100">彼女は物静かで争わず、温和で節制のある人でした。</s>
<s xml:id="s0000093200">友人や知人とも決して軽薄なおしゃべりはしませんでした。</s></p>
	<p xml:id="p0000025400"><s xml:id="s0000093300"><placeName>宋</placeName>の宰相で江夏王の<persName>〔劉〕義恭（413～465年）</persName>は彼女を大いに敬い、四季にいつも忘れることなく衣と薬を施与しました。</s>
<s xml:id="s0000093400"><persName>慧濬</persName>は私財を蓄えずに、すべて寺舎を造営するために使いました。</s>
<s xml:id="s0000093500"><placeName>竹園寺</placeName>の建立は<persName>慧濬</persName>の功績です。</s>
<s xml:id="s0000093600">瞑想を好むことは、老いても衰えることはありませんでした。</s>
		<s xml:id="s0000093700"><date>宋朝の大明8年（464）</date>、彼女は73歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000093800">彼女の亡骸は<placeName>傅山</placeName>に埋葬されました。</s></p>
<p xml:id="p0000025500"><s xml:id="s0000093900">同じ<placeName>竹園寺</placeName>には<persName>僧化</persName>という比丘尼もいました。</s>
<s xml:id="s0000094000">彼女も聡明で傑出した人物で、多くの経律を読誦しました。</s>
<s xml:id="s0000094100">菜食・苦行生活を営み、<persName>慧濬</persName>と並んで有名になりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000025600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000094200">34．<placeName>普賢寺</placeName>の<persName>宝賢</persName></s></title></p>
<p xml:id="p0000025700"><s xml:id="s0000094300"><persName>宝賢</persName>は元の姓を<persName>陳</persName>といい、<placeName>陳郡</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000094400">16歳の時、彼女の母親が亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000094500">三年間喪に服して、穀物を食べずに葛の根や芋を食べて過ごしました。</s>
<s xml:id="s0000094600">彼女は絹や真綿の衣を着ることもなく、柔らかい椅子に座ることもありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000094700">19歳で出家し、<placeName>建安寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000094800">彼女は行儀正しく熱心に学び、瞑想と戒律に精通しました。</s></p>
<p xml:id="p0000025800"><s xml:id="s0000094900">南朝宋の<persName>文皇帝（在位424～453年）</persName>は<persName>宝賢</persName>を丁重に遇し、衣食を彼女に施与しました。</s>
<s xml:id="s0000095000">さらに<persName>孝武帝（在位454～464年）</persName>も<persName>宝賢</persName>を、敬意をもって遇し、月に貨幣一万を支給しました。</s>
<s xml:id="s0000095100"><persName>明帝（465～472年）</persName>が即位すると、彼は<persName>宝賢</persName>をさらにいっそう高く賞賛して敬いました。</s></p>
<p xml:id="p0000025900"><s xml:id="s0000095200"><date>泰始元年（465）</date>に、<persName>宝賢</persName>は勅命により<placeName>普賢寺</placeName>の寺主に任じられました。</s>
<s xml:id="s0000095300">また<date>泰始2年 （466）</date>に、彼女は勅命により首都の比丘尼達の僧正に任じられました。</s>
<s xml:id="s0000095400">彼女には威風があり、神のように公正な判断を下しました。</s>
<s xml:id="s0000095500">彼女は物事の道理をよくわきまえ、不正があれば必ず正しました。</s>
<s xml:id="s0000095600">堅固で実直な性格をそなえており、優柔不断なところはありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000026000"><s xml:id="s0000095700">以前、<date>晋朝の興平年間</date>に、<persName>浄撿</persName>尼という人がありました。</s>
<s xml:id="s0000095800">彼女は中国における最初の比丘尼でした。</s>
<s xml:id="s0000095900"><persName>浄撿</persName>は、初めて尼僧として具足戒を受けるのに、男性の比丘サンガに依らなければなりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000096000">その後、<placeName>影福寺</placeName>の<persName>恵果</persName>、<persName>浄音</persName>達は<persName>求那跋摩（グナヴァルマン）</persName>にこのことについて尋ねました。</s>
<s xml:id="s0000096100"><persName>求那跋摩</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000096200">もしその国に、〔比丘サンガと比丘尼サンガという〕２つのサンガが存在していなければ、
	比丘サンガからのみ具足戒を受ければよろしい。</s>」</p>
<p xml:id="p0000026100"><s xml:id="s0000096300">後に<persName>恵果</persName>達は、外国の<persName>鉄薩羅尼（デーヴァサーラー）</persName>達が中国に来ると、
	<date>元嘉11年（434）</date>に<placeName>南林寺</placeName>の戒壇で、<persName>僧伽跋摩（サンガヴァルマン）</persName>から二度目の具足戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000096400">これは彼女達が以前に受けた具足戒が無効であると考えられたからではなく、戒律の良さを高揚しようとしたからです。</s></p>
<p xml:id="p0000026200"><s xml:id="s0000096500">その出来事の後、新奇なことを好む者達が盛んに張り合って、戒律の伝習を損なってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000096600"><date>元徽2年（474）</date>、戒律に詳しい<persName>法頴</persName> という師が『十誦律（サルヴァースティヴァーダ・ヴィナヤ）』を<placeName>晋興寺</placeName>で講義しました。</s>
<s xml:id="s0000096700">講義が終わった時、十人余りの比丘尼達が再び具足戒を受けることを望みました。</s></p>
<p xml:id="p0000026300"><s xml:id="s0000096800"><persName>宝賢</persName>は人を宗務局に派遣し、命令を講堂に持ち帰らせました。</s>
<s xml:id="s0000096900">そこで、木鐘を鳴らして比丘尼達にその命令が告げられました。</s>「<s xml:id="s0000097000">具足戒を二度受けることは許されない。</s>
<s xml:id="s0000097100">もし〔具足戒を受けた〕比丘尼が成年に達していないことが分かった時は、その比丘尼の師が、まずサンガの前で彼女に懺悔させ、その後に宗務局に届けなければならない。</s>
<s xml:id="s0000097200">宗務局が許可したら、保証人が監督してもう一度具足戒を受けなおすことができる。</s>
<s xml:id="s0000097300">これに違反するものは追放される」と。</s>
<s xml:id="s0000097400">これによって、〔比丘尼の受戒についての〕おかしな慣行はしばらくの間やみました。</s></p>
<p xml:id="p0000026400"><s xml:id="s0000097500">役職についている間、<persName>宝賢</persName>は清廉で簡素に暮らしました。</s>
<s xml:id="s0000097600">彼女は諸事を扱うのに才能があり正義を貫きました。</s>
<s xml:id="s0000097700">彼女は、比丘尼達を安心させ、下の者達に対して親切でした（941b）。</s>
<s xml:id="s0000097800">孤高を守り欲が少なく、世の人々はますます彼女を尊敬しました。</s>
<s xml:id="s0000097900"><date>昇明元年（477）</date>、<persName>宝賢</persName>は77歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000026500"><title type="chapter"><s xml:id="s0000098000">35．<placeName>普賢寺</placeName>の<persName>法浄</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000026600"><s xml:id="s0000098100"><persName>法浄</persName>は<placeName>江北（揚子江の北）</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000098200">20歳の時、騒乱に遭い、父親に従って<placeName>秣陵</placeName>に逃げて身を寄せました。</s>
<s xml:id="s0000098300">仏教徒の家の出身であったので、彼女は若くして出家し、<placeName>永福寺</placeName>に住みました。</s></p>
<p xml:id="p0000026700"><s xml:id="s0000098400"><persName>法浄</persName>は戒行を潔癖に守り、物事の道理に明るい人でした。</s>
<s xml:id="s0000098500">深く思考をめぐらし熱心に学び、深遠な教義を究めました。</s>
<s xml:id="s0000098600">彼女の名声と地位は<persName>宝賢</persName>尼とほぼ並ぶものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000026800"><s xml:id="s0000098700">宋朝の<persName>明皇帝（在位465～472年）</persName>は彼女を非凡な人物であるとして、<date>泰始元年（465年）</date>に勅命を出して<placeName>普賢寺</placeName>に住まわせました。</s>
<s xml:id="s0000098800">宮中に招待された時、<persName>法浄</persName>は師や友にふさわしい礼をもって遇されました。</s>
<s xml:id="s0000098900"><date>泰始2年（466）</date>、彼女は勅命により首都の寺務長（維那）に任じられました。</s>
<s xml:id="s0000099000">彼女が公正にかつ適格に諸事を処理しましたが、それは殊に優れたものでした。</s>
<s xml:id="s0000099100">彼女は分野に応じて人を推挙したり昇進させたりしましたが、それは水が低い方へ流れるように彼女の徳として帰ってくるのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000026900"><s xml:id="s0000099200"><placeName>楚・荊地方（現在の湖北・湖南省）</placeName>の比丘尼達やその親族の女性たちは、遠方からでも彼女宛に手紙を書いたり、
	贈り物を送ったりして知遇を得ようとしました。</s>
<s xml:id="s0000099300">実に<persName>法浄</persName>の知性と徳は比類の無いものでした。</s>
<s xml:id="s0000099400">700人の人々が、彼女を戒行の模範として教えを請いました。</s>
<s xml:id="s0000099500"><date>元徽元年（473）</date>に、65歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000027000"><title type="chapter"><s xml:id="s0000099600">36．<placeName>蜀郡</placeName>の<placeName>永康寺</placeName>の<persName>慧耀</persName>尼 </s></title></p>
<p xml:id="p0000027100"><s xml:id="s0000099700"><persName>慧耀</persName>は元の姓を周といい、<placeName>西平</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000099800">若い時に出家し、常に焼身して三宝を供養すると誓っていました。</s>
<s xml:id="s0000099900"><date>泰始年間（465～471）</date>の末に、彼女は焼身の許可を郡の長官であった<persName>劉亮</persName>に求めました。</s>
<s xml:id="s0000100000">彼は最初それを許可しました。</s>
<s xml:id="s0000100100"><persName>趙虔恩</persName>の側室の<persName>王氏</persName>が建てた煉瓦の塔があり、<persName>慧耀</persName>はその塔の上で焼身する許可を求めました。</s>
<s xml:id="s0000100200"><persName>王氏</persName>は許諾しました。</s></p>
<p xml:id="p0000027200"><s xml:id="s0000100300"><date>１月15日の夜</date>、<persName>慧耀</persName>は弟子達を引き連れ、油と布を携えてその塔に来ました。</s>
<s xml:id="s0000100400">ところが<persName>慧耀</persName>が身支度を終える前に、<persName>劉亮</persName>は手紙を送り、「もし<persName>慧耀</persName>が焼身自殺をしたら、
	<placeName>永康寺</placeName>の比丘尼全員が重い罰を受けることになるだろう」と伝えました。</s>
<s xml:id="s0000100500"><persName>慧耀</persName>は暫くの間、思いとどまらざるを得ませんでした。</s>
<s xml:id="s0000100600">すると<persName>王氏</persName>は激怒して言いました。</s>「<s xml:id="s0000100700">あの比丘尼は名声と利得を得ようとして、大それたことをするふりをしたのです。</s>
<s xml:id="s0000100800">しかしそのために密かに衙門（長官の役所）にいる人々に賄賂を渡したのでしょう。</s>
<s xml:id="s0000100900">さもなければ、どうして夜中に都の人がこんなことを知ることができたでしょうか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000027300"><s xml:id="s0000101000"><persName>慧耀</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000101100">奥様、そうお怒りにならないで下さい。</s>
<s xml:id="s0000101200">捨身は私だけのことです。</s>
<s xml:id="s0000101300">どうして他の人々がそのことを知りましょうか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000027400"><s xml:id="s0000101400">そこで<persName>慧耀</persName>は寺に戻り、穀類を食べるのをやめ胡麻油を飲みました。</s>
<s xml:id="s0000101500"><date>昇明元年（477）</date>、彼女は寺の中で焼身を遂げました。</s>
<s xml:id="s0000101600">炎が顔に達した時も、彼女は誦経をやめませんでした。</s>
<s xml:id="s0000101700">彼女は比丘尼達に言いました。</s>「<s xml:id="s0000101800">私の遺骨を集めたら、ちょうど二升になるでしょう」。</s>
<s xml:id="s0000101900">火が消えると、結果は彼女が言ったとおりでした。</s></p>
<p xml:id="p0000027500"><s xml:id="s0000102000"><persName>慧耀</persName>が焼身する一月ほど前に、20歳くらいの<persName>外国人沙門</persName>が〔尼寺を〕訪れました。</s>
<s xml:id="s0000102100">彼は容姿端麗で、肩に生えている毛は、長さ６、７寸ほどでとても細くて柔らかでした。</s>
<s xml:id="s0000102200">人々が彼にそのことについて尋ねると、彼は通訳を介して「自分は肩を衣で覆ったことがないので、毛が生えたのです」と言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000027600"><s xml:id="s0000102300">彼は<persName>慧耀</persName>に言いました。</s>「<s xml:id="s0000102400">私は<placeName>ヴァーラーナシー（波羅奈）の王国</placeName>に住んでおり、
	ほんの数日前にここにやってきました。</s>
<s xml:id="s0000102500">私はあなたが捨身をすると聞きました。</s>
<s xml:id="s0000102600">ですから遺灰を収める銀の瓶を贈り物としてさしあげます」。</s>
<s xml:id="s0000102700"> （941c）<persName>慧耀</persName>はそれを自分の頭の上において受け取りました。</s>
<s xml:id="s0000102800">ところが彼女がさらに何かを聞こうとした時にはもう、彼は急いで去ってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000102900">人を送ってその<persName>外国人沙門</persName>を引き留めようとしましたが、<persName>沙門</persName>は門を出るとすぐに姿を消しました。</s>
<s xml:id="s0000103000"><persName>慧耀</persName>の舎利（遺骨）はその瓶に納められましたが、２合にも満たなかったということです。</s></p>
</div><div><p xml:id="p0000027700"> <s xml:id="s0000103100">巻二終わり</s></p></div>
</div>
<div n="3" type="fascicle">
<div><p xml:id="p0000027800"><s xml:id="s0000103200">巻三</s>
<s xml:id="s0000103300">斉朝</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000027900"><title type="chapter"><s xml:id="s0000103400">37．<placeName>東官</placeName>の<placeName>曽成</placeName>の<persName>法縁</persName></s></title></p>
<p xml:id="p0000028000"><s xml:id="s0000103500"><persName>法縁</persName>は元の姓を<persName>侖</persName>といい、<placeName>東官</placeName>の<placeName>曽成</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000103600"><date>宋朝の元嘉9年（432）</date>で、<persName>法縁</persName>は10歳、妹の<persName>法綵</persName>は9歳でした。</s>
<s xml:id="s0000103700">二人はまだ仏教の経典や教えについて何も知りませんでした。</s>
<s xml:id="s0000103800"><date>その年の2月8日</date>に姉妹は突如姿を消し、三日たって家に戻ってきました。</s>
<s xml:id="s0000103900">二人は自分達が浄土にある天の宮殿に行き、ブッダを見て、ブッダに教導を受けたと言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000028100"><s xml:id="s0000104000"><date>9月15日</date>に、<persName>法縁</persName>姉妹はまたいなくなり、十日たってから戻ってきました。</s>
<s xml:id="s0000104100">それから後、二人は外国の言葉を書いたり話したり、経典を誦唱することができるようになりました。</s>
<s xml:id="s0000104200"><placeName>西域</placeName>の人々に会うと、二人は彼らと流暢に話をしたり冗談を言ったりできました（942a）。</s></p>
<p xml:id="p0000028200"><s xml:id="s0000104300"><date>元嘉10年 （433）1月15日</date>、〔<persName>法縁</persName>と<persName>法綵</persName>は〕再び姿を消しました。</s>
<s xml:id="s0000104400">田畑で働いていた百姓達は、二人が風に乗って漂々と天に上っていくのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000104500">両親は娘達のことを心配し、恵みを求めて神々に祭祀を行いました。</s>
<s xml:id="s0000104600">一か月して姉妹は出家して法衣をまとい、〔剃った自分達の〕髪の毛を手に戻ってきました。</s></p>
<p xml:id="p0000028300"><s xml:id="s0000104700">姉妹は<persName>ブッダ</persName>と比丘尼に会ったと言いました。</s>
<s xml:id="s0000104800">そしてその比丘尼が「あなたがたは前世の因縁により、私の弟子になるのです」と言い、それから比丘尼が手を上げて二人の頭に触れると、髪は自然に抜け落ちました。</s>
<s xml:id="s0000104900">比丘尼は姉を<persName>法縁</persName>、妹を<persName>法綵</persName>と名付けました。</s>
<s xml:id="s0000105000">二人が戻る時、比丘尼は言いました。</s>「<s xml:id="s0000105100">あなたがたは精舎を立てなさい。</s>
<s xml:id="s0000105200">あなたがたに経典を与えましょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000028400"><s xml:id="s0000105300"><persName>法縁</persName>と<persName>法綵</persName>は神々を祀る家の祠堂を壊し、それを修繕して精舎にしました。</s>
<s xml:id="s0000105400">その精舎で日夜二人は経典を講義し誦唱しました。</s>
