仏教伝道協会による英訳大蔵経を参照しつつ大正新脩大藏経を基にして現代語訳されました。
岡田文弘、佐藤もな、蓑輪顕量
このテキストは、古代インドの著名な大乗仏教学者にして、中観派の開祖であるナーガールジュナの人生における伝説を記述したものです。 2世紀後半のインド人であるナーガールジュナは、同時代と後世における仏教の発展に深い影響を及ぼしました。彼の中道という理論は、 すべての物事は空であると、八種の否定を用いて説明します。彼は「結局、始まりも終わりもなく、永遠でもなく断絶するのでもない。 そして宇宙には、同一のものも異なるものもなく、来る者も去る者もいない。 現象的な存在は「世俗諦」と解釈される。しかし一方で「勝義諦」によれば、本当は、何も不変の実在としては存在していない」と説いています。
中道は、すべての消滅と永遠の実体、という二つの極端な見方を避け、因果による存在という教義を強調します。 物事は、原因と必要条件の特定の組み合わせが起こる時には存在しているように見え、それらの原因と条件が崩れると見えなくなります。
ナーガールジュナの『中論』と『十二門論』、および彼の弟子・後継者であるアールヤデーヴァの『百論』は、中道の教義を解説するための重要な文献です。 これら3つの文献に基づいて、中国では三論宗が創立され、のちに日本にも伝わりました。 ナーガールジュナの『大智度論』(『大品般若経』を注釈した、大部の著作)は中国と日本の諸宗派に、さらに大きな影響を及ぼしました。
西紀401~409年に鳩摩羅什によって漢訳されたと言われている、このナーガールジュナの人生における伝説の記述は、 実は、北魏(西紀386~534年)の吉迦夜と曇曜によって漢訳された『不法蔵因縁伝』第5章の最終部分です。鳩摩羅什の版は、 実際には『不法蔵因縁伝』と言葉遣いが一致しており、彼の『提婆菩薩伝』の翻訳には、 この『龍樹菩薩伝』の一部(「ナーガールジュナ」の名前を「デーヴァ」に置き換えている他は、正確に一言一句同じ)が含まれています。 このことによって、この龍樹伝と提婆伝は本当に鳩摩羅什訳なのか、という疑いが起こっています。 彼が二人の異なる人物について同じ挿話を書くことは、おそらく有り得ないでしょう。このため、挿話の出典は『付法蔵因縁伝』だと考えられます。
【184a】生まれながら類いまれに賢く、どんなことも一度聞いただけで理解できました。
まだ赤ん坊の時には、バラモンたちが四ヴェーダ(1句ごと32字で40000句)を唱えているのを聞いて、それを暗唱し、意味を理解できました。
青年時代には、並ぶもののない有名な人物として、彼の名声は多くの国に広がっていました。
彼は天文学、地理学、占い、預言、その他多くの技術をよく学んでいました。
彼には三人の親友がおり、彼らもまた当時有名な人物たちでした。
彼らは話し合い、次のように言いました。
「悟りを開き真実を明らかにするための、世界中のありとあらゆる教えを、俺たちは学びつくしてしまった。
今さら、何を楽しめばいいやら。
快楽にふけることは何よりも楽しいだろう、しかしどうすればいいのか。
俺たちはただのバラモンや学者にすぎないし、貴族や王様のような力は持ってない。
たぶん、俺たちがこれらの悦びを楽しむには、《隠れ身の術》を使うしかない。
四人は顔を見交わし、暗黙のうちに合意しました。
そして隠れ身の術を学ぶべく、一緒に
「この四人のバラモンは世に名高い人たちで、軽蔑のうちに人を見下すことに慣れていることだろう。
私の技術を学ぶために、へりくだって私に近づいているのだ。
【184b】彼らは世において才能があり聡明な人々で、なんでも知っている……私の賎しい術を除いては。
もし私が術を教えてしまえば、彼らはきっと私を見捨て、もはや従えることもできなくなるだろう。
そこで、何であるかは言わずに、薬を与えることにしよう。
薬を使い切ってしまったら必ず戻って来て、ずっと私を師匠として仕えてくれるだろう。
そこで彼は、各々に青い丸薬を与えて言いました。「静かなところで、この錠剤を砕いて水で溶き、まぶたに塗りつければ、あなたがたの姿は消えます。
誰もあなたがたを見られなくなるでしょう。
これによって彼は、その成分・材料・分量を、わずかの間違いもなく知ることができました。
