仏教伝道協会による英訳大蔵経を参照しつつ大正新脩大藏経を基にして現代語訳されました。
岡田文弘、一色大悟、蓑輪顕量
アシュヴァゴーシャ(1−2世紀、一般に馬鳴と言われます)は著名な仏教詩人・哲学者・インドの大乗仏教学者であり、摩訶迦葉に始まる法の継承(付法蔵)においては第十一祖に数えられています。この簡潔な『馬鳴菩薩伝』は、彼の師・パールシュヴァの功績をたたえた『付法蔵因縁伝』(大正No.2058)中の記述に基づき、どのように彼がパールシュヴァによってバラモン教から仏教に転向したのかについての短い解説のみを伝えています。
仏教発展の歴史の上では、アシュヴァゴーシャは大乗仏教開祖の一人と見なされています。以下の八個のテキスト(漢訳が現存、『大正大蔵経』に収録)が、彼の作とされています。
『仏所行讃』五巻、曇無讖訳(大正No.192) 『大荘厳論経』十五巻、鳩摩羅什訳(大正No.201) 『六趣輪廻経』一巻、日稱訳(大正No.726) 『十不善業道経』一巻、日稱訳(大正No.727) 『尼乾子問無我義経』一巻、日稱訳(大正No.1643) 『大乗起信論』一巻、真諦訳(大正No.1666) 二巻、實叉難陀訳(大正No.1667) 『大宗地玄文本論』二十巻、真諦訳(大正No.1669) 『事師法五十頌』一巻、日稱訳(大正No.1687)
後代の写本の信ぴょう性が仏教学者たちの議論を大いに呼んでいるものの、大乗仏教徒にとっては、これら八個のテクストのうち『仏所行讃』『大乗起信論』がおそらく最も有名なものでしょう。
アシュヴァゴーシャは大乗仏教の発展に大きな影響力を持った仏教者であることに加えて、仏教における詠唱(詩を唱えること)・賛美歌の創始者でもありました。仏教を布教するため、彼は多くのメロディアスな詩歌を書きました。それらの詩歌は、聞いた多くの人々が仏教に改宗したほど、とても甘美で耳に心地よかったと言われています。上座部と大乗の両方の国で、日々の法要や特別な宗教的儀式において、仏僧たちが詩を唱え三宝(仏・法・僧、仏教徒が信じるべき三つの宝)を讃える賛歌を歌うという習慣が残っています。
この巻にも収録されているヴァスヴァンドゥ大法師(一般に世親と言われます)の伝記(大正No.2049)によれば、アシュヴァゴーシャはシュラーヴァスティーのサーケータという地区の出身と言われています。彼は『阿毘曇毘婆沙論』の編集にたずさわるため、カーティヤーヤニープトラによってカシミールに招かれました。『阿毘曇毘婆沙論』は百万の詩で構成されており、カニシカ王の援助のもとで二十年かけて完成されました。
【183a22】
ある時、長老
そして彼は、世の智慧に通じ、弁舌たくみで、論証にたけた異教徒の
その
もしできなければ、彼には人前で犍稚を打って人々から供養を受ける資格もない。」と提唱していました。
【183b】 その頃長老
道すがら、彼は何人かの沙弥に出会いました。
沙弥たちはふざけて言いました、「徳の高いおじいさまよ、あなたの靴を運んでさし上げましょう。そしてすぐさま彼らは
しかし長老
沙弥たちのうちで学識の高かった一人は、この老人が偉大で思慮深い人物であることに気づき、ただならぬ人なのではないかと思いました。
彼は質問し、そのふるまいを観察し、精神の向上を求めてやまない姿勢を見出しました。
長老
すべての沙弥たちが、
その時、長老
彼は僧院に滞在し、比丘たちに問いました。
「何故、法に従って犍稚を打たないのですか。比丘たちは言いました。
「
「どういう理由ですか?