<s xml:id="s0000105500">夕方には五色の光明が差して照らし、あたかも山の峰に灯明か蝋燭があるかのようでした。</s>
<s xml:id="s0000105600">その時から、〔姉妹の〕振舞いは優雅で威厳があり、言葉と行いは非の打ち所がなく正しいものでした。</s>
<s xml:id="s0000105700">都で行われる経典の誦唱では姉妹に勝る者はいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000105800">郡の長官であった<persName>韋朗</persName>も<persName>孔黙</persName>も、二人を尊敬し供養しました。</s>
<s xml:id="s0000105900">彼らが二人の講話を聞いて非常に敬うことは、並はずれていました。</s>
<s xml:id="s0000106000">こうして学識ある人々は皆、仏教の正しい教えを信じるようになりました。</s></p>
<p xml:id="p0000028500"><s xml:id="s0000106100"><date>建元年間（479～482）</date>に、<persName>法縁</persName>は56歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000028600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000106200">38．<placeName>南永安寺</placeName>の<persName>曇徹</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000028700"><s xml:id="s0000106300"><persName>曇徹</persName>の出身はわかっていません。</s>
<s xml:id="s0000106400">彼女は若い時に<persName>普要</persName>尼の弟子になり、普要に従って<placeName>南永安寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000106500"><persName>普要</persName>はその時代、道を清く実践し学に優れていることで名をよく知られておりました。</s>
<s xml:id="s0000106600"><persName>曇徹</persName>のほうは行動に曲がったところがなく、学習修行を休むことはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000106700"><persName>曇徹</persName>は仏法の奥義を完璧に理解しようと決意しました。</s>
<s xml:id="s0000106800">具足戒を受ける前に、<persName>曇徹</persName>はすでに経典や論書を深く極めていました。</s>
<s xml:id="s0000106900">具足戒を受けた後は、特に戒律を広く学びました。</s></p>
<p xml:id="p0000028800"><s xml:id="s0000107000"><persName>曇徹</persName>は諸事を扱う才能があり、特に説法や講義に巧みでした。</s>
<s xml:id="s0000107100">彼女はものごとを詳細に分析し、深遠な事柄を探り真実を見いだすことができました。</s>
<s xml:id="s0000107200">比丘尼達は老いも若きも皆、彼女に師となってくれるように頼みました。</s>
<s xml:id="s0000107300">彼女達は書物を抱え、群れをなして、<persName>曇徹</persName>の行く所について行って講義を受けました。</s>
<s xml:id="s0000107400">五つの身分と七つの貴族の家柄（五侯七貴）の女性たちとそれ以外の人々も皆、彼女を敬わない人はいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000107500"><date>南朝斉（479～502年）の永明2年（484）</date>に、63歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000028900"><title type="chapter"><s xml:id="s0000107600">39．<placeName>崇聖寺</placeName>の<persName>僧敬</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000029000"><s xml:id="s0000107700"><persName>僧敬</persName>は元の姓を<persName>李</persName>といい、<placeName>会稽</placeName>の出身ですが、彼女の一家は<placeName>秣陵</placeName>に寓居していました。</s>
<s xml:id="s0000107800">彼女がまだ母の胎内にある時、家族は節会を行うために、<placeName>瓦官寺（首都建康の寺院）</placeName>の<persName>僧超</persName>と<placeName>西寺</placeName>の<persName>曇芝</persName>尼を招きました。</s>
<s xml:id="s0000107900">比丘と比丘尼二人は妊婦のお腹を指差し、胎児を自分達の弟子と呼ぶように頼まれました。</s>
<s xml:id="s0000108000">母親はお腹の子に代わって二人を師匠と呼び、その子が男の子であれ女の子であれ、必ず出家させると約束しました。</s></p>
<p xml:id="p0000029100"><s xml:id="s0000108100">出産の日に、母親は夢で神が語るのを聞きました。</s>「<s xml:id="s0000108200">あなたは八斎戒を守りなさい」。</s>
<s xml:id="s0000108300">そこで母親は八斎戒を行う準備を命じました。</s>
<s xml:id="s0000108400">ところが僧侶達が集まり仏像を拝む前に、<persName>僧敬</persName>が生まれてしまいました。</s>
<s xml:id="s0000108500">その時、空中に声が聞こえました。</s>「<s xml:id="s0000108600">その子は<placeName>建安寺</placeName>の<persName>白尼</persName>の弟子にしなさい」。</s>
<s xml:id="s0000108700">母親はその言葉に従いました。</s></p>
<p xml:id="p0000029200"><s xml:id="s0000108800">5歳か6歳になった頃、<persName>僧敬</persName>は人々が経を唄えるのを聞くと、すぐに諳んずることができました（942b）。</s>
<s xml:id="s0000108900">数百の経巻を読み、その理解は日に日に深くなっていきました。</s>
<s xml:id="s0000109000">菜食克己し、その清らかな生き方は次第に有名になりました。</s></p>
<p xml:id="p0000029300"><s xml:id="s0000109100"><date>元嘉年間</date>に、<placeName>魯郡</placeName>の<persName>孔黙</persName>が<placeName>広州の要塞</placeName>に派遣されました。</s>
<s xml:id="s0000109200"><persName>僧敬</persName>は彼に同行してその地に赴きました。</s>
<s xml:id="s0000109300">そこで彼女は<placeName>外国（スリランカ）</placeName>から来た<persName>鉄薩羅（デーヴァサーラー）</persName>尼達に出会いました。</s>
<s xml:id="s0000109400">彼女達は<placeName>宋の都</placeName>に行く途中でした。</s>
<s xml:id="s0000109500">彼女達の振る舞いと性格は並外れて気高いものでした。</s>
<s xml:id="s0000109600"><persName>僧敬</persName>は彼女たちから二度目の具足戒を受け、無常の教えを深く理解しました。</s></p>
<p xml:id="p0000029400"><s xml:id="s0000109700">それから<persName>僧敬</persName>は船に乗って海を渡り<placeName>〔インドの〕聖地</placeName>を訪れたいと思いました。</s>
<s xml:id="s0000109800">しかし出家者も在家者も渡航は禁じられていました。</s>
<s xml:id="s0000109900">そこで彼女は<placeName>嶺南</placeName>に30年余り留まりました。</s>
<s xml:id="s0000110000">彼女の道徳的な影響力が広まるにつれて、無知蒙昧な人々も心を動かされました。</s>
<s xml:id="s0000110100">邸宅や庭を彼女に寄進した家は13にも及び、彼女のために<placeName>潮亭</placeName>に寺が建立し、<placeName>衆造寺</placeName>と名づけました。</s></p>
<p xml:id="p0000029500"><s xml:id="s0000110200">南朝宋の<persName>明帝（在位465～472年）</persName>がこれを聞いて、遠くから使者を送って彼女を招聘すると、<placeName>番禺（広州のこと）</placeName>の出家者も在家者も大いに悲しみ残念に思いました。</s>
<s xml:id="s0000110300">都に戻ると<persName>僧敬</persName>は勅命により<placeName>崇聖寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000110400">出家者も在家者も彼女の行いを模範としました。</s>
<s xml:id="s0000110500"><placeName>丹陽</placeName>の<persName>楽遵</persName>は<persName>僧敬</persName>のための自分の邸宅を喜捨して寺を建立したので、その後彼女はそこに移り住みました。</s></p>
<p xml:id="p0000029600"><s xml:id="s0000110600">〔南〕斉の<persName>文恵帝（南斉武帝の長男の文恵太子、蕭長懋）</persName>と竟陵の<persName>文宣王（南斉武帝の第２子、蕭子良）</persName>は
	<persName>僧敬</persName>の振舞いと徳を賛嘆し、常に様々な布施をしました。</s>
<s xml:id="s0000110700"><persName>僧敬</persName>は<date>永明4年2月3日</date>に、84歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000110800">彼女の亡骸は<placeName>鍾山</placeName>の南面に埋葬されました。</s>
<s xml:id="s0000110900">彼女の弟子達は石碑を立て、<placeName>中書省</placeName>の副官であった<placeName>呉興</placeName>出身の<persName>沈約（南朝時代の有名な政治家・文学者）</persName>が、その文章を作りました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000029700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000111000">40．<placeName>塩官</placeName>の<placeName>齊明寺</placeName>の<persName>僧猛</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000029800"><s xml:id="s0000111100"><persName>僧猛</persName>は元の姓を<persName>岑</persName>といい、もともと<placeName>南陽</placeName>の人ですが、彼女の家族は<placeName>塩官県</placeName>に移り住んで、<persName>僧猛</persName>は五代目になります。</s>
<s xml:id="s0000111200"><persName>僧猛</persName>の曽祖父は<persName>率</persName>といい、晋朝の行政事務官（正員郎）で、<placeName>余抗</placeName>の司法官を務めていました。</s>
<s xml:id="s0000111300"><persName>僧猛</persName>の一族は代々道教を信仰し、また邪神を崇拝していました。</s></p>
<p xml:id="p0000029900"><s xml:id="s0000111400">子どもの頃から、<persName>僧猛</persName>は凡庸を脱したいという深い願望を抱いていました。</s>
<s xml:id="s0000111500">12歳の時、父親をなくすと、彼女は慟哭のあまり吐血し、意識を取り戻すまでしばらくの間気絶してしまいました。</s>
<s xml:id="s0000111600">三年の喪が明けてから、彼女は不滅ということを説いて、母に別れを告げて出家しました。</s></p>
<p xml:id="p0000030000"><s xml:id="s0000111700"><persName>僧猛</persName>の行いは清らかであり、恭しく真面目に師匠に仕えました。</s>
<s xml:id="s0000111800">命を維持するために野菜と玄米だけを食べました。</s>
<s xml:id="s0000111900">仏道を敬い懺悔を行い、決して怠慢になることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000112000">過去に犯した罪の懺悔を述べるときは、心を込めて涙を流し、他の人がしようとしてもできないほどでした。</s>
<s xml:id="s0000112100">彼女の優れた名声を耳にするや、<placeName>益州</placeName>の長官（刺史）で<placeName>呉郡</placeName>の<persName>張岱</persName>は評判を聞いて彼女を敬い、個人的な師匠になってくれるよう懇願しました。</s></p>
<p xml:id="p0000030100"><s xml:id="s0000112200"><date>〔南朝〕宋の元徽元年（473）</date>、<persName>浄度</persName>尼が呉にやって来て、<persName>僧猛</persName>を都に連れて行きました。</s>
<s xml:id="s0000112300">そして<persName>僧猛</persName>は<placeName>建福寺</placeName>に住むことになりました。</s>
<s xml:id="s0000112400">彼女はさまざまな経典を昼も夜も学び、いつも師匠の講義・説法に、全く飽きることなく出席しました。</s>
<s xml:id="s0000112500">多くの書物を読んで記憶し、耳に入ったものは何でも覚えることができました。</s>
<s xml:id="s0000112600">このようにして経典と戒律を全て完璧に理解しました。</s>
<s xml:id="s0000112700">清透な心で瞑想する時は、静かにまっすぐに座り傾くことはありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000030200"><s xml:id="s0000112800">斉の建元4年（482）に<persName>僧猛</persName>の母親が病に罹りました。</s>
<s xml:id="s0000112900">母親は家の東の部分を捨施して寺にして、<placeName>斉明寺</placeName>と名づけました。</s>
<s xml:id="s0000113000">様々な堂宇が建てられ、竹や樹木が列に並べて植えられました。</s>
<s xml:id="s0000113100">内も外も静穏で、その有様は仙人の住まいのようでした。</s>
<s xml:id="s0000113200"><persName>僧猛</persName>は飢えに苦しむ人々には自分の食べるものを節約して施し、寒さに震える人々には自分の衣を脱いで与えました。</s></p>
<p xml:id="p0000030300"><s xml:id="s0000113300">かつて一人の猟師が寺の南の近くにやってきました。</s>
<s xml:id="s0000113400">空飛ぶ鳥達や走り回る動物達は助けを求めて<persName>僧猛</persName>の所に集まりました。</s>
<s xml:id="s0000113500">ところが鷹と猟犬は一尺程の所まで追って来ました（942c）。</s>
<s xml:id="s0000113600"><persName>僧猛</persName>はその間に自ら割って入りました。</s>
<s xml:id="s0000113700">彼女は嘴で突かれ噛みつかれましたが、逃げてきた鳥や動物達の命は救われました。</s></p>
<p xml:id="p0000030400"><s xml:id="s0000113800">数十人の人々が同じ寺で彼女と共に暮らしましたが、30年以上の間に一度として<persName>僧猛</persName>が怒る様子を見ることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000113900">彼女は永明7年に72歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000030500"><s xml:id="s0000114000">その時代に<persName>僧瑗</persName>という比丘尼もいました。</s>
<s xml:id="s0000114100">彼女は<persName>僧猛</persName>の従弟の娘でした。</s>
<s xml:id="s0000114200">彼女も孝行で知られ、彼女の行いは気高く優れており、知性は深く重厚でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000030600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000114300">41．<placeName>華厳寺</placeName>の<persName>妙智</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000030700"><s xml:id="s0000114400"><persName>妙智</persName>は元の姓を<persName>曹</persName>といい、<placeName>河内</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000114500">気性は温和で頭がよく、偉大な教導に従って自分の心を陶冶しました。</s>
<s xml:id="s0000114600">彼女は、あたかも夜に輝く真珠を守るように、禁戒を堅く守りました。</s>
<s xml:id="s0000114700">忍耐の心を培い、他の人を傷つけることなく、侮辱されたり苦しめられたりしても、つねに和顔を保ちました。</s>
<s xml:id="s0000114800">彼女は帳を下ろして隠遁生活を送りましたが、一日中憂鬱になることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000114900">物事の諸相を深く理解しており、人々は彼女を尊敬しました。</s></p>
<p xml:id="p0000030800"><s xml:id="s0000115000">禅堂が初めて建てられた時、斉の<persName>武帝（在位483～493）</persName>は勅旨を出して、
	<persName>妙智</persName>に『勝鬘経（シュリー・マーラー・デーヴィー・シンハ・ナーダ・スートラ）』と『維摩経（ヴィマラ・キールティ・ニルデーシャ・スートラ）』について講義をするように懇請しました。</s>
<s xml:id="s0000115100"><persName>妙智</persName>が講義を始めると、<persName>皇帝</persName>は自ら数回にわたり臨席して、たくさんの質問をしました。</s>
<s xml:id="s0000115200"><persName>妙智</persName>はその質問について根本から一つ一つ詳しく解説して、滞ることなくすらすらと答えました。</s>
<s xml:id="s0000115300"><persName>皇帝</persName>は何度も「素晴らしい」と賞賛しました。</s>
<s xml:id="s0000115400">男女の出家者と在家者（四衆）は、感服して彼女を大いに敬いました。</s></p>
<p xml:id="p0000030900"><s xml:id="s0000115500">斉の竟陵の<persName>文宣王</persName>は<placeName>鍾山</placeName>を他の地域から区別して、有名で高徳の人の遺灰を集めて埋葬する場所としました。</s>
<s xml:id="s0000115600"><date>建武2年（495）</date>に<persName>妙智</persName>は64歳で亡くなり、<placeName>定林寺</placeName>の南側に埋葬されました。</s>
<s xml:id="s0000115700">斉朝の皇室の侍従であった<placeName>瑯琊</placeName>の<persName>王倫</persName>の妻、<persName>江氏</persName>は<persName>妙智</persName>のために石碑の序と頌徳文を著し、それは墓の左に立てられました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000031000"><title type="chapter"><s xml:id="s0000115800">42．<placeName>建福寺</placeName>の<persName>智勝</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000031100"><s xml:id="s0000115900"><persName>智勝</persName>は元の姓を<persName>徐</persName>といい、<placeName>長安</placeName>の出身ですが、彼女の家族は三世代前から<placeName>会稽</placeName>に仮住まいしていました。</s>
<s xml:id="s0000116000">6歳で彼女は自分の祖母と一緒に都に行き、<placeName>瓦官寺</placeName>を訪れ、寺院が立派で宝石類に飾られて壮麗な姿を見ました。</s>
<s xml:id="s0000116100"><persName>智勝</persName>は感動して涙を流し、〔比丘尼になるために〕剃髪したいと祈りました。</s>
<s xml:id="s0000116200">祖母がその訳を尋ねると、彼女はその決意を話しました。</s>
<s xml:id="s0000116300">すると祖母は<persName>智勝</persName>がまだ幼いので、それを許すことはできないと言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000031200"><s xml:id="s0000116400">宋朝の動乱期に、あらゆる階級の人々が皆 、仕事を失いました。</s>
<s xml:id="s0000116500">混乱した時勢が何年も続きました。</s>
<s xml:id="s0000116600">20歳になろうという時、<persName>智勝</persName>は出家を許され、<placeName>建福寺</placeName>に住むようになりました。</s>
<s xml:id="s0000116700">彼女の孤高な修行は並ぶものなく、俗世の塵埃を絶つことは他の者の追随を許さないものでした。</s>
<s xml:id="s0000116800">彼女は『大般涅槃経（マハー・パリニルヴァーナ・スートラ）』の講義を聴講し、一度聞いただけでよく理解しました。</s>
<s xml:id="s0000116900">その後、律蔵を学び、再度学ぶ必要がないほどの成果を上げました。</s></p>
<p xml:id="p0000031300"><s xml:id="s0000117000"><persName>智勝</persName>の記憶力は素晴らしく、皆があらためて目を見張りました。</s>
<s xml:id="s0000117100">彼女は数十巻の註釈書を著しました。</s>
<s xml:id="s0000117200">言葉は簡潔ながら内容は深遠で、意図することは深く、論理は精妙でした。</s>