彼は
「どうして分かったのですか。」
「なぜ分からないことがあろうか。
薬はにおっているのに。」
「こんな人々は、話を伝え聞くことすらまれなことだ。
ましてや、自分で実際に巡り会えるとは。
私の賎しい術に、隠しておくべきものなどあるものか。
」そこで彼は、彼の術の方法をすべて教えました。
彼らはたびたび王宮に入りこみ、宮中の美女全員をはずかしめました。
およそ百日後、女官の何人かが身ごもってしまったことが発覚しました。
彼女たちは恥じ入り、この事件を王様に報告して許しを乞いました。
王様はおおいに気分を害し、一体何の悪霊が、こんな奇妙なできごとを引き起こしたのか、と怪しみました。
王様は賢い大臣たちを呼び集め、この問題について話し合いました。
一人の「このような事件は、二つの状況のもとで起こり得ます。
幽霊によってか、魔術師によってか、のいずれかです。
罪人の動きを調べるため、きめ細かい土を門に撒いて、見張りのための番兵を配置させてください。
もし魔術師ならば足跡が見つかるでしょうから、兵士たちが彼を排除できます。
もし幽霊ならば足跡は無いでしょうが、お祓いによって除霊できます。
門番たちは、その準備をして試みるよう命じられました。
すぐに彼らは四人の足跡を見つけ、その事実を
王様は数百人の兵士を宮殿に召集し、すべての門を閉じました。
兵士たちは、武器で空中をくまなく切り、一撃を加えるよう命じられました。
この方法で、すぐさま三人が殺されました。
しかし
王様の頭から七尺以内に武器を近づけることは許されていないからです。
この時はじめて
それは徳をそこない、命を危うくするものです。
すぐさま彼は誓いを立てました。「もし逃げられたら、出家の道を学ぶために沙門のもとへ行こう。」
王宮を出た後、彼は山の中のある仏塔に行き、家を捨てて僧侶としての戒を受けました。
彼は九十日間で三蔵すべてを暗誦するようになり、さらにもっと多くの経典を得ようとしましたが、どこからも手に入れられませんでした。
とうとう彼は雪山に入りました。
そこには仏塔があり、一人の年老いた
彼は喜んで
しかし十分に意味を理解しても、彼はそこから利益を得られませんでした。
そこで彼はより多くの経典を探すため、さまざまな国を旅しました。
しかし彼はこの
あらゆる異教徒の論者、沙門の見解は、彼に打ち負かされてしまいました。
とある異教徒の弟子が彼に言いました。「先生、あなたは『完全な知識を備えた、すべてを知る人間』です。
しかし、あなたは仏教者の生徒になりました。
【184c】『生徒である』ということは、『もっと学ぶべき何かがある』という含みがあります。
あなたはまだ、足りないのではないですか。
もし一つでも知らないことがあるならば、あなたは『完全な知識を備えた、すべてを知る人間』ではありません。
この意見は
そこで、彼は邪な驕りたかぶりを起こして考えました。
「仏の経典は素晴らしいけれども、道理をもって推測するので、いまだ尽くさないことがある。
いまだ尽くさないことにおいても、推定によって演べ広めることができる。
悟りを得た後に学ぶならば、理の点で異ならないし、事の点でも失なうことはない。
そうすることに、なんの差し障りがあろうか。」
このように考え終わってから、
彼は自身で戒律の師となり、仏教徒の衣とはわずかに異なる新しい衣装をデザインして、人々の誤解をとき、受けてはいない学びを示すことにしました。
そこで日を選び、授けようとしました。「新しい弟子たちよ、新しい戒律を守り、衣を身につけなさい。
そして、彼は静かな水晶の部屋に独りでおりました。
そんな彼を見た大きな
そこで龍は七つの宝で飾られた蔵と、七つの宝で飾られた箱を開き、限りなくすばらしい教えを含んだ、多くの奥深い経典を彼に授けました。
九十日のうちに、彼はその内容の大半を上手く唱えられるようになり、深く理解して実利を得ました。
「全部の経典を読みましたか。
「あなたが箱に入れていた経典は、多くて数え切れません。」「すべて読むのは、私には無理です。
ここで私が読んだのは、私が
「他の場所には、私が宮殿で持っているよりも、もっとたくさんの経典があり、数え切れません。
その時
そこで、
その場所で彼は仏法を広く伝え、異教徒を調伏しました。
