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大蔵経とは

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 仏教は、一方でことばを超えた体験や存在の意義を認めながら、他方でそれがつねにことばに象られたうえで自己の意識にもたらされ他者に伝達される事態を尊重し、ことば遣いには格別な注意を払ってきました。世界の宗教の歴史を振り返りますと、ときに宗教の聖性とことばの聖性とは同一視され、特定の言語を聖化する傾向がみられます。けれども仏教はこうした姿勢とは正反対に、ことばは相互に真意を伝達しあうための手段であるととらえ、伝承の翻訳、補足、解説、表現の転換を認めてきました。

 紀元前五世紀のインドという多言語状況に生まれ、二千五百年の時をかけて東アジア、チベット、東南アジアときわめて広域に流布した仏教は、結果として膨大なことばの集積を生み出しました。それらは形式と内容とによって「経、律、論」の三種(三蔵)に分化して保存され、大蔵経あるいは一切経という名前で呼ばれています。仏教が歴史の経緯とともにアジアに根づいたことは、この大蔵経が伝わりそれぞれの歴史のうえに生まれなおしたことでもあります。

 大蔵経は、漢語、パーリ語、チベット語、モンゴル語、西華語、満州語で記されたもののほかに、部分的ではありますが、サンスクリット語および関連言語で記されたものが残り、さらにそれらにアジア各地の現地語や近代諸語への翻訳を加えれば、きわめて膨大な量の典籍となります。

 こうした大蔵経が形成される歴史は、伝承という営為が技術と媒体の進化に対応する歴史でもありました。開祖であるブッダが入滅して少なくとも二、三百年は、教えは記憶と口頭伝承によって保持されましたが、やがてそれは――スリランカに残る伝承によれば紀元前1世紀――樹皮に染料によって文字として記されます。声としてのことばが文字としてのことばへと転換されるのは、ことばを生きる人たちの文化空間が大きく変容される、きわめて重大なできごとでした。

 仏典がインド文化圏を超えて東伝した漢語文化圏では、文字を尊重する傾向がきわめて強く、仏教は伝播当初より仏典、つまり書写テキストとして存在しました。長期にわたって写本として継承された仏典の制作は、やがて宋代、版木に反転文字を彫り込んで紙に刷る、木版による印刷へと形態を転じます。これ以後、近代にいたるまで千年近くにわたって、仏典の伝承は木版の技術と版木、紙という媒体に託されてきました。

 技術の革新と媒体の変容はさらに進みます。文字を土台に固定させた木版の出現からおよそ千年を経たとき、文字を平面から独立させた活字印刷への移行が起こります。この変化は、散発的な事例を除くなら、グーテンベルクによる活版印刷の発明にはじまる書物の登場が近代にもたらしたものであり、アジア仏教諸国においては日本においてはじめて大規模に起こったできごとでした。アメリカ式の印刷術と質の高い校訂を経た「大日本校訂大蔵経(縮刷蔵)」(1885年)の出版を経て、「卍蔵経」(1902年)、「大日本続蔵経」(1912年)がつづいて生み出され、最後に、近代仏教学の成果を踏まえ、近代にふさわしい書物として世界に発信すべく「大正新脩大蔵経」(1924―1934年)の編纂が完成します。ここに、世界の仏教研究者や仏教者たちが、洋の東西を問わず容易に手にし、国境を越えて共通に基礎とすることのできる媒体の仏典一大コーパスが誕生しました。本データベース拠点でデジタルデータ化を完成したのは、この大正新脩大蔵経であります。