<s xml:id="s0000117300"><persName>智勝</persName>の性格は、黒い染料にあっても黒く染まらないように清らかで、擦っても削ることができない石のように堅固でした。</s></p>
<p xml:id="p0000031400"><s xml:id="s0000117400">かつて<date>大明年間（457～464）</date>に、一人の男が<persName>智勝</persName>に対してよからぬこと企み、彼女を騙そうとしました。</s>
<s xml:id="s0000117500">しかし<persName>智勝</persName>は意志が深く、道徳心は懸崖のように屹然としていました。</s>
<s xml:id="s0000117600">彼女は厳しい顔色で比丘尼衆にこのことを知らせ、彼女達は報告書を書いて、役人に送りました。</s>
<s xml:id="s0000117700">このように<persName>智勝</persName>は、あたかも明るく輝く真珠を守るように、清浄に戒律を守りました。</s></p>
<p xml:id="p0000031500"><s xml:id="s0000117800">その頃、<placeName>荘厳寺</placeName>の<persName>曇斌</persName>法師の弟子の<persName>僧宗</persName>と<persName>玄趣</persName>が、
	共に仏殿を管理していましたが（943a）、その二人の怠慢のせいで盗人が入り、菩薩の装身具と七宝の水瓶が盗まれました。</s>
<s xml:id="s0000117900"><persName>曇斌</persName>法師の衣と鉢の他は、部屋も釣鐘のように空っぽになってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000118000">法師は盗まれた品々に代わるものを補うすべがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000118100">彼は悲しみ嘆いたので説法もできなくなり、三日間自室に閉じこもりました。</s>
<s xml:id="s0000118200"><persName>智勝</persName>が男女の出家者と在家者にこのことを知らせると、彼等は紛失した品々を十日以内に元通りにしました。</s>
<s xml:id="s0000118300">彼女の徳の感化はいつもこのようなものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000031600"><s xml:id="s0000118400">斉の<persName>文恵帝（文恵太子）</persName>は<persName>智勝</persName>の評判を聞いて礼儀深く招待しました。</s>
<s xml:id="s0000118500"><persName>智勝</persName>は宮中に入る度に様々な経典について講義しました。</s>
<s xml:id="s0000118600">内務大臣（司徒）であった<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣太子</persName>は大いに彼女を崇敬しました。</s>
<s xml:id="s0000118700"><persName>智勝</persName>の志は南方に産する黄金のように定まり、心は北方に降る雪のように無垢でした。</s>
<s xml:id="s0000118800">比丘尼達を訓導するにおいて、実に皆から信頼されていました。</s>
<s xml:id="s0000118900">令旨（皇太子が出す文書）により<persName>智勝</persName>は寺主に任じられ、寺の比丘尼衆の皆から、親を尊敬するかのように愛され敬われました。</s></p>
<p xml:id="p0000031700"><s xml:id="s0000119000"><persName>智勝</persName>は<placeName>定林寺</placeName>の<persName>僧遠</persName>法師から菩薩戒律を受けました。</s>
<s xml:id="s0000119100">法師の座の脇にはいつも香炉が置かれていました。</s>
<s xml:id="s0000119200"><persName>智勝</persName>がひとつまみの香を取ると、<persName>僧遠</persName>はそれを止めて言いました。</s>「<s xml:id="s0000119300">二晩の間、火を入れていません」。</s>
<s xml:id="s0000119400">ところが彼女が入れた香は芳しい煙を漂わせ始めました。</s>
<s xml:id="s0000119500">皆は感嘆して、「これは<persName>智勝</persName>尼の敬虔さと誠実さに感応したのでしょう」と言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000031800"><s xml:id="s0000119600"><date>永明年間（483～493）</date>、<persName>智勝</persName>はあるとき高僧〔の像〕に食事を供えて心を集中して祈ったことがありました。</s>
<s xml:id="s0000119700">すると突如、空中に指を鳴らす音が聞こえました。</s>
<s xml:id="s0000119800">彼女は合掌しその音に注意深く耳を傾けました。</s></p>
<p xml:id="p0000031900"><s xml:id="s0000119900"><persName>智勝</persName>は30年も尼寺に住んでいましたが、祭に出かけたり、貴人達と交遊したりすることは一度もありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000120000"><persName>智勝</persName>は閑静な場所を好み、瞑想を行っていました。</s>
<s xml:id="s0000120100">そのようなわけで彼女の名声は遠くには聞こえませんでした。</s>
<s xml:id="s0000120200"><persName>文恵帝（文恵太子）</persName>は特別に供物を多く施与しました。</s>
<s xml:id="s0000120300">毎日、毎月、寺に必要な物は十分にあり、さらに多くの僧房や堂宇が建てられ、尼寺全体が繁栄しました。</s>
<s xml:id="s0000120400"><persName>智勝</persName>は自分の衣と鉢を捨施して〔浄財を集め〕、宋朝と斉朝の７人の皇帝のために<placeName>摂山寺</placeName>に石像を造らせました。</s></p>
<p xml:id="p0000032000"><s xml:id="s0000120500"><date>永明10年（492）</date>、<persName>智勝</persName>は病の床につきました。</s>
<s xml:id="s0000120600">突然、翡翠の天蓋をつけた金の車が自分を迎えに来るのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000120700"><date>4月5日</date>に彼女は弟子達に告げました。</s>「<s xml:id="s0000120800">私は今、世を去ります」。</s>
<s xml:id="s0000120900">弟子達は皆泣きました。</s>
<s xml:id="s0000121000">すると彼女は衣をひろげて胸を出しました。</s>
<s xml:id="s0000121100">胸には草書体で〔書かれた〕「仏」という文字がありました。</s>
<s xml:id="s0000121200">その字体はくっきりした白い色で明るく輝いていました。</s>
<s xml:id="s0000121300"><date>8日の正午</date>に亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000121400">66歳でした。</s>
<s xml:id="s0000121500">彼女の亡骸は<placeName>鍾山</placeName>に埋葬されました。</s>
<s xml:id="s0000121600"><persName>文帝（文恵太子）</persName>は彼女に湯薬を施与しており、また彼女の葬儀に必要なものは全て官から支給されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000032100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000121700">43．<placeName>禅基寺</placeName>の<persName>僧蓋</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000032200"><s xml:id="s0000121800"><persName>僧蓋</persName>は元の姓を<persName>田</persName>といい、<placeName>趙国</placeName>の<placeName>均仁</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000121900">彼女の父は<persName>宏梁</persName>という名で、<placeName>天水</placeName>の太守でした。</s>
<s xml:id="s0000122000"><persName>僧蓋</persName>は幼くして<persName>僧志</persName>尼の弟子として出家し、<placeName>彭城</placeName>の<placeName>華林寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000122100">彼女は自らの利得を考えず、他人からの毀誉褒貶に対して無頓着でした。</s></p>
<p xml:id="p0000032300"><s xml:id="s0000122200"><date>永徽元年（473）</date>、北〔魏の拓拔氏〕が捕虜を求めて侵入した時、<persName>僧蓋</persName>は同学の法進と一緒に南の首都に逃れ、<placeName>妙相寺</placeName>に住むようになりました。</s>
<s xml:id="s0000122300"><persName>僧蓋</persName>は経典や戒律の講義を広く聴講して、その趣意を深く研究しました。</s>
<s xml:id="s0000122400">また彼女は瞑想の修行に専念し、〔十分に瞑想を実践するには〕一日の長さが足りないと思いました。</s>
<s xml:id="s0000122500">寒い時も暑い時も、彼女は衣替えをせず、四季に食べ物飲み物を変えることもありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000122600">一日に一回、菜食の昼食だけを取りました。</s></p>
<p xml:id="p0000032400"><s xml:id="s0000122700"><persName>僧蓋</persName>は<persName>隠</persName>と<persName>審</persName>という二人の禅師のもとで学びました。</s>
<s xml:id="s0000122800">禅師達は彼女の悟りが早いことに賛嘆しました。</s>
<s xml:id="s0000122900">南朝斉の<date>永明年間（483～493）</date>に（943b）、<persName>僧蓋</persName>は、禅観の道を広めるために、<placeName>禅基寺</placeName>に移り住みました。</s>
<s xml:id="s0000123000">出家者も在家者も彼女に教えを請いに訪れました。</s>
<s xml:id="s0000123100">このことは彼女の心をひどく乱したので、寺の左に別に禅室を造らねばならなくなりました。</s>
<s xml:id="s0000123200">その禅室で坐禅して黙想しました。</s>
<s xml:id="s0000123300">禅室から出てくると、人々を真摯に指導して疲れを知りませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000032500"><s xml:id="s0000123400">斉朝の<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王蕭子良</persName>は四季に応じて必要なものを全て<persName>僧蓋</persName>に施与しました。</s>
<s xml:id="s0000123500">年老いても、彼女の志は衰えませんでした。</s>
<s xml:id="s0000123600">一日中執着のない清らかさで過ごし、夜通し彼女は横になることもありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000123700"><date>永明11年（493）</date>に<persName>僧蓋</persName>は64歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000032600"><s xml:id="s0000123800">その当時、<placeName>禅基寺</placeName>にはもう一人、<persName>法延</persName>という比丘尼がいました。</s>
<s xml:id="s0000123900">彼女は元の姓を<persName>許</persName>といい、<placeName>高陽</placeName>の出身でした。</s>
<s xml:id="s0000124000">仏道の実践に熱心に励み、また瞑想を行うことでも高名でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000032700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000124100">44．<placeName>東青園寺</placeName>の<persName>法全</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000032800"><s xml:id="s0000124200"><persName>法全</persName>は元の姓を<persName>戴</persName>といい、<placeName>丹陽</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000124300">彼女は威厳があり、静寂を好み、瞑想と智慧の修行に励みました。</s>
<s xml:id="s0000124400">初め彼女は<persName>宗（曇宗？）</persName> と<persName>瑗（釋曇瑗？）</persName> から様々な経典を広く学びました。</s>
<s xml:id="s0000124500">後に彼女は、審（釈僧審？）と隠（釈法隠？） を師として、禅観を全て学びました。</s>
<s xml:id="s0000124600"><persName>法全</persName>は、昼間は諸々の書物を読んで思索をめぐらせ、夜中には禅観の神秘的な境地をたのしみました。</s>
<s xml:id="s0000124700">大乗の奥深い経典をすべてよく講義することができ、精神統一（三昧）の秘密の方法にかけても師匠となる人でした。</s>
<s xml:id="s0000124800">彼女は菜食だけをして、衣は〔擦り切れて〕身体を覆うこともできていませんでした。</s>
<s xml:id="s0000124900">彼女は未だ学んでいない人々を訓導し、すでに学んでいる人々を励まし学びを完成させました。</s>
<s xml:id="s0000125000">彼女の講義を聴く者達は修行し、その功徳は非常に大きいものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000032900"><s xml:id="s0000125100"><persName>法全</persName>の寺は規模の大きく、それを管理するのは容易ではありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000125200"><date>泰始３年</date>に比丘尼衆は協議し、寺を二つに分けることに決めました。</s>
<s xml:id="s0000125300">そのとき、<persName>宝嬰</persName>尼は寺の東側に禅房を作り、また仏塔を建てることを求めました。</s>
<s xml:id="s0000125400">このように分割した結果、<placeName>東青園寺</placeName>ができました。</s></p>
<p xml:id="p0000033000"><s xml:id="s0000125500"><date>昇明2年</date>に<persName>宝嬰</persName>が亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000125600">〔<placeName>東青園寺</placeName>では〕比丘尼衆は分割されたばかりで、未だ<persName>宝嬰</persName>の人望を継ぐ尼僧はいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000125700">そこで<persName>法全</persName>が最終的に住職（寺主）に選ばれた時、比丘尼衆は老いも若きも皆喜び、少しの怨恨も抱きませんでした。</s>
<s xml:id="s0000125800"><persName>法全</persName>は、<date>隆昌元年（494）</date>に83歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000033100"><s xml:id="s0000125900">その当時、<placeName>東青園寺</placeName>には<persName>浄練</persName>、<persName>僧律</persName>、<persName>慧形</persName>という比丘尼もいました。</s>
<s xml:id="s0000126000">三人ともその学識で有名でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000033200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000126100">45．<placeName>普賢寺</placeName>の<persName>浄暉</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000033300"><s xml:id="s0000126200"><persName>浄暉</persName>は元の姓を<persName>楊</persName>といい、<placeName>建康</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000126300">仏道への志は大変誠実で、仏法に心からの喜びを見いだしていました。</s>
<s xml:id="s0000126400">具足戒を受けると、最初は<persName>済（曇済）</persName> と<persName>瑗（曇瑗）</persName> の指導の下で学び、大乗の深奥を精魂込めて研究しました。</s></p>
<p xml:id="p0000033400"><s xml:id="s0000126500">具足戒を受けてから10年で、<persName>浄暉</persName>は一人前の師匠になりました。</s>
<s xml:id="s0000126600">斉の<persName>文恵帝（文恵太子）</persName>と<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王</persName>は彼女に心から敬服しました。</s>
<s xml:id="s0000126700"><date>永明8年（490）</date>、<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王</persName>は<persName>浄暉</persName>に自分の邸宅で
	『維摩経（ヴィマラ・キールティ・ニルデーシャ・スートラ）』を講義してくれるように懇請しました。</s>
<s xml:id="s0000126800">後に彼女は住職（寺主）になり、20年以上務めました。</s>
<s xml:id="s0000126900">比丘尼達は老いも若きも皆、父母に仕えるように、彼女を尊敬し仕えました。</s>
<s xml:id="s0000127000">その結果、弟子は400人余りになりました。</s>
<s xml:id="s0000127100"><date>永明10年</date>、<persName>浄暉</persName>は72歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000033500"><s xml:id="s0000127200">当時、同じ寺に<persName>僧要</persName>と<persName>光浄</persName>という比丘尼もいました。</s>
<s xml:id="s0000127300">二人ともその学識と修行で名を知られました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000033600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000127400">46．<placeName>法音寺</placeName>の<persName>曇簡</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000033700"><s xml:id="s0000127500">（943c）<persName>曇簡</persName>は元の姓を<persName>張</persName>といい、<placeName>清河</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000127600">彼女は<persName>法浄</persName>尼の弟子となり、彼女と同じ寺に住みました。</s>
<s xml:id="s0000127700"><persName>曇簡</persName>は<placeName>淮海地方</placeName>に遊学し、ブッダの正しい教えを広めました。</s>
<s xml:id="s0000127800">いつも他の人を先にして自分を後回しにし、衆生を皆救済したいという志を持っていました。</s></p>
<p xml:id="p0000033800"><s xml:id="s0000127900"><date>斉の建元４年（482）</date>に、<persName>曇簡</persName>は<placeName>法音寺</placeName>を建立しました。</s>
<s xml:id="s0000128000">彼女は禅観瞑想を行い、三昧瞑想を会得しました。</s>
<s xml:id="s0000128100">彼女の徳の名声は広まり、人々を教化する力は遠くまで届きました。</s>
<s xml:id="s0000128200">出家者も在家者も<persName>曇簡</persName>を尊敬し、盛んに供物や布施を送りました。</s></p>
<p xml:id="p0000033900"><s xml:id="s0000128300">時に、<persName>慧明</persName>法師という人があり、静寂を深く愛する人でした。</s>
<s xml:id="s0000128400">彼は元々、<placeName>道林寺</placeName>に住んでいました。</s>
<s xml:id="s0000128500"><date>永明年間（483 - 493）</date>に、彼のために<persName>文恵太子</persName>と<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王</persName>がその寺を立派に飾りました 。</s>
<s xml:id="s0000128600">〔<placeName>道林寺</placeName>では〕沙門達は盛んに仏教の理論を研究し、経典や論書の講義を頻繁に行いました。</s>
<s xml:id="s0000128700">〔そのため<placeName>道林寺</placeName>には〕たくさんの人々が出入りして喧騒が耐えなかったので、<persName>慧明</persName>はそこを去りたいと思いました。</s>
<s xml:id="s0000128800">そこで<persName>曇簡</persName>は自分の寺を彼に与えて、<persName>白山</persName>に移りました。</s></p>
<p xml:id="p0000034000"><s xml:id="s0000128900"><persName>曇簡</persName>はそこに草庵を立てて風雨から身を守りました。</s>