広く大乗の教えを解説し、彼は十万の詩節からなる注釈書(ウパデーシャ)を編纂し、五千の詩節からなる『
これらのテキストによって大乗の教えは広くインドに伝わりました。
彼は十万の詩節からなる『
当時、
彼は「私はこの比丘を屈服させることができます。
お試しください。
「お前は大馬鹿者だ。
この菩薩の輝きは太陽や月の光に匹敵しうるし、彼の智慧は仏の心と比べられるほどのものだ。
どうしてお前はそんなにも傲慢で、あえて無礼な態度をとるのか。
「おや、王様。
あなたは智慧ある方ですのに、きちんと試験し、私が彼をおさえくじくのを見る前から、私が彼に劣っているとどうしてお思いなのですか。
この言葉を聞いて、「早朝にと請いました。
池の中には千枚の花弁を持つ蓮華があり、
彼は「お前は地面に座っているが、それは獣と異ならない。
それなのに、清らかな蓮華に座った徳高き智慧者と議論しようとしている。
【185a】そこで
それは池の水上を歩き、蓮華の座へと行きました。
象は鼻を使って蓮華座を根こそぎ抜き取り、高くかかげると地面に放り捨てました。
腰をひどく痛めつけられた
「私は自分の能力を買いかぶりすぎ、大いなる師であるあなたを蔑んでおりました。
どうか哀れとお思いになって私を受け入れ、私の愚かさをとりのぞくべく教えを垂れてくださいませ。
一方、
彼は異教の信者であり、一人の仏僧とさえも会うことを拒んでいました。
彼の国の民たちは、遠くの者も近くの者も全員、彼の信仰を支持せよという命令の下におりました。
「木の根を断たなければ、枝は衰えない。
同じように、」
その頃、国の法律によって、王の護衛兵を雇うことになっていました。
そこで
矛槍を担ぎ、先陣を切って行進し、衛兵たちを秩序良く支配下におきました。
力づくの無理強いなしに命令は実行され、法による強制もなく人々は従いました。
従者は答えました。「この男は衛兵の募集で志願してきました。
しかし彼は俸禄ももらわず、給金も受け取りません。
彼は自分の義務をきちんと行儀良くはたしています。
我々は、彼の心が何を求め何を欲しているのか分かりません。」
「お前は何者だ。」
彼は答えました。「私は、完全なる智慧者です。」
大いに驚いて、「完全なる智慧者が世界に現れるのは、とても稀なことだ。
お前が自分でそう言うのは、何が証拠なのだ。」
「もしあなたが私が言ったことの真相を知りたいのなら、試しに質問をしてみればいいでしょう。」
「私は智慧の主、偉大な論者であるから、もし私が問答に勝利したとしても、私の名声が増すことにはならないだろう。
しかしもし私が負ければ、只事ではすまないだろう。
もし私が彼に何も質問しなければ、すぐに彼に打ち負かされたことになってしまうだろう。
」長い間口ごもってから、「天は今、何をしているか。」
「彼らは今、阿修羅と戦っています。」
この答えを聞いて、
彼はどんな反証も挙げられなかったので、
「私の言ったことは議論にかつためのでっち上げではありません。
しばし待ってください、
私の言の証拠はじきに現れるでしょう。」
この言葉が語られた直後、盾、矛、その他の兵器が空から続々と降ってきました。
「盾、矛、槍、鉾槍は武器ではあるが、それらが神と阿修羅の戦いで使われていたとどうやって証明するのか。」
「百聞は一見にしかず、ですよ。
」彼がそう言うと、阿修羅の切られた手足の指、耳や鼻が空中から降ってきました。
さらに彼は
そこで
大会堂にいた大勢のバラモンたちも髷を剃り落とし、具足戒を受けました。
ある時、いつも怒り妬んでいる
「あなたは、私がこの世界に長くいてほしいですか。
」「もちろん、否。」
【185b】そこで
彼の弟子たちが扉を壊してみると、彼は蝉が羽化するように肉体を捨て、この世を離れておりました。
彼が去ってから百年が経ちました。
まるで仏を崇拝するかのように、
彼の母は木の下で彼を産みました。
木の名はアルジュナ(阿周陀那)です。
そのため彼は「
そして、彼の成道を竜(ナーガ)が助けたので、名前に「ナーガ」の語を冠しました。
このゆえに彼は「
(『付法蔵伝』によれば、彼は第13代の祖師でした。
彼は仏法を保つために、不老不死の薬の助けをかりて二百歳以上の長生きをしました。
彼は数え切れない人々を教えたということです。
法蔵に説く通りです。)