比丘たちは答えました。 「議論に巧みな異教徒の
彼は『もしこの国で、私と議論できる沙門がいないのならば、仏教徒たちは人前で揵椎を打って、人々から供養を受けるべきでもない。』と触れ回っているのです。
長老 「ただ、犍稚を打てばよい。
もし彼が来たら、私が相手になりましょう。
この言葉に驚いて、古参の比丘たちは疑いの心を抱き、決定を下すことができませんでした。
寄り合って話し合った後、彼らは言いました「さあ、とりあえず犍稚を打とう。
もしこうして彼らは犍稚を打ちました。
「今日はなぜ、お前らはこの木片を打っているのだ。
比丘たちは答えました。 「一人の老いた
我々が打っているのではありません。
「彼に来てもらおう。
そこで長老
「私と議論するつもりか。
「はい。
「この
どうやって私と議論をしたいのか。
そこで彼らは七日後に、国王、大臣、沙門、異教徒、その他の偉大な法師たちの前で議論をすることに同意しました。
六日目の夜、長老
七日目の明朝には、大群衆が集まりました。
彼はこの
彼は「この人は、聖なる
こんなに落ち着いて楽しげな態度でいて、論者としての特質をすべて身に備えている。
今日はきっとよい議論ができることだろう。 」と考えました。
【183c】 彼らは最初に、敗者に何の罰を科すべきか話し合いました。
「負けた人間は、舌を切るべきだ。
長老 「そんなことはすべきではない。
負けた方は、勝者の弟子になることにしましょう。
それで約束としては十分でしょう。
「いいだろう。と 「どちらが先に発言しようか。
長老 「私は年上で、遠方より来ており、かつ、あなたよりも早くこの席に着いています。
私が先に発言すべきでしょう。
「賛成だ。
お前が何を言おうが、論破してやる。
そこで長老 「我々は、天下が太平であり、大王が長寿であり、国土が何の災害もなく豊楽であるよう、つとめるべきです。
規則によれば、答えられなかった方が議論に負けたことになります。
彼は屈服し、
剃髪し、沙弥となり、具足戒を受けたのです。
彼は一人座って、物思いに耽りました。 「私の華々しい才気と深い知識は、広く世間の称賛の的だった。
どうして、たった一言で負けてしまい、弟子になってしまったのだろう。 」こう考えて、暗い気分でおりました。
長老
そこで
その時異教徒は、自分の師が普通の人間ではないことを知り、彼に喜んで従いました。
そして思いました、「あなたの弟子になれてよかったです。」と。
「あなたは侮れない才覚の持ち主だが、まだ修行を完成できていない。
もしあなたが、私の獲得した信仰・勤・努力・思念・禅定・智慧の五つ と、それらが煩悩の障害を乗り越える力
、思念・よく思量すること・勤め励むこと・喜び・身心が軽やかになること・禅定・平等な心の七つ
・正しい知見・正しい思量・正しい言葉・正しい行い・正しい生活・正しい努力・正しい思念・正しい禅定の八つの道
という教えを学び、深みのある雄弁術を得て、あらゆる教義を明瞭に理解するようになったら、全世界において向うところ敵なしになるだろう。
長老
そこで
彼の無比なる弁舌の才能は、四衆(比丘、比丘尼、男性在家信者、女性在家信者)の尊敬と称賛を勝ち取りました。
そしてインドの国王は彼を大いに尊重しました。
後に、北インドの小月氏国の
中央インドの
どうしてあなたは、こんなに長い間この地に留まって、我が人民を取り囲み悩ませているのか。 」と問いました。
(月氏の) 「もし降伏するつもりなら、金貨3億枚を送れ。
そうすれば助けてやろう。 」
「国中でかき集めても、私は金貨1億枚すら持っていない。
どうやって金貨3億枚を得られようか。 」
(月氏の) 「お前は国に二つの大きな宝を持っている。
一つは、仏の鉢、もう一つは弁舌巧みな比丘だ。
これらを私にさし出せ。
それらは金貨2億枚に値する」
「私はこれら二つの宝に高い価値を置いている。
引き渡すことはできない」
そこで、 「衆生を教え導くことに勝るものはありません。
仏道は深遠で広い。
それは、自他の両方を救うことを意味します。
偉大な人徳の中でも、他人を救うことが一番です。
世界規模で教え導くことは難しいものです。
王様が治められるのは一国に限られます。
もしあなたが仏道を広めるならば、あなたは四つの海(地上のすべて)におよぶ法王になるでしょう。
比丘が人々を救うことは、異論ないはずです。
功徳とは近くにでも遠くにでもなく、心にあるものです。
寛大に、長い目で見てください。
どうして、私が目の前になければならないのでしょうか。 」
【184a】 (月氏の) 「王が仏鉢を敬うことは、よいことだ。
しかし、世間の比丘皆に金貨1億枚の値が付くならば、はなはだ過ちであろう。
六日後の朝、彼は全ての仏教徒と仏教徒以外の沙門、他の学派の人を集めた上で、説法をさせるべく
彼の説法を聴いた人は皆、悟りを開きました。
その餌には、馬たちの大好物であるつる草も混ぜてありました。
馬たちは餌を食べようという考えもなしに、涙を流して説法に聞き入りました。
そこで皆は、その
彼の言葉を馬たちが理解したことから、彼は
彼は北インドにおいて広く仏法を説き広め、あらゆる衆生を教え、恵みを与え、巧みな手立てによってうまく人々の功徳を成就させました。
あらゆる人々が彼を尊敬し重んじました。
また皆は、彼を「