<s xml:id="s0000129000">適切な時間に行乞に歩き、施されたものだけで暮らしました。</s>
<s xml:id="s0000129100">また常に焚き木を集め、功徳を積むのだと言っていました。</s>
<s xml:id="s0000129200"><date>建武元年（494）2月18日の夜</date>、<persName>曇簡</persName>は積み上げた薪の上に登り、自ら火をつけて焼身しました。</s>
<s xml:id="s0000129300">輪廻の身を捨てて三宝を供養したのです。</s>
<s xml:id="s0000129400">近くの村〔の人々〕は火を見て、彼女を助け出そうと駆けつけましたが、彼らが到着した時、<persName>曇簡</persName>は既に命尽きていました。</s>
<s xml:id="s0000129500">出家者も在家者も〔悲しんで〕慟哭し、その声は山や谷にこだましました。</s>
<s xml:id="s0000129600">人々は彼女の遺骨を集めて、墳墓を作りました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000034100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000129700">47．<placeName>法音寺</placeName>の<persName>浄珪</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000034200"><s xml:id="s0000129800"><persName>浄珪</persName>は元の姓を<persName>周</persName>といい、<placeName>晋陵</placeName>の出身ですが、彼女の家族は<placeName>建康県</placeName>に三世代にわたって仮住まいしていました。</s>
<s xml:id="s0000129900"><persName>浄珪</persName>は幼いころから聡明で、一を聞いて多くを悟る人でした。</s>
<s xml:id="s0000130000">彼女は生まれつき世俗に馴染まず、早くに出家したいと願いました。</s>
<s xml:id="s0000130100">両親は彼女の心を思いやり、その志を妨げませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000034300"><s xml:id="s0000130200"><persName>浄珪</persName>は<persName>法浄</persName>尼の弟子となり、<placeName>法音寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000130300"><persName>浄珪</persName>の徳行は純粋で奥深く、経典と戒律によく通じていました。</s>
<s xml:id="s0000130400">身口意の三業は汚れが無く、瞑想の奥深い秘密に非常によく通達していました。</s>
<s xml:id="s0000130500"><persName>浄珪</persName>の精神はとても深く遠大なものであり、誰もそれを窺い知ることはできないほどでした。</s>
<s xml:id="s0000130600">彼女は自らの身体を気遣わず、食物の味を忘れていたので、やせ細っていました。</s>
<s xml:id="s0000130700">仏道に精進しよく受持すること（総持）にかけて、世の模範となりました。</s>
<s xml:id="s0000130800">教えを伝授し訓育するにあたって、<persName>浄珪</persName>はよく弟子の力量を見て指導しました。</s>
<s xml:id="s0000130900">当時の人々は心から彼女を敬いました。</s></p>
<p xml:id="p0000034400"><s xml:id="s0000131000"><persName>浄珪</persName>は<persName>曇簡</persName>尼と一緒に<placeName>法寺</placeName>に住みましたが、
	後に〔<persName>曇簡</persName>尼に従って〕<placeName>白山</placeName>へ移り、木の根元に住まいました。</s>
<s xml:id="s0000131100">彼女の徳と感化の力は広く知られました。</s></p>
<p xml:id="p0000034500"><s xml:id="s0000131200"><date>建武元年（494）2月8日</date>に、<persName>曇簡</persName>尼と同じ夜に焼身を遂行しました。</s>
<s xml:id="s0000131300">出家者も在家者も彼女の葬儀に出席し、むせび泣きました。</s>
<s xml:id="s0000131400">人々は彼女の遺骨を集め、墳墓を作って埋葬しました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000034600"><title type="chapter"><s xml:id="s0000131500">48．<placeName>集善寺</placeName>の<persName>慧緒</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000034700"><s xml:id="s0000131600"><persName>慧緒</persName>は元の姓を<persName>周</persName>といい、<placeName>閭丘</placeName>の<placeName>高平</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000131700">人となりは高潔で近寄り難い雰囲気をそなえており（944a）、女性というよりは男性のように見えました。</s>
<s xml:id="s0000131800">彼女の話や議論はとても自然で率直でした。</s>
<s xml:id="s0000131900">７歳にして<persName>慧緒</persName>は菜食し斎戒を守り、志を曲げないことにかけては堅固で勇敢でした。</s>
<s xml:id="s0000132000">18歳の時、<placeName>荊州</placeName>の<placeName>三層寺</placeName>で出家しました。</s>
<s xml:id="s0000132100">彼女は戒律を完璧に守り、出家者にも在家者にも賛美されました。</s></p>
<p xml:id="p0000034800"><s xml:id="s0000132200">当時、<placeName>江陵</placeName>には隠棲する比丘尼があり、西方で彼女の徳は有名でした。</s>
<s xml:id="s0000132300">その比丘尼は<persName>慧緒</persName>に会うと、<persName>慧緒</persName>を特に優れた人であると思いました。</s>
<s xml:id="s0000132400"><persName>慧緒</persName>とその比丘尼は年齢こそ違いましたが、共に道を実践しました。</s>
<s xml:id="s0000132500">二人は一夏〔の安居〕を共に過ごし、般舟三昧を一緒に習得しました。</s>
<s xml:id="s0000132600">二人は心身ともに勤苦し、昼も夜も休むことはありませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000034900"><s xml:id="s0000132700"><persName>沈攸之</persName>が州の長官（刺史）であった時、比丘・比丘尼を全面的に厳しく取り締まり、その数を減らそうとしました。</s>
<s xml:id="s0000132800"><persName>慧緒</persName>はその災難を避けるために都に行きました。</s>
<s xml:id="s0000132900"><persName>沈攸之</persName>が敗北したのち、<persName>慧緒</persName>は西に戻りました。</s></p>
<p xml:id="p0000035000"><s xml:id="s0000133000">斉の太尉（軍事に関わる宰相）であり大司馬（国防長官）であった<persName>豫章王の蕭嶷</persName>は、<date>宋の昇明年間（477～479）の末</date>に、
	<placeName>荊地方</placeName>と<placeName>陜地方</placeName>の守備に出征しました。</s>
<s xml:id="s0000133100"><persName>慧緒</persName>が仏道を行う人だと知り、公邸に彼女を招き、出家生活に必要な四種の物をすべて施与しました。</s></p>
<p xml:id="p0000035100"><s xml:id="s0000133200">時に、<persName>玄暢</persName>禅師が<placeName>蜀</placeName>から<placeName>荊州</placeName>へと下ってきました。</s>
<s xml:id="s0000133300"><persName>慧緒</persName>は彼から瞑想法を学び、その精妙な内容を究めました。</s>
<s xml:id="s0000133400"><persName>玄暢</persName>は、<persName>慧緒</persName>の前世からの業は浅いものではないと言って、彼女をいつも褒め称えました。</s>
<s xml:id="s0000133500"><persName>慧緒</persName>は瞑想の実践に習熟し、菜食して修行に励みました。</s>
<s xml:id="s0000133600">このために、<persName>豫章王の妃</persName>と親族は深く彼女を敬い、彼女から瞑想の方法を学びました。</s></p>
<p xml:id="p0000035200"><s xml:id="s0000133700">施物を受け取る度に、すぐに他の人々に分け与え、蓄えようという気持ちは全くあったためしがなく、高い志は遠く都にまで聞こえました。</s>
<s xml:id="s0000133800">そして彼女は自分自身の生活には無頓着でした。</s>
<s xml:id="s0000133900"><persName>豫章王蕭嶷</persName>は<persName>慧緒</persName>を連れて都に戻ろうと招きました。</s>
<s xml:id="s0000134000">彼女のために、王家の所有地の東に精舎を建立し、<placeName>福田寺</placeName>と名づけました。</s>
<s xml:id="s0000134100">彼女はしばしば王宮に行き、仏教を講じました。</s></p>
<p xml:id="p0000035300"><s xml:id="s0000134200"><date>永明九年（491）</date>、<persName>慧緒</persName>は自ら突然、病に罹ったと言いましたが、本当に悪いところは見つかりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000134300">しかし食事を取ろうとせず、顔貌は憔悴し、自分の元の寺に戻りたいと切実に願い出ました。</s>
<s xml:id="s0000134400">自分の寺に戻るとすぐに、彼女はすっかりよくなりました。</s>
<s xml:id="s0000134500">10日後、<persName>慧緒</persName>が再び王宮に招かれると、また前と同じように体の具合が悪くなりましたが、誰もその理由が分かりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000134600">それから少し後に<persName>豫章王</persName>が亡くなると、彼の家族には次々と災禍が降りかかりました。</s></p>
<p xml:id="p0000035400"><s xml:id="s0000134700"> <persName>（斉の）武帝</persName>は東の地所の近くに、さらに<placeName>集善寺</placeName>という寺を建立し、比丘尼達をすべてそこに移り住まわせました。</s>
<s xml:id="s0000134800">そうして<placeName>福田寺</placeName>を、外国人の沙門達や阿闍梨のために使わせました。</s>
<s xml:id="s0000134900">また、王室は呪いの読誦を得意とする者達を供養し続けました。</s></p>
<p xml:id="p0000035500"><s xml:id="s0000135000"><placeName>集善寺</placeName>に移ってから数年の間、<persName>慧緒</persName>は宮中に足を踏み入れませんでした。</s>
<s xml:id="s0000135100">王宮の内外の人々は<persName>慧緒</persName>を大いに尊敬し、王宮内に少しの間でも訪れるようしきりに勧めました。</s>
<s xml:id="s0000135200"><persName>竺夫人</persName>が禅の斎（食事）に招きたいと思い、先に<persName>慧緒</persName>に手紙を送り、招待を受けるように頼みました。</s>
<s xml:id="s0000135300">すると<persName>慧緒</persName>は、「とても良いことです。</s>
<s xml:id="s0000135400">私は歳を取って体も弱ってきましたので、この機会に一度宮中をお訪ねして、ご婦人方にお別れを申し上げたいと願っております」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000135500">そして宮中に入り食事をしました。</s>
<s xml:id="s0000135600">食事が終わると、彼女は紙と筆を所望し、次のような詩を作りました。</s></p>
<p xml:id="p0000035600"><s xml:id="s0000135700">	世の人は知らないかもしれません
	私の名が<persName>老周</persName>ということを
	にわかに七日の招きを受け
	禅の斎を休むことはできません</s>
（<s xml:id="s0000135800"><persName>宝唱</persName>註: この後にさらに別れを述べる10文字がありましたが、今それを忘れてしまいました。</s>）</p>
<p xml:id="p0000035700"><s xml:id="s0000135900">詩を書き終わってから、<persName>慧緒</persName>は談笑して人々に接し、普段と異なるところなく威厳のある態度でした。</s>
<s xml:id="s0000136000">辞去する時、「今、寺に帰るのが、永遠の別れとなりましょう。</s>
<s xml:id="s0000136100">私は年老いていますから、ふたたび宮中に来ることはできないでしょう」と言いました（944b）。</s>
<s xml:id="s0000136200">その時、<persName>慧緒</persName>は大変健康でしたが、寺に戻ってから一か月余りで病気に罹ったということです。</s>
<s xml:id="s0000136300">彼女は普段と変わること無く、数日して死去しました。</s>
<s xml:id="s0000136400">それは<date>永元元年（499）11月20日</date>のことで、享年69歳でした。</s>
<s xml:id="s0000136500"><persName>周捨</persName>は彼女のために賛（称賛の詩）を作りました。</s></p>
<p xml:id="p0000035800"><s xml:id="s0000136600">また<persName>徳盛</persName>尼という人があり、彼女の徳は〔<persName>慧緒</persName>と〕同じで、志も同様で、
	〔<persName>慧緒</persName>とは〕仏法のもとの家族といえる人でした。</s>
<s xml:id="s0000136700"><persName>徳盛</persName>は道を実践し瞑想を習うにあたって〔<persName>慧緒</persName>から〕親しく指導を受けました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000035900"><title type="chapter"><s xml:id="s0000136800">49．<placeName>銭塘</placeName>の<placeName>齊明寺</placeName>の<persName>超明</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000036000"><s xml:id="s0000136900"><persName>超明</persName>は元の姓を<persName>范</persName>といい、<placeName>銭塘</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000137000">彼女の父の先は、若くして国子生（国の最高学府の学生）になりました。</s>
<s xml:id="s0000137100">彼の家は代々偉大な仏法を信仰していました。</s>
<s xml:id="s0000137200"><persName>超明</persName>は幼い頃から聡明で、心に高い志を抱いていました。</s>
<s xml:id="s0000137300">五経を読み、それらの意味を完全に理解しました。</s>
<s xml:id="s0000137400">清廉にして礼儀正しい人間であったので、家族の内の人も外の人も彼女を尊敬しました。</s></p>
<p xml:id="p0000036100"><s xml:id="s0000137500">21歳で<persName>超明</persName>は夫に先立たれ、未亡人になりました。</s>
<s xml:id="s0000137600">近隣の人が彼女を嫁にもらいたいと申し出ましたが、彼女はそれを断り、再婚しないと誓っていました。</s>
<s xml:id="s0000137700">そのために<persName>超明</persName>は出家して崇隠寺に住むようになりました。</s>
<s xml:id="s0000137800"><persName>超明</persName>の精神は明敏で、仏道の洞察は明晰で思慮深いものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000036200"><s xml:id="s0000137900"><placeName>呉県</placeName>の<placeName>北張寺</placeName>の<persName>曇整</persName>法師が精進苦行する人だと聞いて、<persName>超明</persName>は彼から具足戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000138000">その後、彼女は<placeName>塗山</placeName>へ行き、<persName>慧基</persName>法師が様々な経典について講義するのを聴き、その内容をよく理解しました。</s>
<s xml:id="s0000138100"><persName>超明</persName>は一度耳を通ったことで記憶しないものはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000138200">呉の３地方の学識ある人々も庶民も、宮中の内外の人々も皆、彼女を敬いました。</s>
<s xml:id="s0000138300">その後、<persName>超明</persName>は<placeName>銭塘</placeName>へ戻り、<placeName>齊明寺</placeName>で安らかに過ごしました。</s>
<s xml:id="s0000138400"><date>建武5年（498）</date>、60歳余りで亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000138500">彼女の年齢は60歳を越えていました。</s></p>
<p xml:id="p0000036300"><s xml:id="s0000138600">また当時、<persName>法蔵</persName>という比丘尼がおり、学識と実践でその名を知られました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000036400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000138700">50．<placeName>法音寺</placeName>の<persName>曇勇</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000036500"><s xml:id="s0000138800"><persName>曇勇</persName>は<persName>曇簡</persName>の姉です。</s>
<s xml:id="s0000138900">彼女は性格が剛直で、世の中の傾向に従って己を変えることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000139000">いつも瞑想の実践と戒律を守ることを自分の務めと考え、衣食を気に掛ることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000139100"><placeName>法音精舎</placeName>に心安らかに住み、無常を深く理解し、真の自己（我）と真の楽（涅槃）とを高く崇め求めました。</s></p>
<p xml:id="p0000036600"><s xml:id="s0000139200"><date>建武元年（494）</date>、<persName>曇勇</persName>は<persName>曇簡</persName>に従って<placeName>白山</placeName>へ移り住みました。</s>
<s xml:id="s0000139300"><date>永元3年2月15日の夜中</date>に、彼女は薪を積み上げ、自ら焼身供養を行いました。</s>
<s xml:id="s0000139400">当時、その出来事を見た人聞いた人は皆、悟りの道に発心しました。</s>
<s xml:id="s0000139500">人々は彼女の遺灰を集め、墳墓を作りました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000036700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000139600">51．<placeName>剡</placeName>の<placeName>齊興寺</placeName>の<persName>徳楽</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000036800"><s xml:id="s0000139700"><persName>徳楽</persName>は元の姓を<persName>孫</persName>といい、<placeName>毘陵</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000139800">彼女の高祖父の<persName>毓</persName>は晋の時代、<placeName>豫州</placeName>の長官（刺史）でした。</s>
<s xml:id="s0000139900">彼女は生まれた時にすでに口に二本の歯があり、長じるといつも暗い部屋で燈明や蝋燭を使わずに、はっきりとものを見ることができました。</s></p>
<p xml:id="p0000036900"><s xml:id="s0000140000"><persName>徳楽</persName>は俗世を離れたいと願っており、両親は彼女を愛していたので、それを妨げる気にはなりませんでした。</s>
<s xml:id="s0000140100">8歳になった時、彼女は姉妹同時に仏道に入り、<placeName>晋</placeName>の<persName>陵光</persName>尼の弟子になりました。</s>
<s xml:id="s0000140200">具足戒を受けた後、姉妹は共に学問のために都に行き、<placeName>南永安寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000140300">姉妹は真剣な志をもって日夜熱心に学び（944c）、経典と戒律を究め、洗練されて優雅な言葉遣いを身につけました。</s>
<s xml:id="s0000140400">宋の<persName>文帝</persName>は姉妹を厚遇しました。</s></p>
<p xml:id="p0000037000"><s xml:id="s0000140500"><date>元嘉7年（430）</date>、外国人沙門の<persName>求那跋摩（グナヴァルマン）</persName>が都にやってきました。</s>
<s xml:id="s0000140600">宋の大将軍は<placeName>枳園寺</placeName>の北に<placeName>王園寺</placeName>を建立し、<persName>求那跋摩</persName>にそこに移り住むように勧めました。</s>
<s xml:id="s0000140700"><date>元嘉11年（434）</date>、十人余りの比丘尼が<placeName>獅子国（スリランカ）</placeName>から中国に来ました。</s>
<s xml:id="s0000140800">そこで〔比丘尼としての具足戒を受ける条件が整ったので〕<persName>徳楽</persName>は<persName>僧伽跋摩（サンガヴァルマン）</persName>から、改めてもう一度、具足戒を受けました。</s></p>
<p xml:id="p0000037100"><s xml:id="s0000140900"><date>元嘉21年（444）</date>、比丘尼<persName>法浄</persName>と<persName>曇覧</persName>が、<persName>孔熙先</persName>が企てた陰謀に巻き込まれました。</s>
<s xml:id="s0000141000">二人は処罰され、寺は破壊され、比丘尼達は四散してしまいました。</s>
<s xml:id="s0000141100"><persName>徳楽</persName>は<placeName>東青園寺</placeName>に身を寄せ、そこで彼女は深い瞑想（禅）について教えを請い、その精妙な境地を究めました。</s></p>
<p xml:id="p0000037200"><s xml:id="s0000141200"><persName>文帝</persName>が崩御（<date>453年</date>）した後、<persName>徳楽</persName>は東の<placeName>会稽</placeName>に遊学し、<placeName>剡</placeName>の<placeName>白山</placeName>にある<placeName>照明精舎</placeName>に滞在しました。</s>
<s xml:id="s0000141300">学生達が群れ集まり、彼女から教えを受けようとしました。</s>
<s xml:id="s0000141400">このような訳でその国の東南には仏教が栄えました。</s></p>
<p xml:id="p0000037300"><s xml:id="s0000141500">斉の<date>永明5年（487）</date>、熱心な仏教徒であった<placeName>陳留</placeName>の<persName>阮倹</persName>が、自分の住まいを捨施して、〔<persName>徳楽</persName>のために〕<placeName>齊興寺</placeName>を建立しました。</s>
<s xml:id="s0000141600"><persName>徳楽</persName>は老若の比丘尼達を監督しましたが、皆喜んで従いました。</s>
<s xml:id="s0000141700">遠くの人も近くの人も<persName>徳楽</persName>の徳風を褒めたたえ、皆彼女を師として頼りたいと願いました。</s>
<s xml:id="s0000141800">彼女は二百人以上の弟子を抱え、施された品々を蓄えることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000141900">年毎の大説教会を開き、比丘・比丘尼に分け隔てなく多くの贈り物を皆に与えました。</s>
<s xml:id="s0000142000"><date>永元３年（501）</date>、<persName>徳楽</persName>は81歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000037400"><s xml:id="s0000142100">また<placeName>剡国</placeName>に<persName>僧茂</persName>という比丘尼がました。</s>
<s xml:id="s0000142200">彼女は元の姓を<persName>王</persName>といい、<placeName>彭城</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000142300"><persName>僧茂</persName>は食事を節約し野菜だけを口にし、修行に精励苦行しました。</s>
<s xml:id="s0000142400">彼女は受けた施物を<placeName>竹園寺</placeName>のために用いました。</s></p></div>
<div><p xml:id="p0000037500"><s xml:id="s0000142500">『比丘尼伝』巻三終わり</s></p>
</div></div>
<div n="4" type="fascicle">
<div><p xml:id="p0000037600"><s xml:id="s0000142600">巻四</s>
<s xml:id="s0000142700">梁朝</s></p>
</div>
<div type="bio"><p xml:id="p0000037700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000142800">52．<placeName>禅林寺</placeName>の<persName>浄秀</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000037800"><s xml:id="s0000142900">（945a7）<persName>浄秀</persName>は元の姓を<persName>梁</persName>といい、<placeName>安定</placeName>の烏氏の出身です。</s>
<s xml:id="s0000143000">彼女の祖父は<persName>疇</persName>といい、征虜司馬（辺境の異民族を平定する軍の司令官）でした。</s>
<s xml:id="s0000143100">父の<persName>粲之</persName>は<placeName>龍川県</placeName>の都郷侯でした。</s></p>
<p xml:id="p0000037900"><s xml:id="s0000143200"><persName>浄秀</persName>は子供のころから聡明であり、善行を好みました。</s>
<s xml:id="s0000143300">7歳の時、彼女は自分から断食を行いました。</s>
<s xml:id="s0000143400">彼女の家が僧侶を招いて『涅槃経』を読誦してもらうと、魚や肉を食べないということを聞いて、菜食するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000143500">しかし彼女はあえて両親にそれを知らせませんでした。</s>
<s xml:id="s0000143600">鮭や鰻が食卓に上ると、彼女はこっそりそれを捨てました。</s>
<s xml:id="s0000143700">彼女は外国人沙門の<persName>普練</persName>から在家者の五戒を受け、それを厳格に守り、決して戒律に違反することはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000143800">彼女は日夜休まずブッダを礼拝し、経典を読誦しました。</s></p>
<p xml:id="p0000038000"><s xml:id="s0000143900">12歳になると<persName>浄秀</persName>は出家を願いましたが、両親はそれを許しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000144000">手習いを覚えると、彼女は自分で写経をしました。</s>
<s xml:id="s0000144100">自分の財物はすべて功徳のために使い、世俗の楽しみを望みませんでした。</s>
<s xml:id="s0000144200">錦や刺繍のある高価な布地をまとわず、化粧もしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000144300">19歳になった時、出家を許され、彼女は<placeName>青園寺</placeName>の<persName>業首</persName>尼の弟子になりました。</s></p>
<p xml:id="p0000038100"><s xml:id="s0000144400"><persName>浄秀</persName>は、心をこめて師匠に仕えましたが、それでも及ばないところがないかと恐れを抱いていました。</s>
<s xml:id="s0000144500">また彼女は身口意の三つによる修行を熱心に実践し、昼夜怠ることがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000144600">彼女は寺の皆で行う諸々の仕事では、率先して働きました。</s>
<s xml:id="s0000144700">そして彼女は自分のもとにきた仕事は何でも引き受けてせっせと励み、常に善い神々が彼女を加護し、いつも彼女の左右にいるようでした。</s></p>
<p xml:id="p0000038200"><s xml:id="s0000144800">さてその時、<persName>馬先生</persName>という人がおり、人々から「神のような人」と呼ばれていました。</s>
<s xml:id="s0000144900"><persName>浄秀</persName>を見ると、<persName>馬先生</persName>は「この比丘尼は<placeName>兜率天</placeName>に生まれ変わることでしょう」と予言しました。</s></p>
<p xml:id="p0000038300"><s xml:id="s0000145000">あるとき、<persName>浄秀</persName>ともう二人の比丘尼が仏殿の中で座禅していると、とつぜん空中から牛が吼えるような声が聞こえました。</s>
<s xml:id="s0000145100">二人はおびえましたが、<persName>浄秀</persName>は落ち着いていました。</s>
<s xml:id="s0000145200">自分の部屋に戻って蝋燭を取り、〔仏殿の〕階段を登ろうとしたとき、また空中に声が聞こえました。</s>「<s xml:id="s0000145300">比丘尼達よ、道を開けなさい。</s>
<s xml:id="s0000145400"><persName>浄秀</persName>禅師が戻って来ました」と。</s></p>
<p xml:id="p0000038400"><s xml:id="s0000145500">別の日にまた数人の比丘尼と一緒に禅室で座禅していると、比丘尼達の一人がいびきをかきながら眠りにおち、その眠りの中で一人の男が頭で堂を支えているのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000145600">そしてその男は、「<persName>浄秀</persName>尼を〔いびきの音で〕驚かせてはならない」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000145700">後に、<persName>浄秀</persName>が別の比丘尼達と一緒に座禅していると、一人の比丘尼がしばらくの間、座を外しました。</s>
<s xml:id="s0000145800">彼女が戻ろうとすると、一人の人物が手で止めるしぐさをして、「<persName>浄秀</persName>尼の気が散るようなことをするな」と言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000038500"><s xml:id="s0000145900"><persName>浄秀</persName>は行住坐臥のいずれにおいても戒律を必ず守りました。</s>
<s xml:id="s0000146000">あるとき彼女は<persName>〔曇〕曜</persName>法師に『十誦律（サルヴァースティヴァーダ・ヴィナヤ）』を講義してくれるよう招きたいと思いました。</s>
<s xml:id="s0000146100">しかし彼女は一千銭しか持っておらず、事は成らないのではないかと心配しました。</s>
<s xml:id="s0000146200">その夜彼女は夢を見ました。</s>
<s xml:id="s0000146300">その中で烏やカササギ、ムクドリなどの鳥達がそれぞれ見合った大きさの乗り物に乗り、「私たちは<persName>浄秀</persName>尼の講義がうまくいくように助けよう」と合唱するのを見ました（945b）。</s>
<s xml:id="s0000146400">講義を実現するための算段が始まると、70人の檀家が競い合って素晴らしい布施をしました。</s></p>
<p xml:id="p0000038600"><s xml:id="s0000146500">後に<persName>浄秀</persName>は、<persName>法頴</persName>律師にまた『十誦律』の講義を頼みました。</s>
<s xml:id="s0000146600">講義の初日に瓶の水がひとりでに芳香を放ちました。</s>
<s xml:id="s0000146700">その日、一緒に講義に出席する仲間がいなかったので、<persName>浄秀</persName>は、これは戒律に違反するのではないかと恐れて、<persName>律師</persName>に訊ねました。</s>
<s xml:id="s0000146800"><persName>律師</persName>は、「違反ではない」と答えました。</s></p>
<p xml:id="p0000038700"><s xml:id="s0000146900"><persName>浄秀</persName>は、比丘尼達が仏教の教えに十分従っていないのを見ると、嘆息して言いました。</s>「<s xml:id="s0000147000">偉大な光はまだ遠くに及んでいないのに、あなた方の精神はいささかたるんでいます。</s>
<s xml:id="s0000147100">自らが己を正さなければ、どうやって他の人々を統率して導くことができましょうか」。</s>
<s xml:id="s0000147200">そうして<persName>浄秀</persName>は自らマーナトヴァ（摩那埵）という〔6日6晩の〕懺悔を行いました。</s>
<s xml:id="s0000147300">比丘尼達はこれを見て、皆共々考えなおし非を認めて恥じ、懺悔して謝りました。</s></p>
<p xml:id="p0000038800"><s xml:id="s0000147400"><date>宋の元嘉7年（430）</date>に、外国人沙門の<persName>求那跋摩（グナヴァルマン）</persName>が都に到着しました。</s>
<s xml:id="s0000147500">彼の戒律の規範は高潔でした。</s>
<s xml:id="s0000147600">そこで<persName>浄秀</persName>は彼から二度目の具足戒を受けました。</s>
<s xml:id="s0000147700">しかし<placeName>青園寺</placeName>の比丘尼衆はそれぞれ、〔経律を〕異なった形で理解して〔実践して〕いました。</s>
<s xml:id="s0000147800">そこで<persName>浄秀</persName>は、〔理解が異なる比丘尼たちと〕別に住み、外には禁戒を厳しく守り、内には安らかに瞑想を静かに行おうと考えました。</s>
<s xml:id="s0000147900">このようにして彼女は自分の〔精神的な〕目的を何とか達成しようとしました。</s></p>
<p xml:id="p0000038900"><s xml:id="s0000148000"><date>宋の大明7年（463）8月</date>、<persName>南昌公主</persName>と<persName>黄修儀</persName>が精舎を立てるのに適切な土地を寄進しました。</s>
<s xml:id="s0000148100"><persName>浄秀</persName>は麻の衣を着て、粗末な食べ物を食べ、朝から晩まで漆喰や瓦を運んで働いて寺を建て、壁龕や仏像も作って何一つ不備のないものにしました。</s>
<s xml:id="s0000148200">志を同じくする十人余りの比丘尼達と共に住み、皆、瞑想を行って功徳を積みました。</s>
<s xml:id="s0000148300"><date>泰始３年（467）</date>に〔宋の〕<persName>明帝</persName>は勅命を出し、そこに集っている比丘尼達の意見に従って、その寺を「<placeName>禅林寺</placeName>」と名づけました。</s></p>
<p xml:id="p0000039000"><s xml:id="s0000148400"><persName>浄秀</persName>は様々な経典を写経しました。</s>
<s xml:id="s0000148500">そして経を収める箱を別に作り、堂内に置きました。</s>
<s xml:id="s0000148600"><persName>娑伽羅龍王（サーガラナーガ）</persName>の兄弟が一日中徴を現して、自分達が尼寺を守護していることを示しました。</s>
<s xml:id="s0000148700">〔寺を訪れる〕人々でこの特別な徴を見ないものはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000148800"><persName>浄秀</persName>が聖なる僧侶（阿羅漢？）の像を供養する度に、供え物の果物や食べ物の上に特別な徴がありました。</s></p>
<p xml:id="p0000039100"><s xml:id="s0000148900">またあるとき、<persName>浄秀</persName>は七日間の供養を催しました。</s>
<s xml:id="s0000149000">それが終わってから、彼女は心を集中して瞑想しました。</s>
<s xml:id="s0000149100">すると〔瞑想の中で〕、彼女は二人の外国人僧侶が手を挙げて語り合っているのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000149200">一人は<persName>彌呿羅（ムリガーラ、ミガーラ）</persName>という名で、もう一人は<persName>毘佉羅（ヴィカーラ）</persName>という名でした。</s>
<s xml:id="s0000149300">その二人の袈裟の色は熟した桑の実の色をしていました。</s>
<s xml:id="s0000149400">そこで<persName>浄秀</persName>は泥で衣を染めて、瞑想で見た色のようにしました。</s></p>
<p xml:id="p0000039200"><s xml:id="s0000149500">また別の時に、<persName>浄秀</persName>は<placeName>阿耨達池（アナヴァタプタ）</placeName>から500人の阿羅漢を招き、
	また、<placeName>罽賓國（カシミーラ）</placeName>から500人の阿羅漢を招き、また都の高徳の僧侶を21日間の大会に招待しました。</s>
<s xml:id="s0000149600">二日目に、また一人の<persName>外国人沙門</persName>が現れました。</s>
<s xml:id="s0000149700">集まっていた人々はそれを怪しみ、誰かと尋ねました。</s>
<s xml:id="s0000149800">すると彼は、「私は一年前に<placeName>カシミーラ国</placeName>から来ました」と答えました。</s>
<s xml:id="s0000149900">人々は門衛に、彼に注視するようにさせました。</s>
<s xml:id="s0000150000">多くの人が、その沙門が<placeName>宋林門</placeName>から出るのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000150100">しかし十歩程歩いたところでこつぜんと姿を消してしまいました。</s></p>
<p xml:id="p0000039300"><s xml:id="s0000150200">またあるとき、<persName>浄秀</persName>が聖なる僧侶の像を沐浴させたとき、寺の内外は静寂でしたが、柄杓の音だけが聞こえました。</s>
<s xml:id="s0000150300">彼女が経験した様々な奇瑞は皆このようなものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000039400"><s xml:id="s0000150400">斉の<persName>文恵太子</persName>と<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王</persName>は<persName>浄秀</persName>を、
	礼儀を尽くして篤く敬い、諸々の施物は途切れることがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000150500">彼女は年老いて力が弱り、もはや歩くことができなくなったので、<date>梁の天監3年（504）</date>に、勅令により輿に乗って宮中に入る特権を与えられました。</s></p>
<p xml:id="p0000039500"><s xml:id="s0000150600"><date>天監5年（506）の6月17日（945c）</date>、<persName>浄秀</persName>は心臓に痛みを覚え、飲食ができなくなりました。</s>
<s xml:id="s0000150700"><placeName>彭城寺</placeName>の<persName>慧令</persName>法師は、<date>6月19日</date>に夢で一本柱の壮麗な宮殿を見ました。</s>
<s xml:id="s0000150800">これは<placeName>兜率天宮</placeName>と言われているものです。</s>
<s xml:id="s0000150900">彼は<persName>浄秀</persName>がその宮殿の中にいるのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000151000"><persName>慧令</persName>法師は<persName>浄秀</persName>に話しかけました。</s>「<s xml:id="s0000151100">とても良い所に生まれたのだから、私を迎えに来るのを忘れないでくれ」と言いました。</s>
<s xml:id="s0000151200"><persName>浄秀</persName>は言いました「<persName>法師</persName>様、あなたは偉大な御方で、諸々の経典に説かれる教えを広めておられますから、きっと素晴らしい場所に生まれ変わるでしょう。</s>」<s xml:id="s0000151300">と。</s>
<s xml:id="s0000151400"><persName>慧令</persName>法師は<persName>浄秀</persName>が病気だと聞いて、見舞いに行って夢の中の事を話しました。</s></p>
<p xml:id="p0000039600"><s xml:id="s0000151500">7月13日になって彼女は小康を得て夢を見ました。</s>
<s xml:id="s0000151600">その中で彼女は幡や天蓋、諸々の楽器が仏殿の西にあるのを見ました。</s>
<s xml:id="s0000151700">22日に彼女は、親しい比丘・比丘尼達に別れを言いに来てくれるように頼みました。</s>
<s xml:id="s0000151800">27日に自分の弟子達に「私は<placeName>兜率天</placeName>に昇ります」と言い終わって亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000151900">89歳でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000039700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000152000">53．<placeName>禅林寺</placeName>の<persName>僧念</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000039800"><s xml:id="s0000152100"><persName>僧念</persName>は元の姓を<persName>羊</persName>といい、<placeName>泰山</placeName>の麓の<placeName>南城</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000152200">彼女の父は<placeName>弥州</placeName>の長官の補佐役でした。</s>
<s xml:id="s0000152300">彼女は<placeName>招提寺</placeName>の<persName>曇叡</persName>法師の伯母にあたる人物でした。</s>
<s xml:id="s0000152400">彼女は若い頃から秀才で、物事の道理を見通すことができました。</s></p>
<p xml:id="p0000039900"><s xml:id="s0000152500"><persName>僧念</persName>は幼くして志を立てて10歳で出家しました。</s>
<s xml:id="s0000152600"><persName>法護</persName>尼の弟子となり、師に従って<placeName>太后寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000152700">彼女は節操が堅く、厳格な心で生活し、瞑想は精密でした。</s>
<s xml:id="s0000152800">彼女は書物を広く読み、彼女が書いたものは、表現の点でも内容の点でも優れたものでした。</s>
<s xml:id="s0000152900"><persName>僧念</persName>は菜食し、三宝を礼賛し懺悔を行い、老年期にはなおいっそう熱心に行いました。</s>
<s xml:id="s0000153000">彼女は『法華経』を日夜七回読誦しました。</s></p>
<p xml:id="p0000040000"><s xml:id="s0000153100">宋朝の<persName>文帝</persName>も<persName>孝武帝</persName>もしばしば彼女を物質的に援助しました。</s>
<s xml:id="s0000153200"><date>斉朝の永明年間</date>に<persName>僧念</persName>は<placeName>禅林寺</placeName>に移り住みました。</s>
<s xml:id="s0000153300">彼女の瞑想法は大いに盛んとなり、学ぼうとする人々が集まりました。</s>
<s xml:id="s0000153400">民政を担当する大臣（司徒）であった<persName>竟陵王</persName>は出家生活に必要な四種の品々をもって彼女を供養しました。</s>
<s xml:id="s0000153500"><date>梁朝の天監3年（504）</date>に<persName>僧念</persName>は90歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000153600">彼女の亡骸は<placeName>秣陵県</placeName>の<placeName>中興里</placeName>に埋葬されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000040100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000153700">54．<placeName>成都</placeName>の<placeName>長楽寺</placeName>の<persName>曇暉</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000040200"><s xml:id="s0000153800"><persName>曇暉</persName>は元の姓を青陽、名を白玉といい、成都の出身です。</s>
<s xml:id="s0000153900">若い時から仏道を実践するのを楽しんでいましたが、彼女の両親はそれを許しませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000040300"><s xml:id="s0000154000"><date>元嘉9年（432）</date>、<persName>畺良弥舎（カーラヤシャス）</persName>という外国人の禅師が<placeName>蜀県</placeName>にやってきて、禅観を大いに広めました。</s>
<s xml:id="s0000154100"><persName>曇暉</persName>はその時11歳でしたが、瞑想法についてその禅師に教えを請いたいと思い、禅師を招待するように自分の母親に懇願しました。</s>
<s xml:id="s0000154200">すると彼女の母親はその願いに従いました。</s>
<s xml:id="s0000154300"><persName>畺良弥舎</persName>は<persName>曇暉</persName>を一目見ると、「この子は生まれつき素質を持っている」と感嘆して言い、瞑想を実践させました。</s>
<s xml:id="s0000154400">そして<persName>畺良弥舎</persName>は<persName>法育</persName>尼に<persName>曇暉</persName>を託して訓育させました。</s></p>
<p xml:id="p0000040400"><s xml:id="s0000154500">ところが<persName>曇暉</persName>の母親はすでに、<persName>曇暉</persName>の父方の伯母の息子と婚約させていました。</s>
<s xml:id="s0000154600">婚礼の日取りも決められていたので、その予定を変えることはできませんでした。</s>
<s xml:id="s0000154700"><persName>法育</persName>尼が密かに<persName>曇暉</persName>を自分がいる尼寺に連れて行くと、<persName>曇暉</persName>は「もし自分が仏道を成就できず、無理に何か他のことをなすよう強いられようものなら、私は焼身して命を断とう」（946a）と深刻な誓いを立てました。</s></p>
<p xml:id="p0000040500"><s xml:id="s0000154800">郡の長官（刺史）の甄法崇はこれを聞いて、使者を送って<persName>曇暉</persName>を自分の所に呼びました。</s>
<s xml:id="s0000154900"><persName>甄法崇</persName>は幹部の役人たちや補佐官、有力者たち、および比丘や比丘尼達の出席を願い、問題の十分な検討を進めました。</s>
<s xml:id="s0000155000"><persName>甄法崇</persName>は「あなたは本当に出家生活を送りたいのか」と訊ねました。</s></p>
<p xml:id="p0000040600"><s xml:id="s0000155100"><persName>曇暉</persName>は「それが長年にわたるひそかな願いでした。</s>
<s xml:id="s0000155200">今、私はあなたの助けと支えを請いたく存じます。</s>」<s xml:id="s0000155300">と答えました。</s></p>
<p xml:id="p0000040700"><s xml:id="s0000155400"><persName>法崇</persName>は「よろしい」と言い、<persName>曇暉</persName>の伯母と相談すべく使者を送りました。</s>
<s xml:id="s0000155500">すると、伯母は即座に長官の命令を受け入れました。</s></p>
<p xml:id="p0000040800"><s xml:id="s0000155600">そこで<persName>曇暉</persName>は<persName>法育</persName>尼のもとで出家しました。</s>
<s xml:id="s0000155700">時に13歳でした。</s>
<s xml:id="s0000155800">そして彼女は法育から瞑想法を学びました。</s>
<s xml:id="s0000155900">最初の教えを受けてからすぐ、<persName>曇暉</persName>は最も後ろの座にすわり、精神統一（定）に入りました。</s>
<s xml:id="s0000156000">彼女は東に二筋の光明を見ました。</s>
<s xml:id="s0000156100">一本は太陽の様に白く、もう一本は月のように青い色をしていました。</s>
<s xml:id="s0000156200">この精神統一（定）の状態にあって、彼女は、「白い光は菩薩道を表し、青い光は声聞（自分自身が悟りを得ることを目標とする仏弟子達）の教えを意味しているに違いない。</s>
<s xml:id="s0000156300">それが本当だとすれば、青い光は消え、白い光が輝くはずだ」と考えました。</s>
<s xml:id="s0000156400">この考えの通り、青い光は消滅し、白い光線が煌々と輝いたのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000040900"><s xml:id="s0000156500"><persName>曇暉</persName>は精神統一（定）の状態から元に戻ると、先程のことを法育に告げました。</s>
<s xml:id="s0000156600"><persName>法育</persName>は瞑想法に通じており、<persName>曇暉</persName>が言ったことを聞いて喜び、彼女を褒めたたえました。</s>
<s xml:id="s0000156700">その時、40人以上が<persName>曇暉</persName>と一緒に座していましたが、彼女達は皆、このような稀有な出来事に驚嘆したのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000041000"><s xml:id="s0000156800">後に、<persName>曇暉</persName>の婚約者は、<persName>曇暉</persName>が自分を騙しているのではないかという疑いを抱き、彼女を襲って自分の家に拉致しようとしました。</s>
<s xml:id="s0000156900"><persName>曇暉</persName>はその時16歳でしたが、女中の助けを借りて侵入から身を守りました。</s>
<s xml:id="s0000157000"><persName>曇暉</persName>の婚約者はなす術がありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000157100"><persName>曇暉</persName>は郡の政府を通じてその婚約者を告訴しました。</s>
<s xml:id="s0000157200">長官は<persName>曇暉</persName>の非凡な行いを高く評価し、<persName>畺良弥舎</persName>と相談しました。</s>
<s xml:id="s0000157300">すると<persName>畺良弥舎</persName>は言いました。</s>「<s xml:id="s0000157400">この人は知性をそなえています。</s>
<s xml:id="s0000157500">彼女の願いに反したことをしないのが賢明でしょう。</s>
<s xml:id="s0000157600">もし<persName>曇暉</persName>の婚約者の家族が進んで和解したいとのことであり、費用を賄うだけのお金に事欠いているのであれば、私には助力してくれる召使いがいます。</s>」<s xml:id="s0000157700">こうしてその問題は解決されたのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000041100"><s xml:id="s0000157800">後に瞑想の中で、<persName>曇暉</persName>は、師から教わっていなかったブッダの本性の常住性や、その他諸々の大乗の教義を理解するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000157900">同時代の様々な名高い師達が全力で討論しましたが、彼女を論破することはできませんでした。</s>
<s xml:id="s0000158000">そのようなわけで彼女の名声は遠くにも近くにも広まり、彼女はあらゆる人々の信頼を勝ち得ました。</s></p>
<p xml:id="p0000041200"><s xml:id="s0000158100"><date>宋朝の元嘉19年（442）</date>、<persName>臨川王</persName>が<placeName>南兗延</placeName>を統治するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000158200">時に<persName>曇暉</persName>は21歳でした。</s>
<s xml:id="s0000158300"><persName>臨川王</persName>が驃騎将軍の地位について<placeName>陝郡</placeName>を治めるようになると、<persName>曇暉</persName>を<placeName>楚の南部</placeName>に連れて行きました。</s>
<s xml:id="s0000158400">1200人の男女が、出家者と在家者を問わず、<persName>曇暉</persName>を自分達の師とし、大いなる敬意と尊敬の念をもって、彼女に仕えました。</s></p>
<p xml:id="p0000041300"><s xml:id="s0000158500">年月がたち、<persName>曇暉</persName>は母親に会いたがるようになり、自分の故郷の村に戻ることを望みました。</s>
<s xml:id="s0000158600">彼女はその徳ある諸々の行いをもって有名であったので、弟子の数は日増しに増えていました。</s>
<s xml:id="s0000158700">市場に架かる橋の北西に、<persName>曇暉</persName>は仏塔のある寺を建立しました。</s>
<s xml:id="s0000158800">殿堂や回廊が速やかに完成しました。</s>
<s xml:id="s0000158900">彼女はさらに３つの寺も建立しました。</s>
<s xml:id="s0000159000">そしてそれらは驚くべき早さで落成したので、人々は感嘆し、彼女は不思議な力を持っていると言いました。</s>
<s xml:id="s0000159100"><date>元嘉3年（504）</date>に、<persName>曇暉</persName>は83歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000041400"><s xml:id="s0000159200">それより以前に、<persName>張峻</persName>が<placeName>益州</placeName>の両親のもとにいた時、
	彼は前もって知らせずに直接、<persName>曇暉</persName>のもとを訪れました。</s>
<s xml:id="s0000159300"><persName>張峻</persName>に随行した30人以上もの者達が席につくや、果物や米の団子、その他季節の御馳走がすぐに振る舞われました。</s>
<s xml:id="s0000159400">後に郡の長官<persName>劉悛</persName>が同じように友人を連れて<persName>曇暉</persName>を訪れた時も、同じことが起こったのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000041500"><s xml:id="s0000159500">梁朝の<persName>宣武王</persName>はかつて食料を<persName>曇暉</persName>の所に送り、百人分の精進料理を準備させました。</s>
<s xml:id="s0000159600">（946b）もともと彼は自分はその集会には参加しないと言ったのですが、その行事の最中に自ら出向いてみると、300人程の沙門達と、補佐官達が総勢400人近くいました。</s>
<s xml:id="s0000159700">彼等が宗教儀式を行おうとしている時、<persName>曇暉</persName>は人々に給仕をするのを手伝わせるために一人の下女をつかわしました。</s>
<s xml:id="s0000159800">すると幾人かの人々が彼女の所に送られて来ました。</s>
<s xml:id="s0000159900">彼等は、二人の弟子と二人の下女だけが、他の使用人の手を借りずに、食事を準備しているのを見たのでした。</s>
<s xml:id="s0000160000"><persName>宣武王</persName>はいっそう感嘆して「彼女は計り知れぬ力を持っている人だ」と言いました。</s></p>
<p xml:id="p0000041600"><s xml:id="s0000160100">かつてある人が<persName>曇暉</persName>に尋ねました。</s>
	「<s xml:id="s0000160200">あなたとあなたの弟子達が持っている資産は中流家庭がもっているそれにも及ばないようですが、あなたが諸々の物事をそのような驚くべきやり方でなすことができるのは、どうしたわけですか。</s>」</p>
<p xml:id="p0000041700"><s xml:id="s0000160300"><persName>曇暉</persName>は答えて言いました。</s>「<s xml:id="s0000160400">私には貯えがあったためしはありません。</s>
<s xml:id="s0000160500">私はお金が必要となる時にはいつでも、必要となる三枚か、五枚の金貨を用立てることができるのみです。</s>
<s xml:id="s0000160600">いくらかお金が必要となればその都度、自分の知らない形で自分の手もとに届いて来るのです。</s>」
	<s xml:id="s0000160700"><persName>曇暉</persName>と話をしたその人は、彼女が枯渇することのない宝の蔵をもっているのだと考えました。</s></p>
<p xml:id="p0000041800"><s xml:id="s0000160800">また<persName>花光</persName>という比丘尼がいました。</s>
<s xml:id="s0000160900">彼女は元の姓を<persName>鮮于</persName>といい、深い瞑想行と不思議な洞察のとらえ難い機微を鋭く理解する力を持っていました。</s>
<s xml:id="s0000161000">彼女は三蔵を遍く読み、諸学派の哲学にも精通していました。</s>
<s xml:id="s0000161100">とりわけ彼女は著述に長けており、文学的な格調高さを保ちながらも作文上の決まりごとの枠組みにきちんと合わせた表現を用いて、<persName>曇暉</persName>への賛辞を書きました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000041900"><title type="chapter"><s xml:id="s0000161200">55．<placeName>偽高昌都</placeName>の<placeName>郎中寺</placeName>の<persName>馮</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000042000"><s xml:id="s0000161300"><persName>馮</persName>尼は元の姓を<persName>馮</persName>といい、<placeName>高昌</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000161400">彼女に対する尊敬の念から、同時代の人々は彼女を姓で呼んでいました。</s>
<s xml:id="s0000161500"><persName>馮</persName>は30歳で出家し、<placeName>高昌都</placeName>の<placeName>郎中寺</placeName>に住みました。</s>
<s xml:id="s0000161600">一日一回だけの食事を菜食で採り、戒律を厳格に守りました。</s>
<s xml:id="s0000161700">彼女は自分の6本の指を焼き落として供養し、すべてのことを手のひらで行いました。</s>
<s xml:id="s0000161800">三日毎に一回『大般涅槃経（マハー・パリニルヴァーナ・スートラ）』を諳んじました。</s></p>
<p xml:id="p0000042100"><s xml:id="s0000161900">その時、<persName>法慧</persName>という名の法師がいました。</s>
<s xml:id="s0000162000">彼の精進は群を抜いていました。</s>
<s xml:id="s0000162100"><placeName>高昌</placeName>一国の比丘尼達全員が彼を師としました。</s>
<s xml:id="s0000162200">しばらく後に、<persName>馮</persName>は<persName>法慧</persName>に不意に言いました。</s>「<s xml:id="s0000162300">先生、あなたは未だ完璧の域には達していません。</s>
<s xml:id="s0000162400">私をあなたの善知識にさせてください。</s>
<s xml:id="s0000162500">先生、あなたは<placeName>クチャ（龜茲）国</placeName>に行くべきです。</s>
<s xml:id="s0000162600">そしてその地にある<placeName>金花寺</placeName>の天幕の下で、一か月の間当直をしている沙門が言うことを注意して聞けば、ブッダが説いた最高の教えを会得するでしょう。</s>」</p>
<p xml:id="p0000042200"><s xml:id="s0000162700"><persName>法慧</persName>は彼女の言うことを聞いてその通りにしました。</s>
<s xml:id="s0000162800">彼は<placeName>金花寺</placeName>に行き、その当直の沙門を見ました。</s>
<s xml:id="s0000162900">その沙門は喜んで、一升の葡萄酒を飲むよう彼に差し出しました。</s>
<s xml:id="s0000163000"><persName>法慧</persName>は驚愕して、「私はブッダが説いた最高の教えを求めてやってきているのに、ここであなたは葡萄酒を差し出すとは。</s>」</p>
<p xml:id="p0000042300"><s xml:id="s0000163100"><persName>法慧</persName>が禁じられている飲み物を飲むことを拒絶すると、その沙門は彼を乱暴に押しやって、直ちに出て行くよう命じました。</s></p>
<p xml:id="p0000042400"><s xml:id="s0000163200"><persName>法慧</persName>は退いて考えました。</s>「<s xml:id="s0000163300">私ははるばる遠方からやって来て、自分の目的を遂げていない。</s>
<s xml:id="s0000163400">多分、私は彼に逆らうべきではないのだ。</s>」<s xml:id="s0000163500">そう考えて、彼は一口に葡萄酒を飲み干し、酔っぱらってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000163600">彼は嘔吐し、意識を失ってしまいました。</s>
<s xml:id="s0000163700">そうしているうちに先程の沙門は去って行きました。</s>
<s xml:id="s0000163800">酔いが醒めた時、<persName>法慧</persName>は自分が戒律を破ってしまったことに気づき、罪を大いに恥じ入りました。</s>
<s xml:id="s0000163900">彼は自分がやってしまったことを深く後悔し、自らの命を断とうとしました。</s>
<s xml:id="s0000164000">このように考えている間に、彼は阿羅漢へ至る第三の段階に到達しました。</s>
<s xml:id="s0000164100">例の沙門は戻って来て彼に尋ねました。</s>「<s xml:id="s0000164200">あなたは第三の段階に達しましたか。</s>」<s xml:id="s0000164300"><persName>法慧</persName>は答えて言いました。</s>
	「<s xml:id="s0000164400">その通りです。</s>」<s xml:id="s0000164500">そうして彼は<placeName>高昌</placeName>への帰路につきました。</s></p>
<p xml:id="p0000042500"><s xml:id="s0000164600">まだ彼が<placeName>高昌</placeName>から二百里も離れている時、<persName>馮</persName>は、前もって音信もないのに、比丘尼達の集団に、
	外に出て遠く離れた所から<persName>法慧</persName>を迎えるよう命じました。</s>
<s xml:id="s0000164700">これは彼女の予知能力を示す一例です。</s></p>
<p xml:id="p0000042600"><s xml:id="s0000164800"><placeName>高昌</placeName>の比丘尼達は皆、<persName>馮</persName>を師として敬いました（946c）。</s>
<s xml:id="s0000164900"><date>梁の天監3年（504）</date>に、96歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000042700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000165000">56．<placeName>梁</placeName>の<placeName>閑居寺</placeName>の<persName>慧勝</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000042800"><s xml:id="s0000165100"><persName>慧勝</persName>は元の姓を<persName>唐</persName>といい、<placeName>彭城</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000165200">彼女の父は<persName>僧智</persName>といい、<placeName>[  </placeName>に寓居していました。</s>
<s xml:id="s0000165300"><persName>慧勝</persName>は若くして出家しようと願い、清廉潔白なふるまいをしました。</s>
<s xml:id="s0000165400">彼女は言葉少なでしたが、言ったことは何であれ実行し、行動も浮ついたり衝動的になったりしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000165500">彼女は十日間ずっと屋内にいることが幾度となくあり、彼女の振る舞いを見た人々は皆、格別な敬意をもって彼女を敬わずにはいられませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000042900"><s xml:id="s0000165600"><date>宋朝の元嘉21年（444）</date>に<persName>慧勝</persName>は出家しました。</s>
<s xml:id="s0000165700">時に18歳でした。</s>
<s xml:id="s0000165800"><persName>浄秀</persName>尼の弟子となり、<placeName>禅林寺</placeName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000165900">具足戒を受けた後、彼女は 『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』について講義を行い、<placeName>集善寺</placeName>の<persName>慧緒</persName>尼のもとで五行の禅を学習しました。</s>
<s xml:id="s0000166000">後に彼女は<placeName>草堂寺</placeName>の<persName>思隠</persName>、<placeName>霊根寺</placeName>の<persName>法穎</persName>から観相行を学びました。</s></p>
<p xml:id="p0000043000"><s xml:id="s0000166100"><persName>慧勝</persName>は奇特な性質と霊妙な認識力を持った人物でした。</s>
<s xml:id="s0000166200">人々が彼女に会って質問すると、彼女は「罪は、重いものであれ、軽いものであれ、ただちに告白しなさい。</s>
<s xml:id="s0000166300">真摯に日夜悔い改めなさい」と答えました。</s></p>
<p xml:id="p0000043100"><s xml:id="s0000166400">身分の貴賤を問わず、人々は敬意をもって<persName>慧勝</persName>を崇め、施物は途絶えることがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000166500"><date>梁朝の天監4年（505年）</date>、<persName>慧勝</persName>は81歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000166600">彼女の亡骸は<persName>白板山</persName>に埋葬されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000043200"><title type="chapter"><s xml:id="s0000166700">57．<placeName>東青園寺</placeName>の<persName>浄賢</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000043300"><s xml:id="s0000166800"><persName>浄賢</persName>は元の姓を<persName>弘</persName>といい、<placeName>永世</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000166900"><placeName>東青園寺</placeName>で生活を送る彼女は事を処理する能力をそなえ、瞑想の実践を好みました。</s>
<s xml:id="s0000167000">経や律によく通じており、彼女が発する言葉はいつも洗練されていて真っ直ぐなものでした。</s>
<s xml:id="s0000167100">彼女は講義を行ったりはしませんでしたが、あらゆる中心的な教えを深く学習していました。</s></p>
<p xml:id="p0000043400"><s xml:id="s0000167200">宋朝の<persName>文帝（424-453年）</persName>は<persName>浄賢</persName>に敬意を表しました。</s>
<s xml:id="s0000167300">子供の時、<persName>湘東王（文帝の第11子、後の明帝）</persName>はよく悪夢にうなされていましたが、勅命により<persName>浄賢</persName>尼から三帰依を受けてから、
	彼は悪夢にうなされることはなくなりました。</s>
<s xml:id="s0000167400">この後、<persName>皇帝</persName>は<persName>浄賢</persName>に対してますます敬意を払い、たくさんの供物を寄進しました。</s>
<s xml:id="s0000167500">そして宮中の中の人も外の人も、親しく彼女に諸々の寄進の品々を送りました。</s></p>
<p xml:id="p0000043500"><s xml:id="s0000167600"><persName>明帝</persName>が即位（<date>465年</date>）すると、彼は<persName>浄賢</persName>をいっそうの敬意をもって崇敬し、有り余るほどの供物を彼女に与えました。</s>
<s xml:id="s0000167700">精進料理が用意され、講義が設けられ、途絶えることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000167800">同時代のありとあらゆる有名な学者達は<persName>浄賢</persName>を師として敬いました。</s>
<s xml:id="s0000167900">後に彼女は十年以上にわたって、尼寺を統率しました。</s>
<s xml:id="s0000168000"><date>梁朝の天監4年（505）</date>に、75歳で亡くなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000043600"><s xml:id="s0000168100">また、<persName>恵高</persName>と<persName>宝顒</persName>という二人の比丘尼がいました。</s>
<s xml:id="s0000168200">二人とも広く名の聞こえた人物でした。</s>
<s xml:id="s0000168300"><persName>恵高</persName>は坐禅を行い、諸々の経典を諳んじ、そして出家者の集団に関係する諸々の雑務を処理しました。</s>
<s xml:id="s0000168400"><persName>宝顒</persName>は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を講義し、観相行に通じていました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000043700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000168500">58．<placeName>竹園寺</placeName>の<persName>浄淵</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000043800"><s xml:id="s0000168600"><persName>浄淵</persName>は元の姓を<persName>時</persName>といい、<placeName>鉅鹿</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000168700">幼くして大人の知力をもっていました。</s>
<s xml:id="s0000168800">5歳か6歳の時、彼女はしばしば砂を集めて仏塔を建てたり、木を彫って仏像を作ったりしていました。</s>
<s xml:id="s0000168900">彼女は香を焚いて作った仏像を一日中拝んでいましたが、それでいてなお、自分が十分にそれらを拝んでいるとは思っていませんでした。</s>
<s xml:id="s0000169000">人々が何か話しているのを聞く時はいつでも、<persName>浄淵</persName>はその真理を見出そうと徹底的に探究したものでした。</s></p>
<p xml:id="p0000043900"><s xml:id="s0000169100">20歳の時、<persName>浄淵</persName>は出家しました。</s>
<s xml:id="s0000169200">彼女は両親を恋い慕い、食事をとりもしなければ、眠りにも就こうとせず、ただ断食行を続けるために水を飲んでいました。</s>
<s xml:id="s0000169300">彼女は忠告を聞きいれることを拒み、一週間断食しました。</s>
<s xml:id="s0000169400">そして断食の後、彼女は菜食を厳格に守りました。</s>
<s xml:id="s0000169500">彼女は忍耐強く、戒律をひたすら厳しく守りました（947a）。</s>
<s xml:id="s0000169600">彼女の師や友人は感服し彼女を尊敬しました。</s>
<s xml:id="s0000169700">そして彼女は遠くの人からも身近な人からも賞賛されました。</s></p>
<p xml:id="p0000044000"><s xml:id="s0000169800"><persName>斉朝の文帝</persName>は<persName>浄淵</persName>に大いなる敬意を払い、出家生活を営む上で必要となる４種の品々を彼女に施与し、
	彼女に書簡を送るために頻繁に使者をつかわしました。</s>
<s xml:id="s0000169900"><date>天監5年（506）</date>、<persName>浄淵</persName>は71歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000044100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000170000">59．<placeName>竹園寺</placeName>の<persName>浄行</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000044200"><s xml:id="s0000170100"><persName>浄行</persName>は<persName>浄淵</persName>尼の五番目の妹でした。</s>
<s xml:id="s0000170200">幼少の頃から彼女の知性は見事で際立っており、先を見通す力は確かでまた広い範囲に及んでいました。</s>
<s xml:id="s0000170300">彼女はざっくばらんで正直な性格で、大きな志を持った人間でした。</s>
<s xml:id="s0000170400">彼女の礼儀作法や立ち居振る舞いはいつも大変すばらしいものでした。</s></p>
	<p xml:id="p0000044300"><s xml:id="s0000170500">若い時、<persName>浄行</persName>は馬飼役人の長である<persName>郭洽</persName>の妻<persName>臧夫人</persName>と親しくなりました。</s>
<s xml:id="s0000170600"><persName>郭洽</persName>は自分の妻を殺害しようと考えており、そのうわさが巷に漏れました。</s>
<s xml:id="s0000170700"><persName>浄行</persName>は自分の兄に<persName>郭洽</persName>をいさめるように頼みましたが、<persName>郭洽</persName>は聞く耳を持ちませんでした。</s>
<s xml:id="s0000170800"><persName>浄行</persName>は彼女の夫の計画について<persName>臧夫人</persName>に密かに知らせましたが、夫人は信じませんでした。</s>
<s xml:id="s0000170900"><persName>浄行</persName>は夫人の手を握り、悲しんで涙を流して慟哭し、それから家に戻りました。</s>
<s xml:id="s0000171000">１～２日後、<persName>郭洽</persName>は<persName>臧夫人</persName>の命を奪ってしまったのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000044400"><s xml:id="s0000171100">17歳で<persName>浄行</persName>は、<persName>法施</persName>尼を師として出家し、<placeName>竹園寺</placeName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000171200">彼女は『涅槃経（ニルヴァーナ・スートラ』や『華厳経（アヴァタンサカ・スートラ）』、さらに『成実論（サティヤ・シッディ・スートラ）』や『倶舎論（アビダルマ・コーシャ）』を学びました。</s>
<s xml:id="s0000171300">彼女は何であれ物事の初めの部分を見ればいつでも、その目的や意味を〔たちどころに〕理解することができました。</s>
<s xml:id="s0000171400">彼女が学習した事柄は深遠で容易に理解できるものではありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000171500">彼女は際限なく、広い範囲にわたる討論を交わすことができました。</s></p>
<p xml:id="p0000044500"><s xml:id="s0000171600">斉朝の竟陵<persName>文宣王</persName>の<persName>蕭子良</persName>はたくさんの施物を彼女に与えました。</s>
<s xml:id="s0000171700">法師の<persName>僧宗</persName>と<persName>宝亮</persName>は彼女を高く評価しました。</s>
<s xml:id="s0000171800">彼女が説教を行うよう請われた時はいつでも、その聴衆は数百人を数えました。</s>
<s xml:id="s0000171900">公邸の中でも尼寺の中でも、宗教行事が絶えず催され、同時代の先輩の先生達は誰一人として討論で彼女を論破することはできませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000044600"><s xml:id="s0000172000">後に<persName>竟陵王</persName>は、沙門達の集団がなした事績を記したものを編纂するために、学識ある男性沙門と比丘尼とを別々の階級に分けました。</s>
<s xml:id="s0000172100">しかし<persName>浄行</persName>と比肩する者は誰もいませんでした。</s>
<s xml:id="s0000172200">頭がよくて並外れた学識のある一人の比丘尼がおり、彼女は神業的なやり方で、広い範囲にわたる討論を交えることができました。</s>
<s xml:id="s0000172300"><persName>浄行</persName>はその比丘尼と特に親しく、他の比丘尼達も彼女を<persName>浄行</persName>に匹敵する、新進の若い人物だと考えていました。</s></p>
<p xml:id="p0000044700"><s xml:id="s0000172400">晩年に、<persName>浄行</persName>は瞑想や静観を好み、菜食主義の苦行生活を送りました。</s>
<s xml:id="s0000172500">皇帝は彼女について耳にすると、感服して彼女を高く賞賛しました。</s>
<s xml:id="s0000172600"><date>元監8年（509）</date>、彼女は66歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000172700">彼女の亡骸は鍾山に埋葬されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000044800"><title type="chapter"><s xml:id="s0000172800">60．<placeName>南晋陵寺</placeName>の釈<persName>令玉</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000044900"><s xml:id="s0000172900"><persName>令玉</persName>は元の姓を蔡といい、建康の出身です。</s>
<s xml:id="s0000173000">若い時に出家し、<persName>浄曜</persName>尼の弟子として、<placeName>何皇寺</placeName>にある禅房で生活しました。</s>
<s xml:id="s0000173100"><persName>浄曜</persName>は戒律を、純粋に申し分なく守っており、彼女が行う瞑想の実践は他の人達を凌いでいました。</s></p>
<p xml:id="p0000045000"><s xml:id="s0000173200"><persName>令玉</persName>は若い時、怠りなく敬意をもって勤勉に自分の師に仕えました。</s>
<s xml:id="s0000173300">始めに〔沙弥尼の〕十の戒律を受けてから、<persName>令玉</persName>はとても適切に振る舞いました。</s>
<s xml:id="s0000173400">具足戒を受けてからは、彼女は、氷や霜と同じくらいに純粋なあり方で、禁戒を守っていました。</s>
<s xml:id="s0000173500">彼女は５部の書物を広く学び、それらの持つ深遠な意味を驚くべき方法で探りました。</s>
<s xml:id="s0000173600">そしてそれらの意味を明らかにするための注釈書を著すことができました。</s></p>
<p xml:id="p0000045100"><s xml:id="s0000173700">宋朝の<persName>邵陵王</persName>は<persName>令玉</persName>を大いに敬い、
	<placeName>南晋陵寺</placeName>の寺主となるよう勧めましたが、<persName>令玉</persName>は固辞し、その地位に就こうとしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000173800"><placeName>邵陵王</placeName>は彼女を寺主の地位に無理やりつけることはできませんでしたが、<date>元徽年間（473～477）</date>になると、皇帝が勅令をもって地位に就けました。</s>
<s xml:id="s0000173900">かくして<persName>令玉</persName>はもはや自分に課された職務を逃れることはできなくなり、長年に渉りその地位にあって奉職したのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000045200"><s xml:id="s0000174000"><persName>令玉</persName>は謙虚でいて威厳があり、厳しさを表にあらわさずとも畏怖の念を呼び起こさせました。</s>
<s xml:id="s0000174100"><date>梁朝の天監8年（509）</date>に、<persName>令玉</persName>は76歳で亡くなりました（947b）。</s></p>
<p xml:id="p0000045300"><s xml:id="s0000174200"><persName>令玉</persName>と同じ尼寺には<persName>令恵</persName>や<persName>戒忍</persName>や<persName>慧力</persName>という、いずれも令名高い比丘尼がいました。</s>
<s xml:id="s0000174300"><persName>令恵</persName>は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』や『維摩経（ヴィマラ・キールティ・ニルデーシャ・スートラ）』や『勝鬘経（シュリー・マーラー・デーヴィー・シンハ・ナーダ・スートラ）』、その他の諸々の経典を諳んじました。</s>
<s xml:id="s0000174400">彼女は真面目に学習し、菜食生活をし、その集団全体にとっての傑出した模範となりました。</s>
<s xml:id="s0000174500"><persName>戒忍</persName>は聡明で学ぶことを好み、自分が見たものは何でも決して忘れることがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000174600"><persName>慧力</persName>は空性を正しく理解し、決して他者を欺いたり、何かを求めて競ったりすることがない人でした。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000045400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000174700">61．<placeName>閑居寺</placeName>の<persName>僧述</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000045500"><s xml:id="s0000174800"><persName>僧述</persName>は元の姓を<persName>懐</persName>といい、<placeName>彭城</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000174900">彼女の父<persName>僧珍</persName>は<placeName>建康</placeName>に移住しました。</s>
<s xml:id="s0000175000"><persName>僧述</persName>は若い頃から道に心を定めていました。</s>
<s xml:id="s0000175100">彼女は8歳で菜食をし、19歳を迎えた<date>宋朝の元嘉24年（477）</date>に、<placeName>禅林寺</placeName>の<persName>浄秀</persName>尼を師として、出家しました。</s></p>
<p xml:id="p0000045600"><s xml:id="s0000175200"><persName>僧述</persName>の徳行は非の打ちどころがなく、厳粛でした。</s>
<s xml:id="s0000175300">そして彼女は宗教上の裁量をなすにあたってはいかなる過失も犯すことがありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000175400">彼女は経や律を学習することに集中し、それらを熟読しました。</s>
<s xml:id="s0000175500">後に彼女は『十誦律（サルヴァースティヴァーダ・ヴィナヤ）』を学習することに格別な努力を割き、その書物の意味を完璧に理解しました。</s>
<s xml:id="s0000175600">彼女は<persName>法隠</persName>と<persName>僧審</persName>という法師から瞑想の秘儀と完全な三昧を行う方法も伝授してもらいました。</s>
<s xml:id="s0000175700">それから彼女は<placeName>禅林寺</placeName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000175800">そしてその尼寺で瞑想の師として崇められたのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000045700"><s xml:id="s0000175900"><persName>僧述</persName>のもとに往来したり、周りに集まったりする人々のせいで尼寺が騒々しくなったので、<persName>僧述</persName>は隠遁生活をすることにしました。</s>
<s xml:id="s0000176000">宋朝の<persName>臨川王</persName>の母である<persName>張貴嬪</persName>はこれを聞くと、自分の住まいを喜捨して尼寺を建立しようとしました。</s>
<s xml:id="s0000176100">ところが当時、尼寺を勝手に建立することは許可されていませんでした。</s>
<s xml:id="s0000176200"><date>元徽2年（474）9月1日</date>に到ってようやく、<persName>汝南王</persName>の母であった<persName>呉充華</persName>が嘆願書を皇帝に奏上し、尼寺を建立して良いという皇帝の許可が下りました。</s>
<s xml:id="s0000176300">その尼寺は50以上の講堂や殿堂や僧房等の建物からなるもので、その中で<persName>僧述</persName>は、静かな瞑想に入ることに喜びを感じながら、20人の同志と一緒に生活しました。</s>
<s xml:id="s0000176400">その尼寺は「<placeName>閑居寺</placeName>」と名付けられました。</s></p>
<p xml:id="p0000045800"><s xml:id="s0000176500"><persName>僧述</persName>は動いている時であれ、静かにしている時であれ、いつも品行正しく、軽薄なことやうわべだけの取り繕いを決してしませんでした。</s>
<s xml:id="s0000176600">宋朝と斉朝の間、国が騒乱状態にあった時にも、<persName>僧述</persName>は瞑想を実践し続け、静かな生活を送り、俗事に心を掻き乱されることはありませんでした。</s>
<s xml:id="s0000176700">斉朝の皇太子<persName>文帝</persName>と<placeName>竟陵</placeName>の<persName>文宣王</persName>は大いなる敬意をもって彼女を遇しました。</s>
<s xml:id="s0000176800">二人は、その尼寺全体を修復してありとあらゆるものを輝いて美しくなるようにし、四季を通じて施しの品々を寄進し続けました。</s>
<s xml:id="s0000176900"><placeName>大梁（南朝梁）</placeName>が王権を確立し、国に秩序を回復させると、出家者も在家者も<persName>僧述</persName>を敬い、
	彼等は、雲が四方の遠く離れた地域から〔集まる〕ように、彼女の周りに集まりました。</s></p>
<p xml:id="p0000045900"><s xml:id="s0000177000"><persName>僧述</persName>は決して私財を蓄えませんでした。</s>
<s xml:id="s0000177100">自分が受け取ったものは何であれ、仏教教団を構成する４種類の人々を助けるために、あるいはまた放生のために、あるいはまた喜捨を行うために分け与えました。</s>
<s xml:id="s0000177200">彼女は5体の黄金の仏像を作りました。</s>
<s xml:id="s0000177300">それらは全て壮麗で美しいものでした。</s>
<s xml:id="s0000177400">また彼女は一千巻以上の経や律を筆写させました。</s>
<s xml:id="s0000177500">筆写された経と律の標札や包装、紐、軸は高価な装飾品でとても美しく飾られていました。</s></p>
<p xml:id="p0000046000"><s xml:id="s0000177600"><persName>僧述</persName>は<date>梁朝の天監14年（515）</date>、84歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000177700">彼女の亡骸は<placeName>鍾山</placeName>の南面に埋葬されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000046100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000177800">62．<placeName>西青園寺</placeName>の<persName>妙褘</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000046200"><s xml:id="s0000177900"><persName>妙褘</persName>は元の姓を<persName>劉</persName>といい、<placeName>建康</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000178000">子供の頃から彼女の素晴らしい才は見事なものであり、他に抜きん出ていました。</s>
<s xml:id="s0000178100">若いうちに出家して、<persName>西青園尼寺</persName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000178200">そして、優れた素晴らしい精神力をもって、一点の過失も犯さないように戒行を守りました。</s>
<s xml:id="s0000178300">彼女の真摯な信仰と彼女がなす諸々の慈悲深い行いは人々の心に深く刻まれました。</s>
<s xml:id="s0000178400">彼女は話をするのが好きで、特にユーモアのあることを言うのが特に上手でした。</s></p>
<p xml:id="p0000046300"><s xml:id="s0000178500"><persName>妙褘</persName>は『大般涅槃経（マハー・パリニルヴァーナ・スートラ）』と『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』、
	『十地経（ダシャ・ブーミカ・スートラ）』についての講義を、合計で30回以上も行いました。</s>
<s xml:id="s0000178600">そして『十誦律（サルヴァースティヴァーダ・ヴィナヤ）』についての説明も別々の機会に行い、多くの人々を導き利益しました（947c）。</s>
<s xml:id="s0000178700"><date>天監12年（513）</date>、彼女は70歳で亡くなりました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000046400"><title type="chapter"><s xml:id="s0000178800">63．<placeName>楽安寺</placeName>の<persName>恵暉</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000046500"><s xml:id="s0000178900"><persName>恵暉</persName>は元の姓を<persName>駱</persName>といい、<placeName>青州</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000179000">彼女は6歳で道を好むようになりましたが、彼女の両親は〔彼女が出家するのを〕許可しませんでした。</s>
<s xml:id="s0000179100">11歳になってから、<persName>恵暉</persName>は肉や魚や、臭いの強い蒜類の野菜を口にするのをやめました。</s>
<s xml:id="s0000179200">彼女は気高く明るい心をもった純粋でつつましい女性であり、所作と性格は落ち着きがあり気品に満ちていました。</s>
<s xml:id="s0000179300"><persName>恵暉</persName>は『大般涅槃経（マハー・パリニルヴァーナ・スートラ）』を読誦し、『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を諳んじました。</s></p>
<p xml:id="p0000046600"><s xml:id="s0000179400">17歳の時、<persName>恵暉</persName>は父親と一緒に都に行きました。</s>
<s xml:id="s0000179500">彼女は精力的で活力に満ちており、人がとてもできないようなことをなしました。</s>
<s xml:id="s0000179600">彼女に対する情愛から、両親は〔ついに〕彼女の願いを叶えてやることにしました。</s>
<s xml:id="s0000179700">彼女は18歳で出家し、<placeName>楽安寺</placeName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000179800">彼女は<persName>斌</persName>、<persName>済</persName>、<persName>柔</persName>、<persName>次</persName>という四人の法師の『成実論（サティヤ・シッディ・スートラ）』や『涅槃経（ニルヴァーナ・スートラ）』や、その他の経典に関する講義に出ました。</s></p>
<p xml:id="p0000046700"><s xml:id="s0000179900">十年以上にわたって、彼女の学識は知識の森のように盛んに発展して行き、都にいる比丘尼達は皆、彼女から教えを受けました。</s>
<s xml:id="s0000180000">それから法座が頻繁に開かれ、四方の遠く離れた地から人々が集まりました。</s>
<s xml:id="s0000180100"><persName>恵暉</persName>は休みなく講義と討論を行い、また、瞑想と読誦をしました。</s>
<s xml:id="s0000180200">眠ることを止めてでも、日夜正しく憶念することに集中しました。</s></p>
<p xml:id="p0000046800"><s xml:id="s0000180300">王侯、貴族や地位の低い者達も皆、<persName>恵暉</persName>を敬い重んじました。</s>
<s xml:id="s0000180400">十方からもたらされた施物が四季を通じて大量に彼女に寄進されました。</s>
<s xml:id="s0000180500">自分が受け取った財は何であれ、彼女はそれを写経や仏像を鋳ることのために、また必要とあればいつでも、喜捨をなすために使いました。</s>
<s xml:id="s0000180600">もし受け取った財で何か使われていないものがあれば、それを<placeName>楽安寺</placeName>の修理に使ったものでした。</s>
<s xml:id="s0000180700">そうして<placeName>楽安寺</placeName>ではありとあらゆるものが新しく、良い状態で保たれていたのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000046900"><s xml:id="s0000180800"><date>天監13年（514）</date>、<persName>恵暉</persName>は73歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000180900">彼女の亡骸は<placeName>石頭崗</placeName>に埋葬されました。</s></p>
<p xml:id="p0000047000"><s xml:id="s0000181000">時にまた、<persName>慧音</persName>という比丘尼もおり、ブッタを崇め、経典を諳んずるのを日課としていました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000047100"><title type="chapter"><s xml:id="s0000181100">64．<placeName>邸山寺</placeName>の釈<persName>道貴</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000047200"><s xml:id="s0000181200"><persName>道貴</persName>は元の姓を<persName>寿</persName>といい、<placeName>長安</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000181300">子供の時から物静かで控えめな性格で、自然の諸々の道理を学ぶことに秀でていました。</s>
<s xml:id="s0000181400">志と能力をもった人物で、勤勉・厳格で、他の人々よりも禁欲的に生活していました。</s>
<s xml:id="s0000181500"><persName>道貴</persName>は大いなる教化（すなわち、ブッダが説いた教え）を広める誓いを立て、肉や魚を食べませんでした。</s>
<s xml:id="s0000181600">彼女の本懐は他者を助けることであり、自らについては粗衣で満足していました。</s></p>
<p xml:id="p0000047300"><s xml:id="s0000181700"><persName>道貴</persName>は『勝鬘経（シュリー・マーラー・デーヴィー・シンハ・ナーダ・スートラ）』と
	『無量寿経（スカーヴァティー・ヴィユーハ・スートラ）』を日夜諳んじていました。</s>
<s xml:id="s0000181800">彼女に対する愛情の気持ちから、<persName>道貴</persName>の両親は彼女が仏道生活を送ることを許しました。</s>
<s xml:id="s0000181900">彼女は17歳で出家し、経や律を、その意味を完璧なまでに学習しながら、広く読みました。</s>
<s xml:id="s0000182000"><persName>道貴</persName>は名声や誉れを手に入れようとはせず、仏道を実践することを日々の務めと考えていました。</s>
<s xml:id="s0000182100">歩いている時にも座っている時にも絶え間なく瞑想を実践していました。</s>
<s xml:id="s0000182200">自分が犯した諸々の過失を懺悔する時や、仏教上の誓願を立てる時、彼女の言葉は誠実で人の心を動かすものであったので、それを聞いた人々は深い崇敬の念でいっぱいになったのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000047400"><s xml:id="s0000182300">斉朝の竟陵の<persName>文宣王蕭子良</persName>は敬意をもって<persName>道貴</persName>を遇し、<placeName>邸山寺</placeName>
	（【訳者註1】当該箇所の大正新脩大蔵経の原文は「<placeName>頂山寺</placeName>」となっているが、この寺が本節の表題で名前が挙げられている寺と同一のものであることは文脈から明らかなのでそのように修正する）を、
	彼女が禅定を修める一群の人々を集めることができるように、建立しました。</s>
<s xml:id="s0000182400"><persName>蕭子良</persName>は<persName>道貴</persName>に尼寺の運営を司るよう彼女に請いましたが、彼女は<persName>蕭子良</persName>の懇請を固辞しました。</s>
<s xml:id="s0000182500">瞑想を実践する手本となる人になってくれるよう請われると、彼女は同意しました。</s></p>
<p xml:id="p0000047500"><s xml:id="s0000182600">それから彼女は森の中に自分の居を定め、そこで余生を送りました（948a）。</s>
<s xml:id="s0000182700">太陽が厚い雲に覆い隠され、山々が深い雪に覆われた時にも、<persName>道貴</persName>は休みなく座禅したものでした。</s>
<s xml:id="s0000182800">信者達から施物を受け取った時はいつでも、<persName>道貴</persName>は功徳ある行いをなすためにそれを幅広く使いました。</s>
<s xml:id="s0000182900">彼女は自分が受け取った施し物はいかなるものであれ、自分の利益のために使ったりはしませんでした。</s></p>
<p xml:id="p0000047600"><s xml:id="s0000183000"><date>天監15年（516）</date>、<persName>道貴</persName>は86歳で亡くなりました。</s>
<s xml:id="s0000183100">彼女の亡骸は<placeName>鍾山</placeName>の南面に埋葬されました。</s></p>
</div><div type="bio"><p xml:id="p0000047700"><title type="chapter"><s xml:id="s0000183200">65．<placeName>山陰</placeName>の<placeName>招明寺</placeName>の釈<persName>法宣</persName>尼</s></title></p>
<p xml:id="p0000047800"><s xml:id="s0000183300"><persName>法宣</persName>は元の姓を<persName>王</persName>といい、<placeName>剡国</placeName>の出身です。</s>
<s xml:id="s0000183400">彼女の父<persName>道寄</persName>は、家の伝統に従い、仏教の正しい教えを信仰していました。</s>
<s xml:id="s0000183500">子供の時から<persName>法宣</persName>は出家したいという願いを抱いていました。</s>
<s xml:id="s0000183600">まだ7歳の時に、<persName>法宣</persName>は菜食し、克己自制の苦行生活を行いました。</s>
<s xml:id="s0000183700">18歳の時、彼女は『法華経（サッダルマ・プンダリーカ・スートラ）』を諳んじ、その経典の始まりから終わりまでの綱要を完璧に理解していました。</s></p>
<p xml:id="p0000047900"><s xml:id="s0000183800"><persName>法宣</persName>は座っている時も眠っている時も、自分の上に天蓋が下がっているのをいつも見ていました。</s>
<s xml:id="s0000183900">一人の結婚仲介人が不意に彼女の所にやって来ましたが、彼女は誓願を理由にその申し出を断りました。</s>
<s xml:id="s0000184000"><persName>法宣</persName>が24歳の時、彼女の両親は<placeName>剡国</placeName>の<placeName>齊明寺</placeName>の<persName>徳楽</persName>尼の所に<persName>法宣</persName>を連れて行きました。</s>
<s xml:id="s0000184100">その尼寺で<persName>法宣</persName>は尼僧となり諸々の戒を守りました。</s>
<s xml:id="s0000184200">その日、彼女の頭上に下がっていた天蓋はひとりでに消えてなくなりました。</s></p>
<p xml:id="p0000048000"><s xml:id="s0000184300"><persName>法宣</persName>は経典を広く読み、そこに説かれる教えの内容を深く究明しました。</s>
<s xml:id="s0000184400"><persName>法宣</persName>が具足戒を受けてから後、当時の人々は、都に住む者も地方に住む者も、在家者も出家者も、また理論的研究に携わる信仰の篤い人々は、<persName>法宣</persName>が勤勉で深い学識をもっている人物だということを確信したのでした。</s></p>
<p xml:id="p0000048100"><s xml:id="s0000184500">宋朝の末期に、経典と論書に関する講義をしながら中国東部を旅してまわっていた<persName>僧柔</persName>という法師がいました。</s>
<s xml:id="s0000184600">彼は<placeName>嶀山</placeName>と<placeName>嵊山</placeName>から<placeName>禹の洞穴</placeName>に行きました。</s>
<s xml:id="s0000184700">彼はまた<placeName>霊隠山</placeName>に登り、<placeName>姑蘇</placeName>へと行きました。</s>
<s xml:id="s0000184800"><persName>法宣</persName>が経典の真髄を説いていたのに対し、<persName>僧柔</persName>は論書の綱要を列挙し説明していました。</s>
<s xml:id="s0000184900"><persName>法宣</persName>は諸々の微細な点についても完璧に熟知しており、かつそれらすべての深遠な内容を完全に理解していました。</s></p>
<p xml:id="p0000048200"><s xml:id="s0000185000"><date>斉朝の永明年間</date>に<persName>法宣</persName>は<persName>恵熙</persName>という法師から、『十誦律（サルヴァースティヴァーダ・ヴィナヤ）』についての指導を受けました。</s>
<s xml:id="s0000185100">彼女が吸収した学問は日に日により良いものとなっていき、理解した内容は月を追うごとに増していきました。</s>
<s xml:id="s0000185200">そして彼女は<placeName>山陰</placeName>の<placeName>招明寺</placeName>で生活するようになりました。</s>
<s xml:id="s0000185300">〔その尼寺で〕彼女は、経と律についての講義を次から次へとなし、<placeName>咸暢地方</placeName>での高い名声をほしいままにしました。</s></p>
<p xml:id="p0000048300"><s xml:id="s0000185400"><persName>法宣</persName>は私財を蓄えず、贈られたものや寄進されたもの全てを尼寺の修復や装飾に投じました。</s>
<s xml:id="s0000185500">そしてその尼寺はとても見事で美しいものであったので、神々の手で造られたもののように見えました。</s>
<s xml:id="s0000185600">その尼寺には書写された経典や鋳造された仏像が完備していました。</s></p>
<p xml:id="p0000048400"><s xml:id="s0000185700"><placeName>呉郡</placeName>の<persName>張援</persName>、<placeName>頴川</placeName>の<persName>庾詠</persName>、
	<placeName>汝南</placeName>の<persName>周顒</persName>といったその時代の傑出した人物は皆、
	自ら<persName>法宣</persName>に敬意を払いに彼女の所に行きました。</s>
<s xml:id="s0000185800"><placeName>会稽</placeName>の長官であった斉朝の<persName>巴陵王</persName>は<persName>法宣</persName>にたくさんの供物をささげました。</s>
<s xml:id="s0000185900">梁朝の<persName>衡陽王の元簡</persName>はその（彼女のいる）郡にやってきて、<persName>法宣</persName>に自分の母親の師となるように請いました。</s>
<s xml:id="s0000186000"><date><date>梁朝の天監15年（516）</date></date>、<persName>法宣</persName>は83歳で亡くなりました。</s></p></div>
<div><p xml:id="p0000048500"><s xml:id="s0000186100">『比丘尼伝』巻四終わる</s></p></div>
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<person xml:id="ブッダ">
<persName xml:lang="ja">ブッダ</persName>
<persName xml:lang="zh">世尊</persName>
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